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Peter Robbins + Larry Warren : Rendleshalm UFO 事件を語る

· 約142分

前置き

2015-10-08 収録の動画(2015-11-28 に up)から。この時点では Peter Robbins はまだ Larry Warren とは決別しておらず、Larry Warren の証言を事実だとアピールしている。

関連

Peter Robbins : 私の本の共著者が詐欺師と判明し、決別した。

Peter Robbins の Web サイト記事 : Larry Warren 批判

要旨

AI

レンドルシャム事件の経験者と著者

この音源は、‌‌1980年のレンドルシャム・フォレスト事件‌‌に焦点を当てた、ポッドキャスト番組『フェノメノン・レディオ』のエピソードの文字起こしです。

この番組は、‌‌ジョン・バロウズ‌‌と‌‌リンダ・モールトン・ハウ‌‌がホストを務め、元空軍兵‌‌ラリー・ウォーレン‌‌と、彼の著書の共著者‌‌ピーター・ロビンズ‌‌をゲストに迎えています。

ウォーレンは、事件の翌年に軍を離れ、‌‌1983年に最初にこのUFO遭遇事件を公にした人物‌‌であり、その証言と、‌‌チャールズ・ホルト中佐の公式メモ‌‌の公開に至るまでの経緯を詳述しています。

また、ウォーレンとロビンスは、事件の‌‌物理的証拠として採取された土壌分析の結果‌‌についても議論し、目撃者への‌‌軍からの脅迫や情報操作の試み‌‌といった、事件の論争的な側面にも触れています。

目次

  1. 前置き
    1. 関連
  2. 要旨
  3. レンデルシャムの森事件:ラリー・ウォーレンとピーター・ロビンスによる証言と調査のブリーフィング
    1. 要旨
    2. 1. 1980年レンデルシャムの森事件の概要
    3. 2. ラリー・ウォーレンの目撃証言
    4. 3. 論争と矛盾点
    5. 4. 物理的証拠と調査
    6. 5. 脅迫と隠蔽工作
    7. 6. 結論と現在の見解
  4. レンデルシャムの森事件に関するインシデント報告書
    1. 1.0 事件概要 (Incident Summary)
    2. 2.0 関係者情報 (Personnel Involved)
    3. 3.0 時系列による事象の経過 (Chronological Progression of Events)
    4. 4.0 目撃された物体および現象の詳細分析 (Detailed Analysis of Witnessed Objects and Phenomena)
    5. 5.0 事件後の対応と影響 (Post-Incident Actions and Effects)
    6. 6.0 証言の矛盾点と特記事項 (Discrepancies in Testimony and Noteworthy Items)
  5. レンデルシャムの森事件:情報公開と隠蔽工作に関する調査ジャーナル
    1. 序文:レンデルシャムの森に刻まれた謎
    2. 1. 公開の狼煙:ウォーレン氏の告発と「ホルト・メモ」
    3. 2. 公式記録と目撃証言の乖離
    4. 3. 隠蔽の構造:脅迫と情報統制の証拠
    5. 4. 物語の変遷:公式見解と証人の無力化
    6. 5. 物理的証拠:残された痕跡の科学的分析
    7. 結論:35年後のレンデルシャムの森
    8. 調査結果の要約
    9. 最終的な考察
  6. レンデルシャムの森の夜:ラリー・ウォーレンが見た真実
    1. 第三夜:未知との遭遇
    2. 後日談:沈黙の強制
    3. 内部告発者への道
    4. 結論:レンデルシャムの森が問い続けるもの
  7. レンデルシャムの森事件:主要登場人物ガイド
    1. 序文:事件の概要
    2. 1. 告発者:ラリー・ウォーレン
    3. 2. 最初の目撃者たち:Cフライトの遭遇 (12月25日-26日夜)
    4. 3. 指揮系統:公式記録と圧力 (12月27日以降の対応)
    5. 4. その他の重要目撃者:トラウマと恐怖
    6. 5. 結論:絡み合う証言と関係性の構図
  8. Larry Warren の証言と役割
    1. 1. 事件への関与と目撃証言
    2. 2. 最初の暴露と情報の流出(1983年)
    3. 3. 機密保持と脅迫の背景
    4. 4. 証言の再評価と物理的証拠
  9. その他の主要目撃者と出来事
    1. 1. 最初の夜とC-フライトの目撃者たち(12月25日/26日)
    2. 2. D-フライトの初期の目撃者とトラウマ
    3. 3. ハルト中佐の調査とエイドリアン・バスティンザ軍曹
    4. 4. 物理的証拠による裏付け
    5. 5. 軍の隠蔽と目撃者への圧力
  10. 調査と論争
    1. 1. 公式の調査と隠蔽(ハルト中佐の関与と圧力)
    2. 2. 調査情報の流出と論争
    3. 3. 科学的検証による確証(ロビンズと土壌分析)
    4. 4. 記憶と操作に関する論争(注射と埋め込み)
    5. 5. 継続的な論争の焦点
  11. 情報源

レンデルシャムの森事件:ラリー・ウォーレンとピーター・ロビンスによる証言と調査のブリーフィング

AI

要旨

このブリーフィング文書は、1980年12月に英国のRAFベントウォーターズ・ウッドブリッジ空軍基地周辺で発生した「レンデルシャムの森事件」に関するポッドキャストの文字起こしを統合・分析したものである。特に、事件の最初の内部告発者である元米空軍兵ラリー・ウォーレン氏と、彼の著書の共著者であるピーター・ロビンス氏の証言と調査に焦点を当てる。

本文書で詳述する主要な点は以下の通りである。

  • ラリー・ウォーレンの証言: ウォーレン氏は、事件3日目の夜(1980年12月27日深夜から28日未明)に、森林に隣接するキャペル・グリーンと呼ばれる野原で、物理的な航空機と非人間的な存在との遭遇を直接目撃したと主張している。彼の証言には、基地司令官ゴードン・ウィリアムズ大佐が現場にいたこと、複数の映画カメラが設置されていたこと、そして物体との間でテレパシーによる「相互作用」があったことが含まれる。
  • 物理的証拠: ピーター・ロビンス氏が主導した調査により、ウォーレン氏が物体の着陸地点と特定した場所から採取された土壌サンプルから、科学的に異常な結果が示された。これには、土壌のpH値の劇的な変化、4倍以上の鉄分含有量、そして最も重要な点として、砂が溶けてシリカ(ガラスの中間形態)に変化していたことが含まれる。この物理的証拠は、心理作戦(PsyOp)や誤認といった説明を覆す強力な根拠となる。
  • 矛盾と論争: ウォーレン氏の証言は、長年にわたり論争の的となってきた。特に、彼が最初に事件を公にした1983年の「ニュース・オブ・ザ・ワールド」紙の記事内容(彼はインタビューを否定)、同僚のエイドリアン・バスティンザ軍曹の体験談との混同、そして当時の基地副司令官チャールズ・ホルト中佐による長年の存在否定が挙げられる。
  • 脅迫と隠蔽工作: ウォーレン氏を含む複数の目撃者は、事件について口外しないよう「弾丸は安い」といった直接的な脅迫を受けたと証言している。また、ウォーレン氏は事件後、空軍から不可解な形で除隊させられており、組織的な隠蔽工作の存在が示唆される。

結論として、レンデルシャムの森事件は、複数の信頼性の高い軍関係者の目撃証言、公式文書(ホルト・メモ)、そして強力な物理的証拠が組み合わさった、UFO研究史上最も重要な事例の一つである。事件から数十年が経過した今もなお、目撃者間の対立や情報の混乱が続いているが、その核心には、通常の説明では解明できない異常現象が存在することが強く示唆されている。

1. 1980年レンデルシャムの森事件の概要

1.1. 事件の時系列

ポッドキャストの司会者リンダ・モールトン・ハウ氏による説明に基づき、事件は1980年12月の3夜にわたって発生した。

日付(夜間シフト)部隊主な関係者報告された出来事
12月25日~26日Cフライトジョン・バローズ、ジェームズ・ペニストン、エド・カヴァンセック森の中で奇妙な光を調査。バローズとペニストンは、光の中から現れた黒い三角形の航空機に遭遇。航空機にはシンボルが浮き出ていた。
12月26日~27日Dフライトボニー・タンプリン中尉シフト司令官のタンプリン中尉が森の中でジープに光が侵入するのを経験し、恐怖のあまり叫び声を上げ、任務から外された。
12月27日~28日Dフライトチャールズ・ホルト中佐、ラリー・ウォーレン、エイドリアン・バスティンザ他ホルト中佐が調査チームを率いて森に入る。ウォーレンは別部隊と共に森の別の場所で航空機と存在に遭遇したと主張。基地司令官ゴードン・ウィリアムズもいたとされる。

1.2. 主要人物

  • ラリー・ウォーレン: 事件当時、RAFベントウォーターズに所属していた米空軍兵。1983年に最初に事件を公にした内部告発者であり、本件の中心的な証人。
  • ピーター・ロビンス: ウォーレンの著書『Left at Eastgate』の共著者。ウォーレンの証言を検証するため、徹底的な調査を行った。
  • ジョン・バローズ: ポッドキャストの司会者であり、事件初日の中心的な目撃者の一人。
  • チャールズ・ホルト中佐: 事件当時の基地副司令官。「ホルト・メモ」として知られる公式覚書を執筆。彼の証言とテープ録音は事件の重要な証拠となっているが、ウォーレンら他の目撃者の存在については長年否定的な立場をとっていた。
  • エイドリアン・バスティンザ軍曹: Dフライトの軍曹で、ウォーレンと共に事件に遭遇。事件による精神的トラウマを負い、脅迫も受けたとされる。
  • ジェームズ・ペニストン軍曹: 事件初日にバローズと共に航空機に遭遇した中心的な目撃者。
  • ゴードン・ウィリアムズ大佐: 事件当時の基地司令官。ウォーレンは、彼が現場におり、非人間的な存在とコミュニケーションをとったと主張している。

2. ラリー・ウォーレンの目撃証言

2.1. 事件当夜の行動

ウォーレン氏は、事件当夜の行動を時系列で詳細に語っている。

  1. シフト開始前: 日中は非番で、イプスウィッチへ向かう。PXで「Keystone 110」カメラを購入し、基地のメインゲートとウッドブリッジ飛行場の東端の写真を試し撮りした。
  2. 任務開始: Dフライトの夜勤に就く。当初、前の晩の出来事に関する話は一切なかった。ベントウォーターズ基地の警備ポスト(P-18)に配置される。
  3. 招集と出動: ポストからピックアップトラックで呼び出される。運転はエイドリアン・バスティンザ(バスティ)。モータープールでライトオール(大型投光器)の準備が行われており、その後、部隊はウッドブリッジ飛行場の東端からレンデルシャムの森へ向かった。

2.2. キャペル・グリーンでの遭遇

ウォーレン氏が所属した部隊は、ホルト中佐の部隊とは別に、森の中のキャペル・グリーンと呼ばれる野原に到着した。

  • 現場の状況: 現場には既に多くの米空軍と英国警察の警備担当者が集まっていた。ウォーレン氏は、肩乗せ式のテレビニュースカメラのような映画カメラが2台設置されていたのを目撃した。彼は現場の感覚を「スローダウンしたような、半分のスピードで物事が進むような感じ」と表現している。
  • 現象の発生: 地面に霧のようなものが漂っていた。そこにバスケットボールのような琥珀色の光が飛来し、霧の上空で閃光を発した。
  • 物体の出現: 閃光の後、その場所には「デルタ形状で、常に変化し続ける、雪のように白い物体」が出現した。金属製や黒い物体ではなかったという。

2.3. 物体と「存在」の描写

ウォーレン氏は、物体から分離した現象と、その中に見たものについて詳述している。

  • 物体からシャボン玉のように青みがかった金色の光の球体が分離し、空中に浮かんだ。
  • その光の中に、「顔のようなもの」や輝くものが見えた。ウォーレン氏は、自身が「銀色のスーツを着た3体の存在」を直接見たわけではないと強調している。その描写は、他者が目撃したと聞いた話であり、後に「ニュース・オブ・ザ・ワールド」紙によって歪められたものだと主張する。
  • 彼は、基地司令官ゴードン・ウィリアムズが現場におり、物体との間に物理的な接触ではなく、テレパシーによる「相互作用(interaction)」があったと考えている。

2.4. 事件後の出来事

  • 身体的影響と記憶の欠落: 現場を離れた後、ウォーレン氏は口の中に金属の味を感じ、目がひどく潤むなどの体調不良を経験した。現場を離れてから中央警備指令所(CSC)に戻るまでの記憶が欠落している。
  • 母親への電話: 食堂でペニストン軍曹と遭遇した後、基地の公衆電話から母親に電話をかけ、「基地の近くにUFOが着陸した」と話したところ、通話が基地側から切断された。
  • デブリーフィングと脅迫: その日の午後、ジークラー司令官のオフィスに呼び出された。そこには私服の人間や海軍関係者もいた。事前に作成された「我々は非番中に光を見た」という内容の供述書に署名させられた。海軍の担当者から尋問を受け、その際に「もし我々を困難にさせるなら、弾丸は安いものだ」という脅し文句を言われた。また、遭遇した技術は「地球外(off-earth)」のものだと告げられた。

3. 論争と矛盾点

3.1. 「ニュース・オブ・ザ・ワールド」紙の報道

1983年10月2日、ウォーレン氏が「アート・ウォレス」という偽名で「ニュース・オブ・ザ・ワールド」紙に証言したと報じられた。しかし、ウォーレン氏はこれを明確に否定している。

  • ウォーレン氏の主張では、彼は同紙の記者キース・ビーブと短時間話したが、実名でのインタビューを拒否した。
  • 記事は、ウォーレン氏が研究者ラリー・フォーセットに提供した断片的な情報と、全く別の情報源の話を捻じ曲げて構成されたものであり、彼自身の直接のインタビューに基づくものではないとしている。
  • また、ホルト・メモが同紙に渡ったのは、英国の弁護士が25,000ポンドで売却したためだと述べている。

3.2. エイドリアン・バスティンザとの証言の混同

ウォーレン氏は、初期の証言において、自身の体験と、事件後に精神的ショックを受けていたエイドリアン・バスティンザ軍曹から聞いた話を混同して語っていたことを認めている。

  • 特に、黒い車で連れ去られ、地下施設のような場所で何らかの処置(注射など)を施されたという「非常に奇妙な記憶」について、当初はバスティンザの体験として語っていた。
  • しかし、後にそれは自分自身の体験であったと訂正している。この記憶は非常に断片的で主観的であり、彼はこれが一種の心理作戦や偽の記憶を植え付けるためのものだった可能性を示唆している。興味深いことに、ジェームズ・ペニストン軍曹も退行催眠下で注射をされたと証言している。

3.3. チャールズ・ホルト中佐との対立

ホルト中佐は長年にわたり、ウォーレン、バローズ、バスティンザが事件の中心的な目撃者ではないと主張し、特にウォーレンは当夜任務に就いていなかったとまで発言していた。

  • しかし、後にウォーレンの勤務記録や、ホルト自身の録音テープの音声分析により、これらの人物が現場にいたことが証明された。
  • ピーター・ロビンス氏が録音したホルト氏とのインタビューでは、ホルト氏はバローズとバスティンザが「我々の前方に進んだ」ことを認め、ウォーレンについても「我々の周りにいた可能性はある」と発言を修正している。
  • ロビンス氏は、ホルト氏がウォーレン氏に敵意を抱く理由として、①ウォーレン氏がきっかけでホルト・メモが公開され、ホルト氏のキャリアに傷がついたこと、②国家安全保障局(NSA)が自分ではなくウォーレン氏ら下士官に関心を示したことへの嫉妬、③当局からの圧力、の3点を挙げている。

4. 物理的証拠と調査

4.1. ピーター・ロビンスによる現地調査

ウォーレン氏とロビンス氏は1988年2月に事件現場を再訪。その際、彼ら自身も複数のUFOを目撃したとロビンス氏は語っている。この調査の最も重要な成果は土壌サンプルの採取であった。

4.2. 土壌分析の結果

ロビンス氏は、ウォーレン氏が物体の着陸地点と特定したキャペル・グリーンの楕円形の変色したエリアから土壌サンプルを採取し、スプリングボーン環境研究所の化学者マシュー・モニーツ氏に分析を依頼した。その結果は以下の通りである。

  • 撥水性: 影響を受けたとされる土壌は、水を混ぜても泥にならず、水面に浮くか塊になって沈んだ。これは土壌のpH値が「吹き飛ばされた」ためと分析された。
  • 種子の発芽阻害: 影響を受けた土壌で栽培された種子は、対照サンプルの土壌に比べて成熟が著しく遅れ、成長しても「突然変異株」しか生まれなかった。
  • 鉄分含有量: 影響を受けた土壌の微細な鉄粒子の含有量は、周辺地域の4倍以上であった。これは、強力な電磁気的効果によって鉄粒子がその場所に引き寄せられた可能性を示唆している。
  • 砂の融解: 最も劇的な発見は、影響を受けた土壌サンプルには砂が存在せず、シリカ(ガラス化する過程の中間物質)に融解していたことである。

4.3. 証拠の意義

ロビンス氏は、特に「砂がガラスに溶ける」という現象は、いかなる心理作戦(PsyOp)でも再現不可能であり、事件が物理的な現実であったことを示す決定的な証拠であると結論付けている。この物理的証拠は、軍の公式文書や複数の目撃証言と一致し、事件の信憑性を強固に裏付けている。

5. 脅迫と隠蔽工作

5.1. 「弾丸は安い」という脅し

ウォーレン氏は、事件後のデブリーフィングで海軍関係者から「弾丸は安い」と脅されたと証言している。また、リンダ・モールトン・ハウ氏によれば、この脅しは当初81st飛行隊司令官マルコム・ジークラーによるものとされていたが、エイドリアン・バスティンザ軍曹も同様の脅迫を受けていたことが確認されている。

5.2. 事件後のウォーレンの経歴

ウォーレン氏は事件後、身の危険を感じ、基地からの転属を希望したが、最終的に空軍側の「契約違反」という形で名誉除隊となった。この異例の除隊手続きは、基地司令官ゴードン・ウィリアムズ大佐自らが処理した。除隊後、彼の再入隊を妨げる特殊なコードが記録されており、彼が組織的に空軍から排除されたことを示唆している。

6. 結論と現在の見解

ラリー・ウォーレン氏とピーター・ロビンス氏が提供した情報は、レンデルシャムの森事件が単なる光の誤認や作り話ではなく、高度な技術を持つ物理的物体と、場合によっては非人間的知性が関与した、複雑かつ多層的な出来事であったことを強く示している。

ウォーレン氏の証言には、他の目撃者との矛盾や、彼自身の記憶の混乱に起因する問題点も存在する。しかし、彼の証言の核心部分は、ロビンス氏の調査によって発見された強力な物理的証拠によって裏付けられている。特に、砂がシリカに融解していたという土壌分析結果は、異常なエネルギー現象が現場で発生したことを科学的に示しており、事件の客観的な証拠として極めて重要である。

事件から35年以上が経過しても、目撃者間の対立や当局による情報操作の可能性が影を落としている。しかし、ウォーレン氏やバローズ氏らが訴えるように、事件によって人生に大きな影響を受けた目撃者たちが団結し、事実を追求し続けることの重要性は変わらない。この事件は、依然として解明されるべき多くの謎を残しており、その全容解明にはさらなる調査が不可欠である。

レンデルシャムの森事件に関するインシデント報告書

AI

1.0 事件概要 (Incident Summary)

本報告書は、1980年12月に英国サフォーク州のレンデルシャムの森において、米空軍(USAF)の複数の関係者が経験した一連の未確認航空現象(UAP)との遭遇事件に関する目撃証言を、客観的に統合し分析することを目的とする。報告は、関係者の証言、公式メモ、および事件後の調査から得られた情報に基づき、事象の全体像を構築するものである。

事件は1980年12月25日から28日にかけての三夜にわたり、英国のRAFベントウォーターズ・ウッドブリッジ基地に隣接するレンデルシャムの森で発生した。この期間中、基地に所属する複数の米空軍兵士が、説明のつかない光や物理的な飛行物体を目撃した。本報告書における主要な証言は、ラリー・ウォーレン空兵、ジョン・バロウズ空兵、およびチャールズ・ホルト中佐から得られたものであり、それぞれが事件の異なる局面における独自の視点を提供している。

本報告書では、まず事件に関与した主要人物の役割を整理し、次に三夜にわたる出来事の時系列を詳述する。その後、目撃された物体の物理的特徴や挙動を分析し、最後に事件後の公式対応と関係者に及ぼした長期的影響について考察する。

2.0 関係者情報 (Personnel Involved)

本事件の全体像を理解するためには、関与した主要人物の役割と階級を明確にすることが不可欠である。以下の表は、各人物の階級、役職、および事件における役割を整理したものである。これにより、各証言の背景にある階級構造と責任範囲の文脈が提供され、報告内容の理解が深まることが期待される。

氏名 (Name)階級、役職、および事件における役割 (Rank, Position, and Role in Incident)
ラリー・ウォーレン (Larry Warren)空兵(Airman First Class)、Dフライト所属。第三夜における主要目撃者の一人。
ジョン・バロウズ (John Burroughs)空兵(Airman First Class)、Cフライト所属。第一夜における主要目撃者の一人。
チャールズ・ホルト中佐 (Lt. Col. Charles Halt)基地副司令官(Deputy Base Commander)。第三夜の調査隊を率い、公式メモを作成。
エイドリアン・バスティンザ軍曹 (Sgt. Adrian Bustinza)Dフライト所属の軍曹。第三夜の目撃者であり、事件後に脅迫を受けたと証言。
ジェームズ・ペニストン三等軍曹 (Staff Sergeant James Penniston)Cフライト所属。第一夜にバロウズと共に物体に遭遇した主要目撃者。
エド・カヴァンセック空兵 (Airman Ed Kavancek)Cフライト所属。第一夜にバロウズ、ペニストンと共に森の調査に参加。
ボニー・タンプリン中尉 (Lt. Bonnie Tamplin)Dフライトのシフト司令官(Shift Commander)。第二夜に森で光を目撃し恐怖したため任務から外された。
ロバート・ボール曹長 (Master Sergeant Robert Ball)タンプリン中尉の後任としてDフライトの警備責任者に就任。
ゴードン・ウィリアムズ基地司令官 (Base Commander Gordon Williams)基地司令官。ウォーレン氏の証言によれば、第三夜の現場に存在し、非人間的存在とコミュニケーションをとったとされる。
マルコム・ジクラー飛行隊長 (Squadron Commander Malcolm Zickler)第81飛行隊長。事件の目撃者に対し、緘口令を敷き脅迫したとされる人物の一人。

この人物相関図は、次に詳述する時系列分析の理解を深めるための基礎となる。

3.0 時系列による事象の経過 (Chronological Progression of Events)

本事件は単一の出来事ではなく、1980年12月下旬の三夜にわたって展開した連続的な事象である。各夜の出来事を時系列で追跡することは、事件の複雑な全容を解明する上で極めて重要となる。

3.1 第一夜の事象 (1980年12月25日-26日)

12月25日の深夜から26日の早朝にかけて、Cフライトに所属するジョン・バロウズ空兵、ジェームズ・ペニストン三等軍曹、エド・カヴァンセック空兵は、森の中に現れた奇妙な光を調査するため基地から出動した。彼らの証言によれば、現場で「白い光の爆発」に遭遇し、その光の中から「表面にシンボルが浮き彫りになった黒い三角形の飛行物体」が出現したとされる。

3.2 第二夜の事象 (1980年12月26日-27日)

翌日の12月26日深夜から27日の早朝にかけて、Dフライトのシフト司令官であったボニー・タンプリン中尉が、森の中で自身の運転するジープに「光が侵入した」ことに極度の恐怖を感じ、任務から外されたと報告されている。彼女の交代後、ロバート・ボール曹長がDフライトの警備責任者に任命された。

3.3 第三夜の事象 (1980年12月27日-28日)

12月27日の深夜から28日の早朝にかけて、チャールズ・ホルト基地副司令官が自ら調査チームを率いて森に入った。チームはガイガーカウンター、カメラ、録音機材などを携行しており、十数名の部下で構成されていた。ラリー・ウォーレン氏の証言によれば、彼はホルト中佐の調査隊とは別のグループに所属し、森の別の場所で物体に遭遇したとされる。ウォーレン氏のグループが目撃した現象は以下の通りである。

  1. 地面に定義された形状を持つ「霧(mist)」が発生。
  2. 「バスケットボールのような赤い光」が飛来し、霧の上空で静止。
  3. 赤い光が「閃光(flash)」を発し、その場所に「白雪のようで、絶えず形状を変化させるデルタ翼状の物体」が出現した。

同時刻、エイドリアン・バスティンザ軍曹はジョン・バロウズ氏と共に光に向かっていた際、光によって地面に押し付けられるように感じたと証言している。彼はその状態で、バロウズ氏が赤とオレンジの光に包まれるのを目撃した。

これらの時系列的に並行し、かつ内容の異なる目撃証言は、本事件が単一の現象ではなく、複数の独立した、あるいは連動した事象で構成されていた可能性を示唆するものである。この複雑性を解明するため、次に各証言で報告された物体と現象の物理的特徴を詳細に分析する。

4.0 目撃された物体および現象の詳細分析 (Detailed Analysis of Witnessed Objects and Phenomena)

異なる夜に複数の目撃者によって観測された物体や現象の特徴を統合・分析することは、事件の性質を理解する上で極めて重要である。本セクションでは、各証言から一貫したパターンと特異な点を抽出し、その物理的特徴、挙動、および周辺環境への影響を分析する。

4.1 物体の物理的特徴

複数の証言から、物体の形状、材質、色、光源に関する記述を以下に整理する。

  • 第一夜の物体(バロウズ氏・ペニストン氏の証言):
    • 形状: 黒い三角形。
    • 表面: シンボルが浮き彫りになっている。
  • ホルト中佐のメモ:
    • 形状: 金属質で三角形。
    • 光源: 上部に脈動する赤い光、下部に青い光の列。
  • 第三夜の物体(ウォーレン氏の証言):
    • 形状: 絶えず形状が変化するデルタ翼状(deltoid-shaped)。物体は高さ15~20フィート(約4.5~6メートル)まで上昇し、広がったとされる。
    • 材質・色: 金属質でも黒くもなく、「白雪のよう」であった。
    • その他: 地面に定義された形状の「霧」から出現したとされる。

4.2 観測された挙動

物体の動きや光の挙動に関する証言には、いくつかの共通点と相違点が見られる。

  • 光の挙動: ホルト中佐のメモには、「赤い太陽のような光が動き回り、脈動し、光る粒子を放出した」後、「5つの別々の白い物体に分裂して消えた」と記録されている。一方、ウォーレン氏は、赤い光が飛来し「音もなく静かに閃光を発した」と証言しており、爆発的でありながら制御された現象であったことを示唆している。
  • 音の有無: ウォーレン氏は、物体が飛来した際も閃光を発した際も「全く音がなかった(no sound at all)」と強調している。

4.3 異常な環境効果

ウォーレン氏は、第三夜の現場において、特異な知覚効果を体験したと証言している。

  • 時間感覚の変化: 現場の時間が「半分の速度(half speed)」になったかのような感覚に陥った。
  • 体外離脱感覚: 自身が「体から少し半分抜け出し、何かを観察しているような(a little half out of yourself, kind of observing something)」解離的な状態を覚えた。

これらの物理的・感覚的な詳細な記述は、事件が単なる光の目撃に留まらない異常な現象であった可能性を示唆しており、事件後の公式対応と物的証拠の分析の重要性を浮き彫りにしている。

5.0 事件後の対応と影響 (Post-Incident Actions and Effects)

事件そのものだけでなく、その後の米空軍による対応と関係者への長期的な影響を分析することは、事件の重大性を評価する上で重要な指標となる。情報統制の試み、関係者への心身の影響、そして残された物理的証拠は、事件の異常性を物語っている。

5.1 公式対応および情報統制

複数の目撃者は、事件後に組織的な情報統制と脅迫があったと証言している。

  • 供述書への署名強要: 目撃者らは、「非番中に光を見た」という内容の事前に作成された供述書に署名を強要された。
  • 脅迫: 複数の目撃者が「弾丸は安い(bullets are cheap)」という言葉で脅迫を受けたと証言している。ラリー・ウォーレン氏は当初、この脅迫をマルコム・ジクラー飛行隊長によるものとしていたが、後の証言では、事件後の尋問中に海軍情報局(ONI)の担当者から発せられたものであると明確にしている。エイドリアン・バスティンザ軍曹も同様の脅迫があったと証言している。
  • 説明の強要: バスティンザ軍曹は、目撃した現象を「灯台の光」として説明するよう命令されたが、これを拒否した。
  • 通信の監視: ウォーレン氏が事件直後に母親に国際電話をかけた際、通話は基地側から切断され、後に彼はこの件で罰金を科された。

5.2 関係者への身体的・心理的影響

事件は、関係者に深刻な身体的および心理的影響を及ぼした。

  • 身体的症状: ウォーレン氏は事件直後、口の中に「金属味(metallic taste)」を感じ、目が充血し涙が止まらなかったと報告している。また、彼は閃光により「記録に残る目の損傷(damage to my eyes that it documented)」を負ったと主張している。
  • 心理的影響: ウォーレン氏によれば、バスティンザ軍曹は事件のトラウマから兵舎で泣き崩れるほど精神的に追い詰められていた。

5.3 物理的証拠の分析

事件現場では、複数の物理的な異常が報告・分析されている。

  • ホルト中佐のメモ:
    • 第一夜の現場で「三角形の窪み」が発見された。
    • 窪みからは「低レベルのベータ・ガンマ放射線」が検出された。
  • ピーター・ロビンス氏による土壌分析:
    • 1988年以降に第三夜の現場(キャペル・グリーン)で採取された土壌サンプルを分析した結果、以下の異常が確認された。
      • 水分との反応: 土壌が水分と混ざらず、泥にならなかった。pH値が失われていた。
      • 種子発芽実験: サンプル内の土壌で育てた種子は発芽が大幅に遅れ、「突然変異株(mutant strains)」のみが育った。
      • 鉄分含有量: 周辺地域の4倍を超える鉄の微粒子が検出された。これは強力な電磁気効果を示唆している。
      • 砂の変質: 土壌中の砂が存在せず、融解してシリカ(ガラスの中間形態)に変化していた。

これらの事件後の対応、関係者への影響、そして物理的証拠は、本事件が単純な誤認ではなく、高度な技術が関与した異常な出来事であった可能性を示唆している。特に、物理的証拠は、証言の信憑性を巡る複雑な論点を提示している。調査官ピーター・ロビンス氏が指摘するように、「いかに巧妙な心理作戦であったとしても、砂をガラスに融解させることはできない」。

6.0 証言の矛盾点と特記事項 (Discrepancies in Testimony and Noteworthy Items)

本事件の報告を完了するためには、証言間に存在する矛盾点や、事件の解釈に影響を与える可能性のある特記事項を客観的に評価することが不可欠である。これらの要素は、事件の複雑性と、潜在的な情報操作の可能性を示唆している。

6.1 『ニュース・オブ・ザ・ワールド』紙報道に関するラリー・ウォーレン氏の主張

ラリー・ウォーレン氏は、1983年に本事件を最初に公にした『ニュース・オブ・ザ・ワールド』紙の記事について、自身は同紙から直接のインタビューを受けていないと主張している。彼の証言によれば、この記事は、ホルト中佐のメモが英国の弁護士によって同紙に売却された後、ウォーレン氏が米国の調査員に語った断片的な供述を元に、新聞社側が構成したものであり、一部の内容は誇張または不正確であるとしている。

6.2 チャールズ・ホルト中佐の証言との相違点

チャールズ・ホルト中佐は長年にわたり、ラリー・ウォーレン氏やジョン・バロウズ氏が第三夜の事件当夜に現場にいなかった、あるいは中心的な役割ではなかったと主張してきた。しかし、ホルト中佐自身の録音テープにはバロウズ氏の名前が言及されており、後のインタビューでは彼の主張と矛盾する発言が記録されている。そのインタビューでホルト中佐は、「ラリー(・ウォーレン)は我々の前線には出なかったが、我々の周囲にいた可能性はある」と述べた後、「ジョン(・バロウズ)とエイドリアン(・バスティンザ)は我々の前線に出た」と明確に認めている。この発言は、彼が長年維持してきた公的見解を直接覆すものであり、証言の信憑性評価における重要な矛盾点である。

6.3 記憶の不整合と潜在的介入に関する証言

事件の複雑さをさらに増しているのが、主要な目撃者による記憶への介入を示唆する証言である。

  • ラリー・ウォーレン氏は、事件後のある時点で黒い車で連れ去られ、注射を含む何らかの「臨床的な状況(clinical situation)」に置かれたという、断片的で主観的な記憶について語っている。
  • 同様に、ジェームズ・ペニストン氏も、催眠療法下で注射をされたと証言している。

主要な目撃者であるウォーレン氏とペニストン氏が、それぞれ独立した形で、事件後に薬物を注射された可能性を示唆する類似した記憶を報告している点は、事件後の情報統制や記憶への介入に関する調査の必要性を強く示唆するものである。これらの矛盾点や特異な証言は、レンデルシャムの森事件が単純な目撃事件ではなく、事件後の情報統制や心理的介入の可能性を含む、極めて複雑な事象であったことを示唆している。

レンデルシャムの森事件:情報公開と隠蔽工作に関する調査ジャーナル

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序文:レンデルシャムの森に刻まれた謎

この調査ジャーナルの目的は、1980年12月に英国サフォーク州に駐留する米空軍基地周辺で発生した「レンデルシャムの森事件」の真相解明を妨げた要因を体系的に分析することにある。この事件は単なる未確認飛行物体(UFO)の目撃談ではない。複数の米空軍兵士による詳細な証言、それに対する組織的な圧力、矛盾を抱えた公式記録、そして情報の意図的な操作が複雑に絡み合う、軍事情報統制のあり方を問う重要なケーススタディである。本記録の目的は、事件を長年覆い隠してきた、意図的に歪曲された公的記録を正すことにある。その歪曲は、一報を報じたタブロイド紙の扇情的な記事に端を発し、今日に至るまで真相の探求を妨げ続けている。

本ジャーナルは、まず事件が初めて公になった経緯を検証し、ラリー・ウォーレン氏という一人の空軍兵士の名を騙って書かれた不正確な記事と、その一方で告発に信憑性を与えたチャールズ・ホルト中佐の公式メモ「ホルト・メモ」の登場から分析を始める。次に、公式記録と現場の目撃者たちが体験した出来事との深刻な乖離を検証し、その背後にある脅迫や情報統制の具体的な証拠を提示する。さらに、事件の物語が年月を経てどのように操作され、目撃者の証言が無力化されていったかを考察し、最後に、人間の記憶や意図を超えた客観的な証拠として、現場から採取された土壌サンプルの科学的分析結果を詳述する。この時系列に沿った分析を通じて、レンデルシャムの森事件における隠蔽工作の構造を浮かび上がらせる。

1. 公開の狼煙:ウォーレン氏の告発と「ホルト・メモ」

1980年12月の事件後、約3年間にわたり公式には沈黙が保たれていたレンデルシャムの森の謎が、初めて公の場に姿を現したのは、一人の元空軍兵士、ラリー・ウォーレン氏の行動がきっかけであった。彼の情報提供は、軍の厳格な情報統制に風穴を開け、事件を国際的な議論の俎上に載せるという戦略的に極めて重要な役割を果たした。しかし、彼の意図とは裏腹に、公の物語は初手から歪められることになる。彼の証言と時を同じくして明るみに出た、事件当時の副基地司令官チャールズ・ホルト中佐が作成した公式文書、通称「ホルト・メモ」の存在が、事件の骨子に決定的な信憑性を与えた。この二つの要素—歪曲された報道と公式な記録—の組み合わせが、その後の事件調査に混乱と確信を同時にもたらしたのである。

最初のメディア報道の分析

事件が最初に報じられたのは、1983年10月2日付の英国の大衆紙『News of the World』であった。この記事は「サフォークにUFO着陸(UFO lands in Suffolk)」という衝撃的な見出しで一面を飾り、世間の注目を集めた。記事は、ラリー・ウォーレン氏が「アート・ウォレス」という偽名で自身の体験を告白したかのように構成されていた。

しかし、この報道こそが、事件を長年覆い隠すことになる「神話」の始まりであった。ウォーレン氏は後年ポッドキャストで、「私は『News of the World』とは一度も話していない」と明確に否定している。彼によれば、この記事は、彼が別の調査員に提供した断片的な情報や、同僚であったエイドリアン・バスティンザ軍曹から聞いた話を記者が組み合わせて作り上げた、完全な捏造であった。タブロイド紙特有の扇情的な脚色が加わったことで、事実は誇張され、歪曲された。この最初の、そして決定的に不正確な報道は、客観的な事実とメディアによる創作を切り分けることを困難にし、事件解明の道を著しく曇らせる原因となった。

「ホルト・メモ」の役割と内容の評価

ウォーレン氏の名を騙った報道と同時に明るみに出た「ホルト・メモ」は、事件の信憑性を担保する上で極めて重要な役割を果たした。これは事件の副基地司令官であったチャールズ・ホルト中佐が、1981年1月13日付で英国国防省に提出した公式な覚書であり、軍が「未確認の光(unexplained lights)」に関する調査を行っていたことを公式に認めるものであった。メモには以下の具体的な内容が記載されている。

  • 事件発生日時: 1980年12月27日午前3時頃。
  • 目撃された物体: 森の中で目撃された奇妙な光る物体は、「金属的で三角形」をしており、「上部に脈動する赤い光、下部に青い光の列」があった。
  • 物理的痕跡: 翌日、現場の地面で三角形の窪みが発見され、そこから低レベルのベータ・ガンマ放射線が検出された。
  • 二日後の現象: 12月28日の夜には、「太陽のような赤い光」が観測された。それは脈動しながら動き回り、ある時点で「光る粒子を放出し、5つの白い物体に分裂して消滅した」。

このメモは、軍上層部が事件を単なる誤認として処理せず、公式な記録として残していたことを証明する動かぬ証拠となった。

公式メモが事件の客観的な存在を裏付ける一方で、ウォーレン氏をはじめとする目撃者たちが語る詳細な体験との間には、無視できない大きな隔たりが存在していた。次のセクションでは、公式記録が触れることのなかった、より衝撃的な目撃証言の数々を掘り下げていく。

2. 公式記録と目撃証言の乖離

公式記録である「ホルト・メモ」は、事件の骨子を認めるものではあったが、その記述は極めて限定的であった。一方で、現場にいた複数の目撃者たちが体験した出来事は、公式メモが描く光景を遥かに超える、異常かつ衝撃的なものであった。この公式記録と目撃証言との間に存在する深刻な乖離こそが、軍当局が情報をどこまで公にし、何を意図的に隠蔽しようとしたのかを解明する上で、核心的な手がかりとなる。

ラリー・ウォーレン氏が証言する第三夜の光景

『News of the World』紙がウォーレン氏の証言として報じた内容は、彼が後に語った実際の体験とは全く異なる。タブロイド紙は「巨大なアスピリン」のような物体や「機械的な機体」について報じたが、ウォーレン氏自身の証言はより奇妙で、そして具体的であった。彼の証言によれば、ホルト中佐の調査隊とは別の場所で目撃された光景には、「ホルト・メモ」には一切記録されていない以下の要素が含まれている。

  • 大規模な動員と撮影: 現場には約200名に及ぶ米英空軍の兵士が集結し、複数のムービーカメラが設置されていた。
  • 物体の出現: 地面には円形の物体ではなく、「地面に漂う霧、靄」があった。ウォーレン氏はそれを「輪郭のはっきりした、閉じ込められた霧」と表現している。
  • 変容する物体: その霧の上にバスケットボール大の琥珀色の光が飛来し、閃光を放った。その直後、霧があった場所には、「デルタ形状の、絶えず形を変える物体」が出現した。それは金属的でも黒くもなく、「雪のように白く、永遠に形を変え続けていた」という。
  • 生命体の存在に関する伝聞: ウォーレン氏自身は直接見ていないが、他の目撃者から「3体の銀色のスーツを着た生命体(beings)が搭乗していた」と伝え聞いた。
  • 基地司令官の関与: ゴードン・ウィリアムズ基地司令官が現場におり、何らかの形で物体とのインタラクション(相互作用)があったとウォーレン氏は主張している。

これらの証言は、公式メモが描く「未確認の光の調査」という枠組みを大きく逸脱しており、事件がより大規模で、かつ異質なものであった可能性を示唆している。

他の目撃者の証言と体験

ウォーレン氏以外の目撃者もまた、深刻な体験をしていた。

  • エイドリアン・バスティンザ軍曹は、ジョン・バローズ空軍兵と共に森の中の光に向かって歩いていた際、突如何らかの力によって地面に倒され、目の前でバローズ氏が赤い光に包まれるのを目撃したと証言している。
  • ボニー・タンプリン中尉は、事件当夜のD分隊シフト司令官であったが、森の中で彼女が乗るジープに光が侵入するという恐怖体験により、叫び声をあげて泣き崩れ、職務から外されたと報告されている。

これらの証言は、事件が複数の人員に深刻な心理的・物理的影響を与えていたことを示しており、公式記録の簡潔さとは著しく対照的である。

公式記録と目撃証言の間に存在するこの大きな隔たりは、単なる記憶違いや認識の齟齬では説明がつかない。この情報の食い違いが、意図的な情報統制と、目撃者への圧力の結果であった可能性を、次のセクションで検証していく。

3. 隠蔽の構造:脅迫と情報統制の証拠

レンデルシャムの森事件の真相解明を妨げた直接的な要因は、目撃者に対して行われた組織的な圧力と厳格な情報統制にあった。これらの行為は、事件の物理的な側面だけでなく、関係者の心理を支配し、真実の口外を封じ込めるために行われた「第二の事件」とも言うべきものであった。公式記録と目撃証言の乖離は、この隠蔽構造によって意図的に生み出された可能性が極めて高い。

目撃者への直接的脅迫

ラリー・ウォーレン氏とエイドリアン・バスティンザ軍曹が共通して証言しているのが、「銃弾は安い(bullets are cheap)」という直接的な脅迫文句である。この言葉は、目撃した事柄について口外すれば命の保証はないという、紛れもない脅しであった。

ウォーレン氏が後にポッドキャストで語ったところによると、この脅迫は当初噂されていたマルコム・ジークラー飛行隊長からではなく、事情聴取の場で発せられたという。その場には米海軍関係者も同席しており、脅迫は‌‌海軍情報局(O&I)‌‌から派遣されたと思われる身元不明の聴取官から行われた。これは、基地内の指揮系統だけでなく、より上位の、あるいは外部の諜報機関が事件後の情報管理に深く関与していたことを示す強力な証拠である。

組織的な情報管理の分析

軍が事件に関する情報を厳格に管理しようとしていた証拠は、複数の目撃者の証言から浮かび上がってくる。

  • 事前作成された供述書への署名強要 目撃者全員が、「我々は非番で、いくつかの光を見た」という内容の、事前に作成された定型文の供述書に署名を強要された。これにより、個々の詳細な体験は公式記録から排除され、事件は矮小化された。
  • 虚偽報告の命令 エイドリアン・バスティンザ軍曹は、森で目撃した現象を「遠くにある灯台の光」だと説明するよう上官から命令された。しかし、彼はこの虚偽報告を拒否したと証言している。これは、当局が事件を既知の現象で説明しようと積極的に画策していた証拠である。
  • 通信の傍受と遮断 事件直後、ウォーレン氏が基地内の公衆電話から米国の母親に電話をかけ、「UFOが着陸した」と話した途端、基地側から通話が切断された。このエピソードは、事件に関する外部への情報流出を阻止するため、通信が監視・統制されていたことを示している。
  • 異例の人事措置 ウォーレン氏が空軍から除隊する際の手続きは、異例にもゴードン・ウィリアムズ基地司令官自身によって処理された。さらに、彼の記録には再入隊を不可能にする特殊なコードが付与された。この、基地司令官による一兵士の除隊手続きへの異例の個人的関与は、先述の私用電話の傍受と合わせることで、基地最高司令部レベルで特定の「情報漏洩者」を標的とした封じ込め戦略が存在したことを明確に示している。

このように目撃者への直接的な圧力と組織的な情報統制が行われた一方で、事件の公式な物語もまた、時間をかけて巧妙に操作されていった。次のセクションでは、その物語の変遷を分析する。

4. 物語の変遷:公式見解と証人の無力化

事件から時間が経過するにつれ、隠蔽工作は新たな段階に入った。それは、当初は事件の存在を認めていた公式な立場の人物、特にチャールズ・ホルト氏自身によって、事件の物語が徐々に変えられていくという長期的な情報戦略であった。この戦略の目的は、事件の核心部分を曖昧にし、特に詳細で衝撃的な内容を証言する主要な目撃者たちの信憑性を切り崩すことであった。

ホルト中佐の態度の変化

事件当初、チャールズ・ホルト氏は公式メモを作成し、放射線量や物体の形状といった具体的な事実を記録した張本人であった。しかし、後年になると、彼は主要な目撃者であるラリー・ウォーレン氏、ジョン・バローズ氏、エイドリアン・バスティンザ軍曹らが「現場にいなかった」、あるいは「事件の中心的な役割ではなかった」と主張し始める。

この主張は、後に客観的な証拠によって覆される。ポッドキャスト内でジョン・バローズ氏が指摘しているように、ホルト氏自身が録音したテープの音声分析により、バローズ氏とバスティンザ軍曹が現場にいたことが明確に証明された。この事実を突きつけられた後、ホルト氏は部分的に証言を修正せざるを得なくなった。この態度の変化は、彼が事件の物語を特定の方向に誘導しようとしていたことを示唆している。

証言の無力化戦略の分析

ホルト氏が後に展開したもう一つの論法は、さらに巧妙かつ危険な情報戦であった。それは、「目撃者たちは(薬物注射などで)いじられたため、彼らの記憶は信用できない」という主張である。

この論法は、隠蔽工作の証拠そのものを、証言を無力化するための武器として利用するという、極めて高度な情報操作である。ホルト氏は、目撃者たちが受けた尋問や記憶操作の可能性を逆手に取ったのだ。この戦略は、事件の異常性を認めつつも(「彼らはいじられた」)、その最も不都合な詳細(生命体の存在など)をすべて「信頼性のない記憶」の問題にすり替える。これは、洗練された偽情報戦の典型的な手口である。

皮肉なことに、この「薬物注射」という主張には、それを裏付けるかのような証言が存在する。ラリー・ウォーレン氏とジム・ペニストン氏は、それぞれ別の機会に行われた催眠療法下で、事件後に何者かによって「薬物を注射された」と証言している。ホルト氏の戦術は、この隠蔽の痕跡自体を、目撃者の証言を無効化するための根拠として巧みに利用するものであった。

公式見解の変遷と証言の無力化工作が行われる中で、事件の物理的な証拠が客観的な真実を指し示していることの重要性は増すばかりである。次のセクションでは、その科学的分析を詳述する。

5. 物理的証拠:残された痕跡の科学的分析

矛盾する証言や時間と共に変遷する物語とは対照的に、客観的な科学分析が可能な物理的証拠は、レンデルシャムの森事件の真相を解明する上で決定的な重要性を持つ。特に、事件から年月が経過した後に収集・分析された土壌サンプルは、人間の記憶や意図、そして情報操作を超えたレベルで、その場所に異常な出来事が起きたことを物理的に証明する可能性を秘めている。

土壌サンプルの収集と分析

ラリー・ウォーレン氏の共著者であるピーター・ロビンス氏は、ウォーレン氏が「物体が静止していた」と正確に指摘した場所から、比較対照用のサンプルと共に土壌を収集した。このサンプルは、マサチューセッツ州のSpringborn環境研究所に送られ、化学者マシュー・モニーツ氏によって詳細な分析が行われた。その結果、以下の驚くべき異常が確認された。

  • 疎水性(水を弾く性質): 物体が静止していたとされる場所から採取された土壌は、水を加えても泥にならず、水面に塵のように浮くか、塊のまま底に沈んだ。分析の結果、土壌のpH(酸性・アルカリ性の度合い)が失われており、水と均一に統合する能力を喪失していたことが判明した。
  • 鉄分の異常な濃縮: 周辺地域の土壌と比較して、問題のサンプルに含まれる微細な鉄の粒子は、4倍以上の濃度で検出された。モニーツ氏は、これを説明できる唯一の要因として、その場所に極めて強力な電磁場効果が発生し、周囲の土中から鉄分が引き寄せられた可能性を指摘している。
  • 砂の溶融: 沿岸に近いこの地域の土壌には砂が含まれるのが通常だが、問題のサンプルからは砂が発見されなかった。その代わり、砂は溶けてガラスの中間形態であるシリカに変化していた。これは、極めて高いエネルギーが土壌に加えられたことを示す、動かぬ物理的証拠である。
  • 種子の発芽阻害: サンプル内の土壌で種子を発芽させる実験を行ったところ、対照サンプルでは正常に成長したのに対し、問題のサンプルで発芽した種子は成長が著しく遅れ、「突然変異株」しか生まれなかった。これは、土壌が生物の成長を阻害する何らかの影響を受けていたことを示している。

証拠の評価

これらの科学的分析結果は、目撃者が語る「異常なエネルギーを持つ物体が地上近くに存在した」という証言を強力に裏付けるものである。特に、砂が溶けてシリカに変化していたという事実は決定的だ。ピーター・ロビンス氏が指摘するように、「心理作戦が砂をガラスに溶かすことはない」。この物理的証拠は、事件が単なる目撃者の作り話や、灯台の光の誤認、あるいは軍による心理作戦(PsyOp)であったとする説を、科学的に否定する根拠となる。

科学的証拠が事件の異常性を裏付ける一方で、35年が経過してもなお、関係者の証言は食い違い、真相は公式に解明されていない。この埋まらない溝は、事件の複雑さと、その背後にある情報統制の根深さを物語っている。

結論:35年後のレンデルシャムの森

この調査ジャーナルを通じて、レンデルシャムの森事件の真相解明がなぜこれほどまでに困難であるのか、その多層的な要因が明らかになった。事件は単一の現象ではなく、物理的な出来事とその後の組織的な情報操作という二つの側面から構成されている。

調査結果の要約

本調査で明らかになった、真相解明を妨げた主要因は以下の通りである。

  • メディアによる初期報道の歪曲: 事件を最初に報じたタブロイド紙による、目撃者への直接取材に基づかない扇情的な報道が、事実関係を混濁させ、事件の客観的な評価を初期段階から困難にした。
  • 公式な情報隠蔽: 軍当局は、チャールズ・ホルト中佐のメモによって事件の存在を限定的に認めつつも、生命体の目撃や基地司令官の関与といった、より詳細で衝撃的な体験を公式記録から意図的に排除した。
  • 目撃者への脅迫と圧力: 「銃弾は安い」という直接的な脅迫や虚偽報告の命令といった手段により、目撃者の証言は封じ込められ、あるいは歪められた。
  • 長期的な物語の操作: 主要人物であったホルト氏自身が、後年になって目撃者の証言の信憑性を切り崩すような発言を繰り返した。これは、事件の核心を曖昧にし、不都合な証言を「信頼できないもの」として無力化するための長期的な情報戦略であった可能性が高い。

最終的な考察

事件から35年が経過した今もなお、なぜ真相が完全に明らかにされないのか。それは、この事件が単なる未確認飛行物体の目撃談ではなく、軍や情報機関が未知の技術や存在との接触という事態に直面した際、それをいかに管理し、その情報を独占し、そして国民の目から隠蔽しようとするかを示す、極めて重要な事例だからであろう。

物理的な証拠は、森の中で異常なエネルギー現象が起きたことを科学的に示している。しかし、その現象が何であったのかという核心に迫る証言は、組織的な圧力と巧妙な情報操作によって分断され、無力化されてきた。目撃者たちが受けた心身への深刻な影響と、真実を語るために費やした彼らの長年の闘いこそ、この事件が残した最も重要な遺産である。ラリー・ウォーレン氏が語ったように、「我々に何かが起きた。そしてそれは、灯台なんかでは決してなかった」。レンデルシャムの森に刻まれた謎は、未だ解明されることなく、国家による情報統制のあり方を静かに問い続けている。

レンデルシャムの森の夜:ラリー・ウォーレンが見た真実

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1980年12月、世界が冷戦の氷のような緊張に包まれる中、イギリスのサフォーク州、ロンドンの北東に位置する海岸近くに、米空軍のRAFベントウォーターズとウッドブリッジという二つの基地があった。鉄のカーテンを挟んだ睨み合いが続く時代、この場所は西側陣営の最前線として、常に張り詰めた空気に満ちていた。華やかなクリスマスの季節とは裏腹に、そこには核戦争への paranoia が色濃く漂っていた。

物語の主人公は、ラリー・ウォーレン。この基地に配属されたばかりの若き空軍兵だった。彼は「Dフライト」と呼ばれる部隊に所属し、基地の警備任務に就いていた。彼が歴史の目撃者となる運命の夜は、すでに不穏な前兆から始まっていた。

  • 第一夜(12月25日〜26日): クリスマスの夜、ジョン・バロウズとジェームズ・ペニストンという二人の兵士が、基地に隣接するレンデルシャムの森で謎の光を目撃。調査に向かった彼らは、そこで信じがたい黒い三角形の物体に遭遇する。
  • 第二夜(12月26日〜27日): ウォーレンが所属するDフライトの指揮官、ボニー・タンプリン中尉が森で再び謎の光に遭遇。彼女はジープの中にまで光が侵入してきたことに激しく動揺し、恐怖のあまり任務から外されるという異常事態が発生した。

基地内には、言葉にできない緊張感が静かに広がり始めていた。そして、ウォーレン自身が歴史的な事件の渦中に足を踏み入れることになる第三の夜が訪れようとしていた。

第三夜:未知との遭遇

12月27日の夜、ウォーレンが警備任務に就いていると、無線から緊迫した声が響いた。「ライトが戻ってきた」。その一言が、運命の夜の始まりを告げた。彼は他の兵士たちと共にピックアップトラックに乗り込み、真っ暗な森へと向かう。

森の入り口に着くと、そこは異様な雰囲気に包まれていた。多数の米空軍保安警察と地元の英国警察官(ボビー)が集結し、複数の大型ムービーカメラが設置されている。ウォーレンの証言によれば、そこに英国軍の姿はなかった。これは単なる演習や異常事態への対応ではない。まるで、何かを記録し、待ち構えているかのような光景だった。ウォーレンは、まるで「自分自身の身体から半分抜け出して、何かを観察している」かのような、非現実的な感覚に襲われ始めた。

森の奥深く、畑に面した場所へと進んだ彼が目撃した現象は、常識を根底から覆すものだった。

  • 第一段階:霧と光の玉 地面には、輪郭がはっきりとした不思議な霧が漂っていた。それはまるで、見えない容器に収められているかのようだった。その霧の上空に、バスケットボールほどの大きさの、琥珀色に輝く赤い光の玉が静かに降りてきた。
  • 第二段階:閃光と謎の物体 次の瞬間、赤い光の玉は音もなく閃光と共に爆発。目も眩むような光が収まると、その場所には全く別の物体が出現していた。それは「白く、雪のようで、絶えず形を変え続けるデルタ翼のような物体」だった。ウォーレンは後に「それは金属製でも黒くもなかった」と証言している。それは、既知のどんなテクノロジーとも似ていない、有機的で流動的な存在だった。
  • 第三段階:生命の兆候 その白い物体から、泡が分離するように青と金色の光が生まれた。その光の中には、「顔のようなもの」が見えたといいます。そして、ウォーレンは、その場にいた基地司令官ゴードン・ウィリアムズ大佐が、その光の存在と何らかの「インタラクション(相互作用)」を行っているのを目撃したと主張している。

この信じがたい光景は、まるで映画を観ているかのようだった。そしてそれは、彼の人生を永遠に変える出来事の序章に過ぎなかった。

後日談:沈黙の強制

未知の物体との遭遇後、ウォーレンの心身には明らかな異変が生じていた。口の中には金属のような味が広がり、目の痛みは止まず、彼は「完全に石のように冷たいショック状態」に陥っていた。しかし、彼を待ち受けていたのは手厚いケアではなく、彼が仕える組織による冷徹で、迅速な圧力だった。彼の現実は、系統的に解体されようとしていた。

  • 食堂での警告 事件の翌朝、食堂で同僚のジム・ペニストンに昨夜の出来事について尋ねようとしたウォーレンは、厳しい言葉で口を封じられる。「黙ってろ(shut the F up)」。それは、この事件について語ることを禁じる、最初の明確な警告だった。
  • 監視される通信 不安に駆られたウォーレンが基地内の公衆電話からアメリカにいる母親に国際電話をかけ、「UFOが着陸したんだ」と話し始めた途端、通話は意図的に切断された。基地が彼の通信を監視していたことは明らかだった。

そして、組織的な隠蔽工作はさらに本格化する。ウォーレンは他の目撃者たちと共に呼び出され、事前に用意された「我々は勤務時間外に光を見ただけだ」という内容の声明文に署名を強制された。尋問の場で、彼らは真実を漏らせば命の保証はないという、紛れもない脅迫を受ける。この脅迫は、同僚のエイドリアン・バスティンザをはじめとする他の目撃者たちにも向けられており、ウォーレン自身も尋問の場で同じ言葉を耳にした。「弾丸は安い(bullets are cheap)」。皮肉なことに、この場で目撃した物体は「地球外の技術(off earth tech)」であると説明されたにもかかわらず、彼らは沈黙を誓わされたのだ。

恐怖と不信感の中、ウォーレンは真実を求める長い道のりを歩み始めることを決意する。

内部告発者への道

軍からの圧力と監視の下、ウォーレンは孤独と恐怖に苛まれていた。転機が訪れたのは1981年3月。同じく事件を目撃した同僚のエイドリアン・バスティンザが彼の部屋を訪れ、脅迫された恐怖とトラウマから、彼の前で「むせび泣き」、完全に泣き崩れたのだ。仲間の軍曹が流す涙を目の当たりにし、ウォーレンは固く誓う。「どちらかが、この物語を必ず世に出そう」。

そして1983年、事態は劇的に動く。事件当時、副基地司令官だったチャールズ・ハルト中佐が作成した公式メモが、情報公開請求によって公になったのだ。そのメモには、基地のレーダーに捉えられた未確認飛行物体の存在や、着陸痕から検出された微量の放射能について記されていた。これは、彼らの体験が単なる幻覚ではなかったことを証明する、決定的な証拠となった。

しかし、このメモの公開は、ウォーレンを新たな苦悩へと突き落とす。英国のタブロイド紙「ニュース・オブ・ザ・ワールド」が、センセーショナルな記事を掲載したのだ。ウォーレンは、この記事が全くの捏造であったと強く主張している。

項目ウォーレンの主張
インタビュー記事のための正式なインタビューは一切受けておらず、「ニュース・オブ・ザ・ワールド」紙とは一度も話していない。
記事の内容別の研究者に提供した部分的な証言メモが、本人の同意なく同紙に渡され、憶測を交えて歪められた。
「銀色のスーツの宇宙人」ウォーレン自身が見たものではなく、他の目撃者の話や憶測が、あたかも彼の直接の目撃談であるかのように報じられた。

不正確な報道は、彼に自らの手で真実の物語を語る必要性を痛感させた。ここから、共著者ピーター・ロビンスとの出会いを経て、自らの体験を綴った著書『Left at Eastgate』の執筆へと繋がっていくのである。

結論:レンデルシャムの森が問い続けるもの

レンデルシャムの森事件が、なぜ「英国版ロズウェル事件」と呼ばれ、40年以上経った今でも世界中の研究者や愛好家の関心を惹きつけてやまないのだろうか。その理由は、単なるUFO目撃談にとどまらない、深く、そして不可解な要素が絡み合っているからだ。

この事件の特異性は、まず基地のナンバー2であったチャールズ・ハルト副司令官自身が、UFOの出現と物理的証拠について記録した公式文書の存在にある。さらに、一兵士から基地司令官まで、階級も立場も異なる多数の軍関係者が、一貫して異常な体験を証言している。これは集団幻覚では説明がつかない。そして何より、目撃者たちへの「弾丸は安い」という脅迫や、強制的な声明文への署名など、軍による組織的な隠蔽工作の疑惑が、事件の背後に何か重大な秘密が隠されていることを強く示唆している。

しかし、この事件が問い続けるものは、それだけではない。現場の土壌からは、砂が融解してガラス質に変化した痕跡が発見された。心理的な影響はあまりに大きく、目撃者たちの間には今なお癒えることのない対立と不信が渦巻いている。ラリー・ウォーレンは、あの夜の出来事は偶然ではなく、自分たちは「そこにいるべきだった」という、運命的な感覚を抱き続けている。

彼らが求めたのは、名声や金銭ではなかった。ただ、あの夜、自分たちの目の前で一体何が起こったのか、その真実が明らかにされることだけだった。レンデルシャムの森の闇は、今なお多くの謎を抱えたまま、私たちに静かに問いかけ続けているのだ。

レンデルシャムの森事件:主要登場人物ガイド

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序文:事件の概要

1980年12月、イギリスのRAFベントウォーターズ・ウッドブリッジ基地に隣接するレンデルシャムの森で、米空軍兵士たちが数夜にわたり未確認の光や飛行物体に遭遇しました。後に「イギリスのロズウェル事件」とも呼ばれるこの出来事は、目撃者の証言が食い違い、公式記録と内部告発が対立するなど、関わった者たちの記憶、トラウマ、そして対立が織りなす人間ドラマでもあります。このガイドは、事件に関わった主要人物たちの役割と彼らの複雑な関係性を解き明かすためのものです。

1. 告発者:ラリー・ウォーレン

ラリー・ウォーレン (Larry Warren)

  • 当時の階級と所属: 米空軍一等空兵、Dフライト所属。RAFベントウォーターズ基地に配属。
  • 事件での役割: 1980年12月27日から28日にかけての夜、ホルト中佐の調査隊とは別のグループで森に入り、物体と「搭乗していた存在」を目撃したと主張。
  • 事件後の行動: 事件を最初に公にした重要人物。後にピーター・ロビンスと共著で『Left at Eastgate』を出版。

告発の代償:歪められた証言

ウォーレンの主張は、事件の真相を巡る議論で極めて重要ですが、その公表の経緯は複雑です。

  1. 基地司令官の存在: 基地司令官であったゴードン・ウィリアムズも森の現場におり、地球外生命体と何らかの交流を持ったと一貫して主張しています。
  2. 『ニュース・オブ・ザ・ワールド』紙の真相: 1983年のタブロイド紙リークは、長らくウォーレンが直接語ったものとされてきました。しかしウォーレン本人は、同紙の記者に直接インタビューを受けたことは一度もないと断言しています。彼の証言は、米国の研究者ラリー・フォーセットに提供した部分的な供述が、本人の許可なく英国のタブロイド紙に売却され、脚色されて記事になったものだと主張しています。兵舎で泣き崩れるほどトラウマを負った同僚エイドリアン・バスティンザ軍曹の体験を世に出すという約束が、彼がフォーセットに語る動機でしたが、その結果は彼の意図しない形で歪められてしまいました。

ウォーレンの告発が事件を世に知らしめたが、その数日前、森の闇の中では既に、別の兵士たちが未知との静かなる戦いを始めていた。

2. 最初の目撃者たち:Cフライトの遭遇 (12月25日-26日夜)

事件の口火を切ったのは、クリスマスに森へ調査に向かった最初の目撃者たちでした。

人物名階級と所属最初の遭遇での役割
ジョン・バロウズ (John Burroughs)米空軍一等空兵、Cフライト12月25日夜から26日朝にかけ、奇妙な光を調査するため森に入った最初の3人のうちの1人。黒い三角形の飛行物体に遭遇した。後にポッドキャストの司会者となる。
ジェームズ・ペニストン (James Penniston)米空軍三等軍曹バロウズと共に森に入り、物体に遭遇した最初の目撃者の1人。事件後、食堂でウォーレンに「ウォーレン、黙りやがれ」と恫喝に近い警告を発し、沈黙を強いる圧力の存在を示唆した。

彼らの体験は事件の第一夜に発生し、この最初の遭遇が、その後の調査やさらなる目撃といった後続の出来事すべての引き金となりました。

第一夜の遭遇が謎の幕開けとなる一方、基地司令部では事態を掌握し、情報を統制しようとする動きが密かに始まっていた。

3. 指揮系統:公式記録と圧力 (12月27日以降の対応)

事件に対応した基地の指揮官たちと、彼らが取ったとされる行動は、事件の隠蔽と圧力の側面を浮き彫りにします。

チャールズ・ホルト中佐 (Lt. Col. Charles Halt)

  • 役職: RAFベントウォーターズ・ウッドブリッジ基地副司令官。
  • 公式な行動: 1981年1月13日付で「未確認の光 (Unexplained Lights)」に関する公式メモを作成・署名。12月27日夜、調査チームを率いて森に入り、ガイガーカウンター等で調査する様子を録音した。この録音は、後に「ホルト・テープ」として知られるようになる。
  • 目撃者との関係: ウォーレンのリークが自身のキャリアに傷をつけたと感じており、彼に強い敵意を抱いている。この一件の後、彼の昇進は停滞した。当初ウォーレンらの存在を否定していたが、後にバロウズとバスティンザが彼のチームより先行していたことを認めている。

ゴードン・ウィリアムズ (Gordon Williams)

  • 役職: 基地司令官。
  • ウォーレンの主張: ウォーレンは、ウィリアムズが森の現場にいて、存在とコミュニケーションを取ったと主張している。
  • 事件後の行動: ウォーレンの除隊手続きを直接処理するという異例の対応を取った。キャリアが停滞したホルトとは対照的に、最終的に二つ星の将軍として退役した。

マルコム・ジクラー (Malcolm Zickler)

  • 役職: 第81飛行隊司令官。
  • ウォーレンの主張: ジクラーのオフィスでの事情聴取の際、目撃者たちは「我々を困らせるなら、弾丸は安いものだ (bullets are cheap)」と脅迫され、沈黙を強要された。さらに、事件当夜は「非番だった」とする、事前に作成された虚偽の供述書への署名を強制された。この脅迫は、エイドリアン・バスティンザ軍曹のような兵士に直接向けられた。

司令官たちが沈黙を強いる中、森で光に直面した兵士たちの心には、消せない恐怖とトラウマが刻み込まれていた。

4. その他の重要目撃者:トラウマと恐怖

事件は、最前線にいた兵士たちに深刻な精神的影響を及ぼしました。

エイドリアン・バスティンザ軍曹 (Sgt. Adrian Bustinza)

  • 経験: バロウズと共にいた際、光によって地面に押さえつけられる感覚を味わった。非常に大きな精神的トラウマを負い、後に兵舎の部屋で泣きじゃくりながらウォーレンにその体験を語った。
  • 受けた圧力: 「弾丸は安い」という脅迫を受け、光を「灯台の反射」と偽って報告するよう命じられたが、嘘をつくことを拒否した。

ボニー・タンプリン中尉 (Lt. Bonnie Tamplin)

  • 役職: Dフライトのシフト司令官。
  • 経験: 12月26日夜、森でジープに光が入り込む体験をし、恐怖のあまり叫び声をあげて泣き出し、任務から外された。後日、ラリー・ウォーレンは彼女がオフィスで「二度と夜にあんな忌々しい森には行かない」と叫ぶ場面を目撃している。

これらの兵士たちの個人的な体験と、指揮系統による公式記録。二つの異なる物語が交錯し、事件の複雑な人間模様を織りなしていく。

5. 結論:絡み合う証言と関係性の構図

レンデルシャムの森事件の真相は、登場人物たちの対立、トラウマ、そして食い違う記憶の中に埋もれています。

  • 対立と不信 (ホルト vs. ウォーレン) 公式記録を作成したホルト中佐と、事件を最初に暴露したウォーレンとの間の根深い対立。ホルトは、ウォーレンが原因でキャリアが停滞したと感じ、ウォーレンは、ホルトを隠蔽体質の一部と見なしている。ウォーレンの証言がタブロイド紙によって歪められたことで、両者の不信感は決定的なものとなった。
  • 共有されたトラウマ (ウォーレンとバスティンザ) バスティンザの深いトラウマ(兵舎で嗚咽するほどの)を受け止め、彼の代わりに物語を公にしようとしたウォーレン。しかし、その善意は第三者の手によって歪曲され、結果的にウォーレン自身の証言の信憑性までをも揺るがすことになった。二人の関係は、事件が兵士に与えた傷の深さと、真実を語ることの困難さを象徴している。
  • 異なる夜の目撃者たち (Cフライト vs. Dフライト) 事件は複数の夜にわたって発生し、関与した兵士のグループも異なる。第一夜のバロウズやペニストンの物体との物理的な近接遭遇と、第二夜以降のホルト隊やウォーレン隊が体験した、より大規模で混乱した状況は、同じ事件の異なる側面を映し出している。これらは矛盾ではなく、事件の多層的な全体像を理解するために不可欠な、それぞれの視点からの断片なのである。

Larry Warren の証言と役割

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レンドルシャム・フォレスト事件(1980年12月)のより大きな文脈において、ラリー・ウォーレン(Larry Warren)は、‌‌最初に事件の真実の一部を公に暴露した人物‌‌として歴史的に重要な役割を果たしています。

彼の証言と役割に関して、これらのソースから読み取れる主要な点は以下の通りです。

1. 事件への関与と目撃証言

ラリー・ウォーレン(Lawrence Patrick Warren、一等空兵)は、1980年12月にサフォーク州RAFベンツウォーターズ・ウッドブリッジ基地のD-フライトに配属されていました。彼が関わったとされるのは、12月27日の午後11時から12月28日の午前7時までのD-フライトの2回目の深夜シフトの間でした。

彼は、チャールズ・ハルト中佐が光を探知機、ガイガーカウンター、カメラなどを持ってフォレストに入った夜に、別の場所で活動していたと主張しています。

ウォーレンは、以下のような出来事を目撃したと述べています。

  • ‌現場の様子:‌‌ 敷地内には約200人のRAFおよび米空軍の警備員がおり、複数のムービーカメラが設置され、ヘリコプターが上空を飛行していました。
  • ‌物体との遭遇:‌‌ 当初、地面に休息しているように見える物体を目撃しました。それは「‌‌巨大なアスピリン‌‌」のように見え、‌‌透明‌‌でした(しかし、後に彼は、News of the Worldが報じたような円形のものではなく、‌‌地面に定義された霧/フォグ‌‌であったと修正しています)。
  • ‌爆発と変容:‌‌ 赤いボール状の光が樹上から透明な物体に向かって降りてきて、音もなく‌‌爆発‌‌し、あたりはあらゆる種類の色彩で満たされ、彼らは目が見えなくなりました。色彩が収まると、そこには機械(機体)がありました。この機体は金属製や黒ではなく、雪のように白く、絶え間なく形状が変化する‌‌三角形(デルトイド型)‌‌でした。
  • ‌搭乗者の情報:‌‌ 彼は機体の反対側にいたため、搭乗者自身を見ることはできませんでしたが、他の人々は搭乗者がいると証言し、彼らは‌‌銀のスーツ‌‌を着た3人の存在だったと述べていました。

2. 最初の暴露と情報の流出(1983年)

ウォーレンの最も大きな役割は、レンドルシャム事件を公衆に知らしめた最初の目撃者となったことです。

  • News of the Worldへのリーク:‌‌ 1983年10月2日、彼は「アート・ウォレス(Art Wallace)」という偽名を使ってUKの新聞‌‌『News of the World』‌‌に初めて事件のニュースをリークしました。一面記事には「UFO lands in Suffolk, the forest exploded with blinding light」という大きな見出しが躍りました。
  • ‌ハルト・メモの公開:‌‌ このインタビュー記事には、当時の副基地司令官であったチャールズ・ハルト中佐が1981年1月13日に署名した公文書(未確認の光に関するメモ)も一緒に再録されていました。この文書は、軍のセキュリティ要員がレンドルシャム・フォレストで「奇妙な光る物体」を見たことを公式に認めるものでした。
  • ‌証言の混合:‌‌ ウォーレンは1986年のインタビューで、News of the Worldに話した内容は、彼自身の経験だけでなく、1981年3月にバラックの部屋で泣き崩れていたD-フライトの軍曹エイドリアン・バスティンザ(Adrian Bustinza)から聞いた話も混ざっていたと認めています。
  • ‌誤解された報道:‌‌ 2015年のインタビューで、ウォーレンは実際には‌‌『News of the World』の記者と直接話していない‌‌と述べ、報道された内容は、彼がラリー・フォーセットに提供した部分的な証言や推測が捻じ曲げられたものであったと説明しています。例えば、彼が直接搭乗者を見たという記述は、新聞が作り上げたものでした。

3. 機密保持と脅迫の背景

事件後、軍の目撃者たちには口止めと威圧が行われました。

  • ‌「弾丸は安い」という脅し:‌‌ ウォーレンは、81飛行隊司令官のマルコム・ジクラーが目撃者たちに対し、「我々にとって事を難しくするなら、弾丸は安い(bullets are cheap)」と脅したとされる言葉を聞いたと述べています。この脅迫は、バスティンザ軍曹にも向けられていました。
  • ‌報告書の強制:‌‌ 彼は、自分が「非番であった」という内容が事前に作成された書類に署名させられ、質問することは許されなかったと述べています。
  • ‌海軍による事情聴取:‌‌ 彼はジクラーのオフィスで海軍の軍人(ロンドンのO&I(Operation and Intelligence)の一員)から事情聴取を受け、そこで「弾丸は安い」という脅しをデブリーフィング担当者から直接受けました。

4. 証言の再評価と物理的証拠

ウォーレンの証言は、ピーター・ロビンズとの共著『Left at Eastgate』で詳細に展開され、事件のリアリティを固めることに貢献しました。

  • ‌場所の特定と土壌分析:‌‌ 1988年にロビンズと共にイギリスに戻った際、ウォーレンは事件が起こった場所を正確に特定しました。ロビンズがその場所(Capel Green)から採取した土壌サンプルを分析したところ、対照サンプルと比較して、土壌のpHが失われていたり、鉄の粒子の量が4倍以上多かったり、砂が溶けてシリカ(ガラスの中間形態)に変化していたりするなどの異常が確認されました。ロビンズは、‌‌心理作戦が砂を溶かしてガラスに変えることはできない‌‌と述べ、この物理的証拠が事件の現実を裏付けると考えています。
  • ‌挿入された記憶(インジェクション):‌‌ ウォーレンは、通常遭遇したフォレストの出来事とは別に、自身が拉致され、注射された(injected)という「非常に異様な記憶」を催眠下で語っています。彼はこれが「封じ込め(containment)」のためのプラグインされた狂った情報、または臨床的なシナリオであったと考えています。これは、ジム・ペニストンが催眠下で注射されたと証言したことと共通しています。

ウォーレンは、自分が最初に名乗りを上げて以降、この問題に関わることは「悪夢」であったとし、名声ではなく、真実を明らかにし、他の人々(特に被害を受けた同僚たち)を前に出すことが目的であったと繰り返し強調しています。彼は、事件が灯台の光などではない、心を揺さぶる出来事であったと強く主張し続けています。

その他の主要目撃者と出来事

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レンドルシャム・フォレスト事件(1980年12月)は、ラリー・ウォーレン一等空兵の証言だけでなく、複数の目撃者と、数日間にわたる出来事、そしてその後の物理的証拠によって構成されています。

これらのソースは、ラリー・ウォーレン以外の‌‌主要な目撃者とその経験‌‌、そして事件の特異な‌‌物理的証拠と軍の隠蔽工作‌‌について、以下の点を強調しています。


1. 最初の夜とC-フライトの目撃者たち(12月25日/26日)

事件の実際の始まりは、クリスマス夜の深夜シフト、1980年12月25日午後11時から26日午前7時までのC-フライトでした。

  • ‌ジョン・バロウズ(John Burroughs)一等空兵、ジェームズ・ペニストン(James Penniston)二等軍曹、エド・カヴァンスク(Ed Kavancek)空兵‌‌は、森の中で急速に移動する奇妙な光を調査するために基地外へ出ました。
  • バロウズとペニストンは、白い光の閃光に遭遇し、そこから‌‌シンボルが盛り上がった黒い三角形(トライアングル・クラフト)‌‌が現れたとされています。
  • ‌ペニストン‌‌は、ウォーレンが目撃した翌日(12月28日または29日)の朝、チャウホールでウォーレンに対し、事件について口外しないよう警告しました。
  • ‌ペニストンとウォーレン‌‌の両者は、後に催眠療法下で、‌‌注射‌‌をされたという記憶を語っており、これは軍による情報操作(「プラグインされた狂った情報」)または臨床的な封じ込めシナリオであった可能性が示唆されています。

2. D-フライトの初期の目撃者とトラウマ

12月26日午後11時から27日午前7時までのD-フライトの最初の深夜シフトでも異常事態が発生しました。

  • ‌ボニー・タンプリン(Bonnie Tamplin)中尉‌‌はD-フライトのシフト司令官でしたが、森の中で‌‌彼女のジープに光が入り込む‌‌という出来事に非常に恐れおののき、悲鳴を上げ、泣き崩れたため、職務から外されました。ラリー・ウォーレンは後に、彼女がドゥルーリーのオフィスで「狂乱し」(go crazy)、夜勤を拒否する様子を直接目撃しています。
  • タンプリン中尉が外された後、‌‌ロバート・ボール(Robert Ball)二等軍曹‌‌がD-フライトの警備責任者に残されました。ボール軍曹は、ラリー・ウォーレンの目撃時に現場にいましたが、彼は‌‌青い光の中に搭乗者らしきもの‌‌を見たかもしれないと述べていたとされています。

3. ハルト中佐の調査とエイドリアン・バスティンザ軍曹

12月27日午後11時から28日午前7時までのD-フライトの2回目の深夜シフトは、チャールズ・ハルト中佐が調査隊を率いて森に入った夜です。

  • ‌チャールズ・ハルト中佐‌‌は、この夜、探知機、ガイガーカウンター、カメラなどを持って十数人の隊員と共に森に入り、奇妙な光とビームについて全員が話していることをテープ録音しました。
  • ハルト中佐は1981年1月13日付の公式メモで、12月27日午前3時頃に軍の警備員が、‌‌金属製で三角形、上部に赤い脈動する光、下部に青い光の列を持つ‌‌「奇妙な光る物体」を見たことを公式に認めています。
  • メモはさらに、2晩後(おそらく29日未明)、‌‌「赤い太陽のような光」‌‌が動き、光る粒子を放出し、それが5つの白い物体に分かれて消えたと述べています。
  • ‌エイドリアン・バスティンザ(Adrian Bustinza)二等軍曹‌‌は、ラリー・ウォーレンと共にD-フライトのシフトにいて、ウォーレンをピックアップしたトラックを運転していました。
  • バスティンザ軍曹は、12月28日未明にジョン・バロウズの隣を歩いているとき、光によって地面に押し倒されたような感覚を経験し、バロウズが赤とオレンジの光に囲まれているのを見ました。
  • バスティンザは、事件のトラウマから1981年3月にバラックで泣き崩れ、ラリー・ウォーレンに対し、事件の‌‌口止め‌‌をされたこと、そして「‌‌弾丸は安い‌‌ (bullets are cheap)」という脅迫を受けたことを告白しました。彼はこの現象を遠くの灯台の反射として説明するよう命じられましたが、嘘をつくことを拒否しました。

4. 物理的証拠による裏付け

ラリー・ウォーレンと共著者ピーター・ロビンズ(Peter Robbins)が行った数年間にわたる調査は、目撃証言の信頼性を裏付ける物理的証拠を発見しました。

  • ‌土壌分析:‌‌ 1988年、ロビンズはウォーレンが特定したキャペル・グリーン(Capel Green)の現場から土壌サンプルを採取しました。
    • この土壌は、対照サンプルと比較して、‌‌鉄粒子の量が4倍以上‌‌含まれており、強力な電磁気的影響があったことを示唆しています。
    • 土壌はpH値が失われ、水と均一に混ざり合えなくなっていました。
    • 最も劇的な発見は、土壌中の砂が‌‌溶けてシリカ(ガラスの中間形態)‌‌に変化していたことです。ロビンズは、‌‌いかなる心理作戦(SIOP)であっても砂をガラスに変えることはできない‌‌ため、この物理的証拠は事件が現実であったことを固めるものだと論じています。
    • また、この土壌で発芽させた種子は、成長に時間がかかり、‌‌変異株‌‌のみが生産されました。

5. 軍の隠蔽と目撃者への圧力

事件の文脈全体を通して、軍指導部が情報を積極的に抑圧していたことが明らかになっています。

  • ウォーレンやバスティンザを含む目撃者たちは、上官(マルコム・ジクラー司令官など)や海軍のデブリーフィング担当者から、‌‌沈黙を強いられる‌‌脅迫を受けました。
  • 目撃者たちは、「非番であった」とする‌‌事前に作成された書類‌‌に署名させられました。
  • ハルト中佐は、事件後、長年にわたり‌‌バロウズとバスティンザが現場にいなかった‌‌と主張することで、目撃者たちの話を信用できないものにしようと努めましたが、後にハルト中佐自身のテープから彼らの存在が確認され、証言を覆すこととなりました。

これらの出来事と証拠は、レンドルシャム・フォレスト事件が、単なる誤認や自然現象ではなく、軍の保安要員が遭遇した複数の夜にわたる‌‌物理的かつ心理的な衝撃を伴う、機密性の高い事件‌‌であったという全体像を構築しています。


レンドルシャム・フォレスト事件を理解することは、複雑なパズルのピースを合わせるようなものです。目撃者たちの証言は、それぞれが夜の異なる時間、異なる場所で起こった出来事を捉えており、その断片的な情報が、物理的な異常(溶けた砂や放射線)という「動かせない証拠」によって補強されることで、事件全体が強固なものとなっています。同時に、目撃者たちへの一貫した「脅迫」と「情報操作」は、この事件の軍事的な重要性と隠蔽の深さを示しています。

調査と論争

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レンドルシャム・フォレスト事件のより大きな文脈において、これらのソースは、この事件が単なるUFO目撃報告にとどまらず、‌‌公式の調査、軍による広範な隠蔽、そして後の民間の科学的検証と、目撃者間および公的記録に関する継続的な論争‌‌によって定義されてきたことを示しています。

ラリー・ウォーレンの役割と、その他の主要目撃者の証言の信憑性をめぐる戦いは、この調査と論争の核心をなしています。

1. 公式の調査と隠蔽(ハルト中佐の関与と圧力)

この事件に関する最も重要な公式文書は、当時の副基地司令官であったチャールズ・ハルト中佐が1981年1月13日に署名した公文書(ハルト・メモ)です。

  • ‌ハルトの調査:‌‌ ハルト中佐は、12月27日から28日の夜、十数名の隊員を率いて森に入り、奇妙な光とビームについて全員が話していることをテープに録音しました。
  • ‌初期の公式見解:‌‌ ハルト・メモは、軍の警備員が「‌‌金属製で三角形‌‌」の奇妙な光る物体を見たこと、そして、その翌日には現場に‌‌三角形のくぼみ‌‌が見つかり、‌‌低レベルのベータガンマ放射線‌‌を放出していたことを公式に認めました。
  • ‌軍による圧力と口止め:‌‌ 事件後、目撃者たちは沈黙を強いられました。81飛行隊司令官マルコム・ジクラーや海軍のデブリーフィング担当者から、情報を漏らせば「‌‌弾丸は安い‌‌ (bullets are cheap)」と脅迫されたとウォーレンは証言しています。
  • ‌書類の強制署名:‌‌ ウォーレンを含め、目撃者たちは、「非番であった」という内容が事前に作成された書類に署名することを余儀なくされ、質問は許されませんでした。
  • ‌目撃者の不当な扱い:‌‌ ハルト中佐自身が長年にわたり、ジョン・バロウズやエイドリアン・バスティンザといった主要な目撃者が現場にいなかった、あるいはラリー・ウォーレンが非番であったと主張し、目撃者たちの話を信用できないものにしようと努めました。これは、ハルト中佐のキャリアに影響を与えたFOIAによるメモの公開や、彼自身が関心を持たれなかったことに対する‌‌個人的な憤りや嫉妬‌‌が背景にある可能性が示唆されています。

2. 調査情報の流出と論争

事件の真実が公に出た過程そのものが、大きな論争の種となりました。

  • ‌ウォーレンによる最初の暴露:‌‌ 1983年10月、ラリー・ウォーレンが偽名(アート・ウォレス)を使って『News of the World』紙に情報をリークし、ハルト・メモが再録されたことで、事件が世界に知られるきっかけとなりました。ウォーレンは「歴史的な英雄」と見なされています。
  • ‌報道の歪曲と情報源の混合:‌‌ ウォーレンは、実際には『News of the World』の記者と直接話しておらず、記事の内容は、ラリー・フォーセットに提供した部分的な証言や、トラウマを負ったエイドリアン・バスティンザ軍曹から聞いた話が混ざり、新聞社によって脚色されたものだと述べています。
  • ‌FOIA請求の役割:‌‌ ハルト・メモは、ウォーレンから情報提供を受けたラリー・フォーセットとバリー・グリーンウッドが起こした情報公開法(FOIA)請求の結果として公開されました。

3. 科学的検証による確証(ロビンズと土壌分析)

ラリー・ウォーレンと共著者ピーター・ロビンズによる民間の調査は、事件のリアリティを固める物理的証拠をもたらしました。これは、軍の隠蔽や心理作戦(SIOP)の論争に対抗する重要な要素です。

  • ‌現場の特定:‌‌ 1988年、ウォーレンは事件が起こったキャペル・グリーン(Capel Green)の正確な場所を特定しました。
  • ‌土壌サンプルの異常:‌‌ ロビンズが採取した土壌サンプルを分析したところ、以下の異常が確認されました:
    • ‌鉄粒子の量が4倍以上‌‌であり、強力な電磁気的影響があったことを示唆。
    • 土壌の‌‌pHが失われ‌‌、水と均一に混ざらなくなった。
    • 最も決定的なのは、土壌中の砂が熱によって‌‌溶けてシリカ(ガラスの中間形態)‌‌に変化していた点です。
  • ‌SIOP説への反論:‌‌ ロビンズは、「‌‌いかなる心理作戦であっても砂をガラスに変えることはできない‌‌」と結論付け、物理的な証拠が目撃者の証言の現実を裏付けていると強調しています。
  • ‌生物学的な影響:‌‌ サンプルで発芽させた種子は、成熟に時間がかかり、‌‌変異株のみが生産された‌‌ことも確認されています。

4. 記憶と操作に関する論争(注射と埋め込み)

主要な目撃者であるウォーレンとジェームズ・ペニストンが、催眠療法の下で、軍によって‌‌注射された‌‌という記憶を語ったことは、論争と憶測を深めました。

  • ‌記憶の不確かさ:‌‌ ウォーレンは、この「非常に異様な記憶」(赤色のシートに座らされ、注射されるなど)が、事件の核心から目をそらすための「‌‌封じ込めのためにプラグインされた狂った情報‌‌」(臨床的なサイオプス・シナリオ)だった可能性があると考えています。
  • ‌軍の目的:‌‌ ペニストンも注射をされたと証言したことで、なぜ軍が目撃者をそのように扱ったのかという疑問が生じています。これは、彼らが何を遭遇したのかを特定するためか、あるいは狂った話を植え付けて証言の信用を失わせるため(両方かもしれない)か、議論を呼んでいます。
  • ‌ハルトの関心:‌‌ ハルト中佐が、ウォーレンの「地下施設での経験」に関する催眠テープを執拗に入手しようとした事実も、この記憶操作に関する軍の関心の高さを裏付けています。

5. 継続的な論争の焦点

事件発生から35年以上が経過した後も、以下の論争が続いています。

  • ‌灯台説(Lighthouse Theory):‌‌ 目撃者たちは現象を灯台の反射として説明するよう命じられましたが、現在に至るまで、一部の懐疑論者(リッドパス)はこの説を固守しており、真実の追求を妨げています。
  • ‌ハルトの信頼性:‌‌ ハルト中佐が、自身のテープによって目撃者の存在が確認された後も、彼らの証言を軽視し続けた姿勢は、事件の隠蔽と、目撃者が直面した長期的な不信感を象徴しています。

調査と論争という文脈において、これらのソースは、レンドルシャム・フォレスト事件が、‌‌強力な電磁現象と物理的痕跡‌‌を伴う現実の出来事であったこと、そしてそれを隠蔽しようとする‌‌軍の組織的な努力‌‌があったことを示しています。ロビンズによる土壌分析は、目撃者たちの体験を「心理作戦」や「誤認」として片付ける試みに対して、最も強力な反証を提供しています。


‌調査と論争の比喩‌

レンドルシャム・フォレスト事件をめぐる調査と論争は、まるで‌‌霧の中で行われた考古学の発掘‌‌に似ています。最初に軍が公式に調査し(発掘作業)、その結果(ハルト・メモ)の一部を意図的に歪曲して(偽装した土器)封印しました。しかし、数年後、一般の探求者(ウォーレンとロビンズ)がその封印を破り、現場から採取された物理的証拠(溶けた砂)が、軍の物語(灯台の光や心理作戦)では説明できない、真に異質な事象がそこで起こったことを証明しています。真実の姿は、発見された断片的な証拠と、それを隠そうとする継続的な努力の間に横たわっています。

情報源

動画(1:56:17)

9 - 10-08-15: Larry Warren, USAF, and Peter Robbins, Author

www.youtube.com/watch?v=HsR1RiW4coM

16,400 views 2015/11/28

(2025-11-13)