Jimmy Akin の 『ヨハネの黙示録』の解説
要旨
ヨハネの黙示録: 論争と解釈
この音声文字起こしは、聖書の最も論争の的となる書物として知られる「ヨハネの黙示録」の概要を述べています。語り手のジミー・エイキン氏は、この書物が持つ豊かな象徴性と、その解釈を巡る多様かつ矛盾した見解が多くの論争を引き起こしていると説明しています。
特に、黙示録を現在の出来事と関連付けて解釈する「新聞解釈」というアプローチが批判され、過去2000年間、黙示録の予言の成就を予測しようとする試みがすべて失敗してきたと指摘されます。さらに、この書物の起源と作者についても考察されており、その文学形式が巨大な手紙であり、ヨハネという名の人物によって、恐らく追放先のパトモス島で書かれた可能性が議論されています。
目次
ヨハネの黙示録:論争と解釈に関するブリーフィング
要旨
『ヨハネの黙示録』(または『聖ヨハネの黙示録』)は、新約聖書の中で最も論争の的となる書で あり、唯一、預言のみを主題としています。その核心的な論争は、本書をいかに解釈すべきかという問題に起因します。現代では、本書を現代の出来事や近未来の予言と結びつける「新聞釈義」的なアプローチが広く見られますが、これは歴史的に全ての予測が外れてきたという事実と矛盾します。
本書の文学形式は、古代の基準では異例の長さ(ギリシャ語で9,852語)を持つ「巨大な書簡」であり、アジア州(現在のトルコ西部)の7つの教会、ひいては全教会に向けて書かれました。その内容は、旧約聖書の預言の伝統を継承し、それを集大成するものとして構成されています。
著者については「ヨハネ」と名乗る人物であること以外は不明ですが、伝統的には使徒ヨハネとされてきました。しかし、追放という刑罰の性質から、エルサレムの貴族階級出身であった可能性のある「長老ヨハネ」を著者とする説も存在します。本書が執筆された第一の目的は、1世紀の読者に対し、ローマ世界で「間もなく起こるべきこと」、すなわちキリスト教徒への迫害と、彼らを抑圧する異教的世界秩序に対する神の裁きを警告することでした。
1. 序論:聖書で最も論争の的となる書
『ヨハネの黙示録』は、その劇的なイメージ、説得力のある象徴、そして不朽のテーマにより、読者を魅了する一方で、聖書の中で最も物議を醸す書物とされています。その内容は象徴に満ちており、解釈が非常に難解であるため、一般信徒だけでなく多くの牧師でさえ、この書を取り上げることをためらいます。例えば、プロテスタントの改革者ジャン・カルヴァンは、新約聖書の中で唯一この書に関する注釈書を執筆しませんでした。
この書を巡る論争の主な原因は、数え切れないほどの著者たちが発表してきた、互いに矛盾する多種多様な解釈の存在にあります。これらの解釈の混乱が、本書の論争的な性質をさらに強固なものにしています。
2. 現代的解釈と「新聞釈義」の問題点
近年、『ヨハネの黙示録』に関する書籍、映画、ビデオが数多く制作されています。これらの多くは、「預言の専門家」と称する人々が主張する、近未来に起こりうるとされる出来事を探求するものです。
- 代表的な事例:
- ハル・リンゼイ: 1970年に出版された『The Late Great Planet Earth』は数百万部を売り上げ、差し迫った「携挙」(真のキリスト教徒が天のイエスのもとに引き上げられる出来事)の概念を広めました。彼はその後も同様のテーマで続編を執筆しました。
- 『レフトビハインド』シリーズ: ティム・ラヘイとジェリー・ジェンキンスによる全16巻の小説シリーズ。携挙とその前後の世界をフィクションとして描きながらも、黙示録が予測する実際の未来に基づいていると主張し、この種の 思想を大衆化しました。
- 「新聞釈義」(Newspaper Exegesis):
- 学者たちは、『ヨハネの黙示録』や他の預言書を、その時々のニュースに合わせて都合よく解釈する手法を「新聞釈義」と呼んでいます。
- これは、黙示録の出来事が自らの時代に成就していると見なす、2000年にわたって繰り返されてきた誘惑です。
- しかし、これまでの歴史において、特定の日時を予測する試みは、例外なくすべて失敗に終わっています。
このアプローチは、本書が本来意図したメッセージから逸脱する危険性をはらんでいます。本書が真に語りかけているのは、現代の出来事ではなく、1世紀の読者が直面していた状況である可能性が高いです。
3. 『ヨハネの黙示録』の独自性
『ヨハネの黙示録』は、新約聖書の中でいくつかの点で際立った特徴を持っています。
3.1. 新約聖書における位置づけ
『ヨハネの黙示録』は、聖書の正典の最後に配置されています。これは、本書が世界の終わりに関する預言を含んでいるため、論理的な順序として最後に置くのが適切だからです。しかし、これは執筆された 年代順を意味するものではなく、他の新約聖書の書物が黙示録より後に書かれた可能性も否定できません。また、福音書や書簡にも個別の預言は含まれますが、書物全体が預言に捧げられているのは新約聖書の中で本書のみです。
3.2. 旧約聖書の預言書との比較
イザヤ書やエレミヤ書といった旧約聖書の預言書が、預言者の長いキャリアの中で様々な時点で受けた預言を収集し、歴史的な出来事と共に編纂されているのに対し、『ヨハネの黙示録』は単一の壮大な幻として提示されます。著者は、その幻を受け始めたのが「主の日」(日曜日)であったと記しており、比較的短期間にすべての幻を受け取ったことを示唆しています。
3.3. 文学形式:巨大な書簡
本書は本質的に、預言的な内容を伝えるための「書簡」という形式を取っています。
- 宛先: 「アジアにいる七つの教会へ」と記されており、これはローマ帝国のアジア州(現在のトルコ西部)に存在した教会を指します。「7」という数字は完全性を象徴するため、実質的にはすべての教会に向けて書かれたと解釈できます。
- 規格外の長さ: 古代の基準から見て、本書の長さは驚異 的です。
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 古代ギリシャ・ローマの私信(平均) | 約87語 |
| 『ヨハネの黙示録』(ギリシャ語原文) | 9,852語 |
この語数は、平均的な書簡の100倍以上であり、新約聖書の他のどの書簡よりも長く、『マルコによる福音書』の長さに匹敵します。
4. 著者「ヨハネ」を巡る謎
本書は著者を4度にわたり「ヨハネ」と記していますが、その正体については議論があります。
4.1. 著者に関する情報
- 名前: 「ヨハネ」は当時、パレスチナのユダヤ人男性で5番目に多い名前であり、非常に一般的でした。著者がそれ以上の自己紹介(例:「ゼベダイの子ヨハネ」)をしていないことから、彼は読者によく知られた人物であったと考えられます。
- 状況: 彼は「神の言葉とイエスの証しのゆえに、パトモスと呼ばれる島に」いたと述べています。パトモス島はエーゲ海に浮かぶ小さな島(約13平方マイル)です。
- 刑罰: 文脈から、多くの学者は彼がキリスト教の宣教活動を理由に、パトモス島へ追放されたと考えています。追放は、上流階級の人物に対して死刑や強制労働の代わりに用いら れる一般的な刑罰でした。この事実は、著者が下層階級の出身ではなかった可能性を示唆しています。
4.2. 著者の候補者
歴史的に、著者の正体については主に二つの説が提唱されてきました。
- 使徒ヨハネ(ゼベダイの子): 最も伝統的で人気のある見解。紀元155年には、聖ユスティヌスがこの説を支持しています。
- 長老ヨハネ: 初代教会の一部の教父たちが提唱した説。彼らは使徒による著作であることに疑問を呈し、キリストの宣教の目撃者ではあるが十二使徒の一員ではない「長老ヨハネ」が著者である可能性を示唆しました。この説を支持する論拠として、使徒ヨハネがガリラヤの「無学な漁師」であり下層階級出身であったため、追放という比較的軽い刑罰を受けたとは考えにくいという点があります。対照的に、長老ヨハネはエルサレムの貴族階級の一員であった可能性が指摘されており、その場合、追放という処罰はより現実的となります。
5. 本書の目的とメッセージ
本書の目的は、冒頭の一節に明確に述べられています。「イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるべきことを、その僕たちに示すため、神がキリストにお与えになったものである」。
- タイトルの意味: 「黙示」はギリシャ語の「アポカリュプシス(apokalupsis)」に由来し、「覆いを取り去ること」や「啓示」を意味します。このため、本書は『ヨハネの黙示録(the Revelation of John)』と呼ばれます。重要なのは、原語が単数形であるため、複数形の「Revelations」とするのは誤りであるという点です。
- 核心的なメッセージ: 本書は、イエス・キリストから与えられた情報を明らかにするものです。その情報は、ヨハネが生きた1世紀の視点から見て「間もなく起こるべきこと」に関係していました。具体的には、ローマ世界におけるキリスト教徒への迫害と、彼らを抑圧していた異教的な世界秩序に対する神の裁きについて、読者に警告することを目的としていました。
6. 旧約聖書との関係性:預言の集大成
著者のヨハネは、旧約聖書の預言書に深く精通しており、本書には100を超える旧約からの言及が含まれています。彼は自らの著作を、それ以前のすべての聖書の預言者たちの働きを要約し、頂点に導くものだと認識していました。
学者リチャード・ボーカムが指摘するように、ヨハネは自らの預言を「旧約聖書の預言の伝統の集大成」と理解していました。なぜなら、イエス・キリストから彼に与えられた啓示の中に、「神の国が最終的に到来するための神の目的の秘密」が開示されていたからで す。したがって、『ヨハネの黙示録』は、聖書の預言全体の壮大なクライマックスとして書かれた、極めて重要な書物であると言えます。
「ヨハネの黙示録」の謎:誰が、どこで、なぜ書いたのか?
聖書の最後に収められた「ヨハネの黙示録」は、その中でも最も物議を醸し、人々を惹きつけてやまない書物です。獣、竜、天使、そして世界の終わりといった劇的なイメージと、謎に満ちた象徴の数々は、二千年もの間、無数の読者の想像力をかき立ててきました。
しかし、その神秘性ゆえに、多くの誤解も生まれてきました。現代のニュースや国際情勢を無理やり黙示録の預 言と結びつけようとする試み(専門家はこれを「新聞釈義」と呼びます)や、終末の具体的な時期を予測しようとする試みは、歴史上、例外なくすべて失敗に終わっています。
この書物の真意を理解する鍵は、未来の出来事を探すことではなく、過去に目を向け、それが書かれた歴史的背景のベールを剥がしていくことにあります。この記事では、歴史的な証拠を頼りに、以下の三つの基本的な疑問に光を当てていきます。
- 誰が書いたのか?
- どこで書かれたのか?
- なぜ書かれたのか?
まずは、この書物がどのような形式で書かれ、他の聖書の書物とどう違うのか、その基本的な性質から解き明かしていきましょう。
1. 「ヨハネの黙示録」とはどのような書物か?
「ヨハネの黙示録」は、旧約聖書の預言書とは一線を画す、独特の構成を持っています。イザヤ書やエレミヤ書が、預言者の長いキャリアの中で受けた複数の啓示を集めたものであるのに対し、黙示録は「単一の壮大な幻」として提示されています。著者は、その幻を見始めたのが「主の日」、つまり日曜日であったと具体的に記しています。
文学的な形式で見ると、この書物は驚くべきことに「手紙」です。冒頭は「ヨハネから、アジアにある七つの教会へ」と、第一世紀の手紙の 標準形式に則っています。宛先の「七」という数字は完全性を象徴するため、この手紙は特定の教会だけでなく、実質的にすべての教会に向けて書かれたと言えるでしょう。しかし、その規模は手紙として常識外れのものでした。古代の私信の平均が約87語だったのに対し、「ヨハネの黙示録」はギリシャ語で9,852語にも及びます。実に平均的な手紙の100倍以上の長さを持つこの書物を受け取った人々は、その巨大さに圧倒されたに違いありません。
さらに著者は、旧約聖書に深く精通していました。聖書学者リチャード・ボーカムが指摘するように、著者は自らの書を「旧約聖書の預言の伝統の集大成」と位置づけていたのです。この壮大かつ規格外の書物を記した「ヨハネ」とは、一体どのような人物だったのでしょうか。次に、その正体を巡る謎に迫ります。
2. 著者は誰か?二人の「ヨハネ」を巡る謎
著者は本文中で4回自らを「ヨハネ」と名乗りますが、「ヨハネ」は当時のユダヤ人男性として5番目にありふれた名前でした。彼が詳しい自己紹介をしないのは、読者である教会にとって彼が誰であるかは自明の、非常によく知られた指導者だったからだと推測されます。歴史的に、著者の候補として二人の「ヨハネ」が議論されてきました。
| 候補者 | 支持する根拠 | 疑問点・反論 |
|---|---|---|
| 使徒ヨハネ | ・歴史的に最も有力な見解。 ・聖ユスティノスが西暦155年には既にこの説を支持している。 | ・聖ユスティノスのように使徒ヨハネ説を支持する者がいた一方で、初期の教父たちの中には、その著者性を疑う者や、別のヨハネ(長老ヨハネ)が著者であると考える者もおり、古代から意見が一致していたわけではない。 |
| 長老ヨハネ | ・エルサレムの貴族階級出身の可能性があり、ローマの上流階級にのみ適用された「追放」という比較的穏やかな処罰を受けた事実と整合性が高い。 | ・使徒ヨハネほどの圧倒的な伝統的支持はないものの、初期の教会において「長老ヨハネ」は2・3ヨハネの著者としても知られる実在の人物であり、黙示録の著者候補として真剣に議論されていた。 |
どちらのヨハネが著者であるかについては、初期の教会内でも意見が分かれており、現代においても確定的な結論は出ていません。確かなことは、著者が当時のキリスト教共同体において、誰もが知る著名な指導者「ヨハネ」であったということです。著者の正体は謎に包まれていますが、彼がどこでこの書物を書いたのかについては、本文からはっきりと読み取ることができます。
3. どこで書かれたのか?パトモス島への追放
著者は、この壮大な幻を見たとされる場所を明確に記しています。
「わたしヨハネは、...神の言葉とイエスの証しのゆえに、パトモスと呼ばれる島にいた。」
パトモス島は、エーゲ海に浮かぶ面積わずか13平方マイル(約34平方キロメートル)の小さなギリシャの島です。彼がこの島にいた理由は、「神の言葉とイエスの証しのゆえに」、つまりキリスト教の宣教活動が原因でした。多くの学者は、彼がローマ帝国から罰を受けてこの島にいたと考えています。
かつてパトモス島は流刑植民地だったと考えられていましたが、それを裏付ける証拠はありません。より可能性が高いのは、著者が近くの大都市エペソから「追放(banishment)」されたという説です。追放とは、ローマ帝国において、厄介ごとを起こした上流階級の人物に適用された比較的穏やかな処罰でした。それは死刑や強制労働といった、より過酷な刑罰の代替措置であり、問題人物を影響力のある都市から引き離すことを目的としていました。この事実は、著者が社会的にある程度の地位を持っていた可能性を示唆しています。
追放先の孤独な島で、ヨハネは一体どのような目的をもって、この壮大な幻を書き記したのでしょうか。最後に、この書物の核心的なメッセージに迫ります。