メインコンテンツまでスキップ

John Alexander : NDE 事例: 先天的に盲目な人物が NDE(臨死体験)で視覚を体験した ⇒ この謎を解く

· 約12分

前置き

長文の記事に埋もれているので、タイトル・レベルに格上げしておく。

NDE 事例: 先天的に盲目な人物が NDE で視覚を体験した

目次

  1. 前置き
  2. この謎を解く
    1. 何が問題か?
    2. 同様の OBE 体験の具体例
    3. 分かり易い別の具体例
    4. これらの具体例は何を意味するのか?
    5. 実際に起きていたこと
    6. 蛇足

この謎を解く

何が問題か?

この事例は鵜呑みににはできない。なぜなら、

リングは、‌‌盲目の人々‌‌を対象としました。これには、‌‌先天的に盲目‌‌で一度も視覚を持ったことがない人々や、後天的に盲目になった人々が含まれます。 ‌‌「見る」体験‌‌: これらの盲目の人々は、‌‌体外離脱(out-of-body state)中に「見ていた」(had seeing)‌‌と報告しました。

という証言には大きな問題がある。おそらく Kenneth Ring は、NDE 体験した盲人の体験談をそのまま鵜呑みにしただけで、それが本当に視覚であったかどうかを確認していないのではないか。なぜなら、

  • その NDE での「視覚体験」が視覚だと判断した根拠が疑問

生まれてから一度も視覚体験が皆無なのであるから、NDE 中の体験がどのようなものであれ、それが視覚だったと判断する有効な方法がない筈。

仮に Kenneth Ring が、臨死体験中の被験者の視覚野の活発な活動状況を fMRI や PET で観測したデータを持っていたとしても(それは全くありえないが)、それが視覚だったことを意味しない。盲人の視覚野は聴覚や触覚に使わることが既に検証されているゆえに。

同様の OBE 体験の具体例

この感覚の錯誤に関連して私自身の具体例を一つ述べる。

かなり以前の話になる。私が様々な OBE の実験をしていた時、ある表現が困難な一連の視覚体験が繰り返し起きたことがある。それは当初、幾つもの類似した心象群で、ふたつだけ具体例を述べると

  • a. 静謐な水面に突然、小石が落ちて波紋が水面に広がる心象
  • b. 何も無い空の彼方に突然、大きなフワフワした塊が出現し、それが急速に迫ってくる心象

といったものだった。

当初、それは 心象=イメージ=視覚体験 だと思い込んでいた。だが、OBE に慣れるにつれて、この a, b の心象は視覚体験ではなく、身体に沸き起こる独特の触覚体験(これを強引に喩えると、音楽に感動して鳥肌が立つときの軽い痺れが広がる身体感覚に若干、通じるものがある)に近いことに気付いた。その触覚体験があまりに独特だったために、純然たる視覚体験だと無条件に思い込んでいただけだった。

視覚と触覚を区別できないなんてありうるのか?…と言われそうだが、深いレベルの OBE 体験中ならありうるし、OBE 中の当人も気づかないのが普通だと私は判断している。これは OBE にある程度慣れていないと言葉でいくら説明しても理解してもらえるとは思えない。

なぜなら、それは通常の意味での触覚でも視覚でもない、未分化の原初的感覚であって、いわば視覚よりも触覚のベクトル成分が大きい類の感覚だったゆえに。

未分化というのを喩えると、温かい色、冷たい色というようなもので、温感と色感が妙な形で混じり合い、感覚ごとにきっぱりと分化していない状態を指す。なにせ、脳が正常状態から逸脱した状態で体験するのが OBE や NDE なのだから、感覚も正常ではない。

分かり易い別の具体例

OBE に慣れていない人向けに、別の例で強引に説明すると…。

OBE と違って比較的容易に体験できる現象として、入眠時、それも意識がウトウトし出し、夢へと移行する境目で体験する「概念の視覚化」がある。これは OBE より楽に簡単な訓練で体験できる。普通はこの移行は一瞬かつ無自覚なので自覚するとはないが、意識的な訓練で、本来なら一瞬で過ぎ去る移行のフェーズを押し開けて入り込むことができる。

押し開けて入ると何が見えるのか? 具体的に言えば「言語的概念が視覚へと移行してゆく状況」を体験する。この移行フェーズがもう一段、進行すると夢に移行する。これはテキスト(=言語で表現できる概念)からイメージ(=映像)を生成する AI に似た面がある。

つまり、夢の生成現場を見ることになる。TV に映ったドラマのシーンを見るのが夢ならば、撮影スタジオの現場でカメラが撮影している状況を見るのが、生成現場の目撃。

この状況は、「脚本という言語で表現した筋書き」が、ドラマ形式の映像へと(まるで生成 AI のように)変換される状況を目撃する。これが、先に述べた入眠時の「概念の視覚化」。

これらの具体例は何を意味するのか?

これがどういう意味を持つかというと…。NDE で見る例のあの世へ繋がる「トンネル」の光景は、日常生活で見るトンネルと同じ視覚体験ではないことになる。日常生活ではトンネルの光景が目に入り、それが大脳視覚野で処理され、「これこれの細部をもつトンネルの光景が見えた」という意味になる高次元ベクトルの束(=もちろん LLM 的な比喩表現)が生じる。これが視覚。

夢でトンネルを見る場合は、肉眼には光景が映っていないのに、視覚野から先の高次元ベクトルの束が生成される。そして、ここが肝心なのだが、夢で見た光景(=高次元ベクトルの束)は目に入った映像からではなく、日常的なエピソード記憶という形で圧縮された脚本(=テキスト)から text to image 的に生成されたものだという点。

実際に起きていたこと

さらに喩えを続けると…。

脳が正常状態から逸脱した状態で体験するのが OBE や NDE なのだから、感覚も正常ではない。

ある種の OBE では先の高次元ベクトルそれ自体も歪み、その座標軸すらも歪んで(=回転して)しまう。それゆえに感覚の未分化や混じり合いが生じる。生成 AI で喩えるとマルチ・モーダル生成において、生成出力が視覚映像と触覚映像、要約文章などが未分化で混じり合った状況に相当する。

こういった理由で、

  • 先天的に盲目な人物が NDE で視覚を体験した

と錯覚した。

蛇足

以上、あくまで分かり易い比喩表現として高次元ベクトルだの、LLM 生成だの、text to image 生成などを持ち出したが、他に適切な比喩表現は思いつかない。

(2025-09-05)