Joseph Atwill : ローマ皇帝によるイエス創造の陰謀
前置き
なるほど、そういう見方もあるのか…という話題。神学者はもちろん、新約聖書学者もこぞって反発する主張になっている。確かに Joseph Atwill の説はとても面白く穿ってはいるが、反証材料が山のようにあるので面白い仮説だね、で終わる。
それはともかく、AI(NotebookLM) は 「壮大なプロパガanda」 という謎の生成ミスをしでかしているが、それを問い詰めても頑として認めようとしなかった(*1)。strawberry の r の個数のミスを連想させる。
(*1) : 展開
Me: 生成された解説書の冒頭部分に 「もし、私たちが知るイエス・キリストの物語が、ある政治的な目的のために創作された、壮大なプロパガandaだったとしたら——?」 とありますが、珍しいミスですね。
生成された解説書の冒頭に挙げられたそのフレーズは、ご指摘のような「珍しいミス」というよりも、むしろ、提供された資料で議論されている極めて革新的な主要な論旨を正確に捉えているものと思われます。 この資料の核となる考え方は、私たちが知るイエス・キリストの物語は、ローマ皇帝による政治的目的のために創作された壮大なプロパガンダであった、というものです。 ジョセフ・アトウィル氏(Joseph Atwill)の著書『シーザーのメシア(Caesar's Messiah)』のテーマは、「ローマ皇帝によるイエス創造の陰謀」 であり、以下の点がこの議論の核心です。
(以下省略)
Me: いや、そこではなく「壮大なプロパガanda」という表現が…です。
ご指摘ありがとうございます。
確かに、「プロパガanda」という表記は、日本語の標準的な表記である「プロパガンダ」(propaganda)から見ると、非標準的または入力ミスのように見える可能性があります。
しかし、この表現が示している「壮大なプロパガンダ」という概念そのものは、提供された解説書、特にジョセフ・アトウィル氏の主張の中心であり、資料内で何度も強調されている核心的な論点です。
資料の主張に基づき、この物語が「壮大なプロパガンダ」であるとされる理由について、詳細を補足します。
「壮大なプロパガンダ」としての物語の機能
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政治的な動機と目的 フラウィウス家(ウェスパシアヌス帝とその息子たち)は、紀元66年から73年のユダヤ戦争後も反抗を続けるユダヤ人のメシア運動の布教活動を抑制し、人口を統制下に置くために、このイエスの物語を「発明」しました。
- ローマは、メシア運動の持つ暴力的で軍国主義的なキリスト(メシア)の思想が帝国内に広がることを恐れており、これに対抗するための「神学的な障壁」としてキリスト教を開発しました。
- これは、草の根運動のエネルギーと力を利用しつつ、それをローマ自身の利益のために使う見事な戦略でした。
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統制のメカニズム 彼らは、伝統的な戦士としてのメシア像とは異なる、完全に非歴史的な平和主義者のキリストを作り上げました。
- このキリストは、ローマの支配を受け入れるよう促す「カエサルのものはカエサルに返しなさい」といった発言をしました。
- アトウィル氏は、この宗教が、人々を奴隷であるという事実から目をそらすために、フラウィウス家が円形闘技場を建設して行った「パンとサーカス」と同じ手法で機能するように意図された、と説明しています。
- シーザーは、「ポンティフェックス・マキシムス」(大祭司長)という公式の称号を持つことで、宗教の支配権を保持し、その結果、「大衆、すなわち奴隷たちは、反乱を起こすことが許されない。なぜなら、もしそうすれば、それは神自身に逆らうことになるからだ」という状況を作り出しました。
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文献全体がプロパガンダ 残された当時の文献の多くは、ローマのプロパガンダであると見なされています。資料の中では、古代ヨーロッパやユダヤの歴史のこの時代について、ローマの書記官から伝えられたいくつかの文書を除いて何も残されておらず、それらはほとんどの場合プロパガンダであると指摘されています。また、キリスト教の神学者による文献や、一部のローマの哲学者の文献も含めて、「すべてプロパガンダ」であると論じられています。
このように、イエス・キリストの物語は、単なる宗教的な文書ではなく、フラウィウス家の神性を宣言し、人口を服従させることを目的とした文学的なプロパガンダ(あるいは「類型的なコメディ」)として開発さ れた、というのがこの説の核心です。
要旨
ローマ皇帝によるイエス創造の陰謀
この音声文字起こしは、ジョセフ・アトウィル氏が自身の著書『シーザーのメシア』に基づき、ローマ皇帝によるイエス創造の陰謀というテーマで語ったラジオインタビューの抜粋です。
アトウィル氏の主たる主張は、紀元一世紀にフラウィウス朝がユダヤのメシア運動を鎮圧した後、その反乱を抑制し支配を強化する目的でキリスト教という宗教を創作したというものです。彼は、福音書におけるイエスの宣教活動の出来事が、フラウィウス・ヨセフスが記録したティトゥス・フラウィウスの対ユダヤ戦役と全く同じ順序で並行していることを指摘し、これは意図的な文学的創作であると結論付けています。
また、イエスの平和主義的な教えや40年周期の予言は、反ローマ的なメシア運動を抑え込むためのプロパガンダとして機能したと論じています。
目次
論点整理
ローマ帝国によるイエス・キリスト創造の陰謀:ジョセフ・アトウィル氏の主張に関するブリーフィング
エグゼクティブ・サマリー
この文書は、独立研究者ジョセフ・アトウィル氏が提唱する、キリスト教の起源に関する革命的な主張を要約したものである。アトウィル氏の中心的なテーゼは、イエス・キリストという人物と福音書の物語が、1世紀のローマ皇帝フラウィウス家(ウェスパシアヌス、ティトゥス、ドミティアヌス)によって意図的に創造されたというものである。
この創造の主な目的は、ローマ帝国にとって最大の脅威であった 戦闘的なユダヤのメシア主義運動を鎮静化させるための、高度な心理的プロパガンダであった。ローマは、ローマの権威に従順で「カエサルのものはカエサルに」と説く平和主義者の救世主像を創作することで、戦闘的なメシア思想の拡散を抑制しようと試みた。
アトウィル氏が提示する最も強力な証拠は、福音書におけるイエスの宣教活動の出来事と、フラウィウス家の歴史家フラウィウス・ヨセフスが『ユダヤ戦記』に記録したティトゥス・フラウィウスの軍事作戦の出来事との間に見られる、驚くほど正確な逐次的並行関係(類型論的対応)である。この出来事の順序の一致は、偶然ではなく意図的な創作であることを示しているとアトウィル氏は主張する。
最終的に、このローマ製の宗教は、フラウィウス家の子孫であるとアトウィル氏が考えるコンスタンティヌス帝によって国教とされ、民衆支配の道具として帝国の広範囲にわたって利用されることとなった。アトウィル氏の理論は、キリスト教の起源を、神聖な啓示ではなく、ローマ帝国の政治的・軍事的戦略の産物として再定義するものである。
中心的な主張:フラウィウス朝によるキリスト教の意図的創造
ジョセフ・アトウィル氏の理論の核心は、キリスト教がローマ 帝国のフラウィウス家によって、特定の政治的・軍事的目的を達成するために設計・流布されたというものである。
目的:メシア主義ユダヤ教の鎮静化
アトウィル氏によれば、1世紀のユダヤにおけるメシア主義運動は、ローマ帝国が直面した中で「単独で最大の脅威」であった。この運動は非常に戦闘的であり、ローマの支配に対する反乱を扇動した。
- ユダヤ人反乱の脅威: 66年から73年にかけてのユダヤ戦争、115年の大規模反乱(ローマの穀倉地帯であったエジプトを掌握)、そして133年のバル・コクバの乱は、ローマに甚大な軍事的損害を与えた。特にバル・コクバの乱では、ローマ軍の損失があまりに大きかったため、将軍が皇帝に戦勝報告をする際の定型句「私と軍は無事です」が、ローマ史上唯一省略された。
- 宣教活動への恐怖: ローマの為政者たちが最も恐れたのは、この戦闘的なメシア主義の思想が、帝国全土に広がるユダヤ人コミュニティ(当時、帝国人口の10-12%を占めた)を通じて拡散することであった。
- 平和主義者キリストの創造: この脅威に対抗するため、フラウィウス家は、戦闘的ではなく平和主義的な救世主像、すなわちイエス・キリストを創作した。このイエスは、「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」と教え、「カエサルのものはカエサルに」と納税を肯定するなど、ローマの支配に都合の良い 教義を説く人物として描かれた。
戦略:神学的プロパガンダと民衆支配
キリスト教の創造は、「敵を打ち負かせないなら、味方につけろ」というローマの巧みな戦略の一環であった。
- エネルギーの乗っ取り: ローマは、メシアを求める民衆の宗教的エネルギーを逆手に取り、それを自分たちの利益になる方向に誘導した。
- 二つのユダヤ教の創設: ローマはユダヤ教を、管理しやすい二つの要素に分割した。
- ラビ・ユダヤ教: メシア待望思想が取り除かれ、ローマが管理する伝統的なユダヤ教。
- キリスト教: メシアを求める人々のための宗教だが、そのメシアはローマに従順な平和主義者。
- パンとサーカス: フラウィウス家はコロッセオを建設し、大衆の見世物を提供することで民衆の注意を政治から逸らす「パンとサーカス」政策を発展させたことで知られる。アトウィル氏は、キリスト教も同様の機能、すなわち民衆を奴隷状態に留め置くための精神的な慰撫策として意図されたと主張する。
フラウィウス家の神格化
キリスト教は単なる民衆支配の道具ではな く、フラウィウス家自身の神性を宣言するための壮大な文学的記念碑でもあった。
- 三位一体の表現: フラウィウス家の父ウェスパシアヌス、息子ティトゥス、そしてもう一人の息子ドミティアヌスは、キリスト教の「父なる神」「子なる神」「聖霊」という三位一体の概念として象徴的に表現されている。
- 文学版「ティトゥスの凱旋門」: 福音書は、ティトゥスの軍功と神性を称えるためにローマに建設された「ティトゥスの凱旋門」の文学版である。凱旋門のレリーフがティトゥスの功績を視覚的に示すように、福音書はイエスの物語を通じてフラウィウス家の神性を文学的に記録している。
主要な証拠:類型論(タイポロジー)と40年周期の預言
アトウィル氏の主張の根幹をなすのは、福音書が歴史的記録ではなく、特定の文学ジャンル、すなわち「類型論(タイポロジー)」を用いて書かれているという分析である。
福音書と『ユダヤ戦記』の逐次的並行関係
アトウィル氏の 最大の発見は、福音書におけるイエスの宣教の物語と、フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ戦記』に記されたティトゥス・フラウィウスのユダヤ戦争における軍事作戦との間に、出来事が全く同じ順序で発生するという並行関係が存在することである。
- 類型論の定義: 類型論とは、ある物語を別の先行する物語に基づいて構成する文学技法である。登場人物や出来事が完全に同一である必要はないが、読者が二つの物語の関連性を認識できる程度の類似性を持つ。
- 「順序」の重要性: 多くの学者が福音書とヨセフスの記述の間に個別の類似点を指摘してきたが、それらが正確な時系列で対応していることを見抜いたのはアトウィル氏が初めてだとされる。彼は、この「順序の一致」こそが、二つの文書が偶然似ているのではなく、福音書が『ユダヤ戦記』を元に意図的に書かれたことの数学的な証明になると主張する。
40年周期の「新契約」
福音書の物語は、意図的に40年後の出来事を預言する形式で構成されている。
- 時間設定: イエスの宣教は紀元30年から33年の間に設定されている。これは、ティトゥスがエルサレムを征服した紀元70年からユダヤ戦争が終結した73年までの期間から、ちょうど40年前にあたる。
- 旧約聖書との対応: この40年という期間は、モーセがユダヤ人を率いてエジプトを脱出してから「約束の地」に入るまでにかかった40年という旧約聖書の「古い契約」を 模倣している。福音書は、イエスの磔刑から40年後にフラウィウス家がユダヤを支配下に置くことを「新しい契約(New Testament)」として提示している。
- イエスの預言: イエスが語る「ガリラヤの町々の破壊」「エルサレムの包囲」「神殿の崩壊」といった預言は、すべて40年後にティトゥスが実行した軍事行動と一致する。
- 「人の子」の正体: イエスが繰り返し到来を預言する「人の子」は、イエス自身ではなく、40年後に現れるティトゥス・フラウィウスその人であるとアトウィル氏は結論付けている。
類型論の具体例
| 福音書の出来事 | ティトゥスの軍事作戦(ヨセフスの記録) |
|---|---|
| 「人間を捕る漁師」 イエスはガリラヤ湖で弟子たちを集め、「私についてきなさい。人間を捕る漁師にしてあげよう」と言う。 | 漁師の捕獲 ティトゥスは同じ場所(ガリラヤ湖)で軍団を集め、ユダヤ人の漁船団を攻撃し、彼らを「魚のように捕獲した」。 |
| アリマタヤのヨセフ イエスは他の二人と共に十字架にかけられる。アリマタヤのヨセフという人物がローマの司令官にイエスの遺体の引き取りを願い出る。 | ヨセフスの嘆願 ヨセフスは、十字架にかけられた3人の旧知の人物を見つけ、ティトゥスに嘆願して彼らを十字架から降ろさせた。そのうち一人は奇跡的に回復した。 |
| 名前の類似性 福音書の登場人物は「アリマタヤのヨセフ (Joseph of Arimathea)」。ヨセフスの姓は「バルマテウス(Barmatheus)」であり、ギリシャ語では1文字しか違わない。 | |
| 石工(テクトン) イエスは「テクトン」(通常「大工」と訳されるが「石工」の意もある)と呼ばれ、「家を建てる者たち(the builders)が捨てた隅の石」と表現される。 | 「建設者たち」 死海文書によると、ローマに反乱したメシア主義者たちは自らを「建設者たち(the builders)」と称していた。これはローマ人が敵対勢力を風刺的に物語に取り込んだ例である。 |
主要人物と協力者
この壮大な計画は、フラウィウス家単独ではなく、彼らに協力した知的エリートたちの存在なしには成し得なかった。
- フラウィウス家: 父ウェスパシアヌスと息子ティトゥスは、ガリアやブリタニアでドルイド教徒との戦いに勝利した経験豊富な軍人であった。ユダヤ反乱の鎮圧をネロ帝に命じられ、その途上で皇帝の座を掴んだ。
- フラウィウス・ヨセフス: フラウィウス家の宮廷歴史家であり、『ユダヤ戦記』の著者。アトウィル氏は、彼の経歴(元ユダヤ軍の将軍で、捕虜になった後、フラウィウス家が皇帝になることを預言した)は信じがたく、彼自身がローマのプロパガンダのために創られた架空の人物、あるいはペンネームである可能性を示唆している。彼の著作が、福音書の元となる「脚本」を提供した。
- ヘロデ家とアレクサンデル家: フラウ ィウス家と同盟を結んでいた、非常に裕福で知的なユダヤ人一族。特にアレクサンデル家は、当時の世界で最も裕福な一族であり、その一員には著名なユダヤ人知識人フィロンがいた。彼らが、福音書を執筆するための神学的・文学的知識を提供したと考えられている。
福音書の性質と後世への影響
アトウィル氏の理論によれば、福音書は単なる宗教文書ではなく、多層的な意図を持つ文学作品である。
- ローマ的風刺と二重構造: 福音書の物語は、教養のない大衆(hoi polloi)には文字通りの奇跡物語として信じさせ、支配を容易にする一方で、ローマやユダヤの知識層(cognoscenti)には、その不条理さや皮肉が理解できる一種の風刺文学として機能した。
- 文献の完全性: 一般的な聖書学では福音書が長年にわたり編集・改変されたと考えるが、アトウィル氏はこれを否定する。ヨセフスの記述との完璧な逐次的対応は、福音書が皇帝の虚栄心によって保護され、ほとんど改変されずに現存していることの証拠であると主張する。
- コンスタンティヌスによる国教化: 4世紀初頭、コンスタンティヌス帝がキリスト教を公認し、国教への道を開いた。アトウィル氏は、コンスタンティヌスがフラウィウス家の血を引いており、自らの一族の神性を称える「家族のカルト」であったキリスト教を、帝国の公式宗教として採用したと見なしている。
- 歴史 的記録の抹消: ローマは、ドルイド教徒やケルト人、ゴート人などの被征服民の文献と同様に、メシア主義ユダヤ人の文献を組織的に破壊した。これにより歴史的な「ブラックアウト」が生じたが、死海文書の発見によって、初めて戦闘的で外国人嫌悪の強い、本来のユダヤ人の声が明らかになった。
ジョセフ・アトウィルの著作
アトウィル氏の研究は、著書『シーザーズ・メサイア(Caesar's Messiah)』に詳述されている。2006年に初版が出版され、その後、より詳細な類型論的証拠を追加した「フラウィウス家の署名(The Flavian Signature)」版が刊行された。詳細な情報はウェブサイト caesarsmessiah.com で公開されている。
論点整理
ジョセフ・アトウィルの「イエス創作説」:4つの主要論点
導入: ローマ皇帝が救世主を創った?
「イエス・キリストの物語は、1世紀のローマ皇帝フラウィウス家が、ユダヤ人の反乱を鎮圧するために創作した政治的プロパガンダであった」——。これは独立研究者ジョセフ・アトウィル氏が提唱する、新約聖書学の通説に根本的な再考を迫る「イエス創作説」の核心である。この説によれば、福音書に記されたイエスの生涯は史実ではなく、ローマ帝国の支配を神学的に正当化するために設計された、極めて高度な文学的構築物ということになる。
アトウィル氏の論証は、従来の歴史観や信仰に重大な問いを投げかける。その主張の論理構造を理解するためには、氏が提示する複数の証拠を体系的に分析する必要がある。本稿では、この複雑なテーゼを構成する以下の4つの主要な論点を、歴史批 評的観点から一つずつ解き明かしていく。
- なぜキリスト教を創作する必要があったのか?(動機)
- 「40年周期の預言」が示す謎とは?(時間的トリック)
- 「タイポロジー」という物語の技法とは?(創作手法)
- 誰がこの計画を実行したのか?(主要人物)
1. 論点1:なぜフラウィウス朝は「平和主義の救世主」を必要としたのか?
本セクションでは、イエス創作の「動機」に焦点を当てる。なぜ、世界帝国ローマが、一つの属州の民を統治するために、わざわざ新しい宗教を創り出すという壮大な計画に乗り出す必要があったのか。アトウィル氏は、その答えはユダヤ人のメシア思想がもたらした空前の脅威にあると論じる。
1.1 ローマ帝国最大の脅威:ユダヤ人のメシア思想
アトウィル氏によれば、当時のユダヤ人が抱く「メシア(救世主)思想」は、ローマ帝 国にとって単なる地方反乱以上の、体制を揺るがしかねない深刻な脅威であった。
- 軍事的脅威: 1世紀のユダヤ戦争は、アトウィル氏の分析では「ローマ帝国が経験した単独の脅威として最大のもの」であった。それは帝国の軍事力を著しく消耗させる、歴史上稀に見る激戦だった。
- 思想的脅威: ローマがより深刻に受け止めたのは、思想の拡散力であった。帝国全土に広がるユダヤ人コミュニティを通じて、好戦的なメシア思想が「伝道活動」によって拡散し、帝国の内側から体制を崩壊させる可能性を秘めていたのである。
1.2 ローマの対抗策:従順なキリスト教の創設
この軍事的・思想的脅威に対し、フラウィウス朝は武力による鎮圧だけでなく、高度な心理戦で対抗しようとした。それが「キリスト教の創設」であるとアトウィル氏は主張する。
- 目的: 好戦的なメシア思想の伝道を阻止するため、あらかじめ平和主義のキリスト像を思想空間に定着させる「神学的防壁」としてキリスト教を開発した。
- イエス像の特異性: 本来、ダビデ王の血を引くユダヤの王(キリスト)は「戦士」であるはずだった。しかし福音書のイエスは非戦士であり、「カエサルのものはカエサルに」とローマへの納税を肯定し、「もう一方の頬を差し出せ」と説く。これは歴史的文脈から著しく逸 脱した、極めて不自然な人物像として意図的に創作されたものである。
- 対象: このプロパガンダは、学識のあるユダヤ人やローマ知識層に向けられたものではなかった。むしろ、その「滑稽で非歴史的」な物語は、権威者の語る幻想を信じやすい「一般大衆、読み書きのできない奴隷たち」を対象としていた。
分析的架橋: 政治的動機が確立されたところで、次はその物語がいかに巧妙な時間設定を用いて、ローマの軍事的勝利を「神の預言の成就」として演出したのか、その時間的構造を分析する。
2. 論点2:「40年周期の預言」という時間的トリック
アトウィル氏の説では、福音書は単なる伝記ではなく、未来を予言する「預言書」として機能するよう精密に設計されていた。その鍵となるのが、ヘブライ宗教の伝統に根差した「40年周期」という時間設定である。
2.1 旧約聖書に倣った「新しい契約」
福音書は、旧約聖書の構造を意図的に模倣して作られた「新しい契約(New Testament)」であるとアトウィル氏は分析する。特 に、モーセの物語に見られる「40年」という象徴的な期間が、物語の根幹をなす時間的枠組みとして利用されている。
| 契約 | 起点 | 期間 | 終点 |
|---|---|---|---|
| 旧い契約 | 過越(エジプト脱出) | 40年 | 約束の地への到達 |
| 新しい契約 | イエスの過越の食事 (西暦30-33年頃) | 40年 | 約束の地(フラウィウス朝が支配するユダヤ)への到達 |
イエスの物語のクライマックス(受難と復活)を西暦30年代に設定することにより、その約40年後(西暦70年)に完了するローマのユダヤ平定が、「新しい契約」における「約束の地への到達」として神学的に成就するように構成されているのである。
2.2 イエスの預言とティトゥスの軍事行動
この時間的トリックによって、イエスの言動は、実際には約40年後にローマ軍の司令官ティトゥス・フラウィウスが遂行する軍事行動の「預言」として機能する。
- イエスは、自らの世代(ヘブライの概念で40年)のうちに「人の子(Son of Man)」が到来すると預言した。
- イエスが預言したとされる以下の出来事は、まさにその約40年後、ティトゥスが指揮するローマ軍によって現実のものとなった。
- ガリラヤの町々の破壊
- エルサレムの包囲
- 神殿の倒壊
- し たがって、アトウィル氏の論理によれば、イエスが預言した「人の子」の到来とは、神的な存在の来臨ではなく、ローマ軍司令官ティトゥス・フラウィウスの到来を指す。彼は、指定された40年という期間内にこれらの預言を具体的に成就させた唯一の歴史上の人物なのである。
分析的架橋: 福音書が、40年後のローマの勝利を「預言」として見せるための巧妙な時間的仕掛けを用いていたことが明らかになった。では、物語の具体的な内容は、どのようにして創作されたのであろうか。次のセクションでは、その創作技法「タイポロジー」の謎に迫る。
3. 論点3:「タイポロジー」という創作技法
アトウィル氏の論証の核心は、福音書の物語とティトゥスの戦いの記録が、「タイポロジー」という文学技法によって意図的に結びつけられているという指摘にある。
3.1 タイポロジー(類型論)とは何か?
タイポロジーとは、「ある物語を別の物語に基づいて創作する文学的手法」である。二つの物語の登場人物や出来事に、「注意深い読者であれば気づく程度の類 似性」を持たせることで、両者の関連性を示唆する。重要なのは、その類似性が「決して逐語的ではない」ことである。完全に一致させるのではなく、意図的に残された「奇妙な類似性」こそが、これが単なる偶然ではなく、緻密な創作であることのサインとなる。
3.2 福音書に見るタイポロジーの具体例
アトウィル氏が特定した無数の類型論的並行関係の中から、その構造的対称性の明快さにおいて特に際立つ2つの事例を以下に示す。
事例1:人間を獲る漁師 (Fishers of Men)
- イエスの物語 (福音書): イエスはガリラヤ湖で弟子たちを集め、「恐れることはない。これからは人間を獲る漁師になるのだ」と語る。
- ティトゥスの戦い (ヨセフス『ユダヤ戦記』): ティトゥスは同じガリラヤ湖で軍団を集め、「恐れるな、私に従え」と命じ、ユダヤ人の漁船団を攻撃し、彼らを文字通り「魚のように捕らえ」た。
事例2:アリマタヤのヨセフ (Joseph of Arimathea)
- イエスの物語 (福音書): イエスが3人で十字架にかけられた後、ヨセフという名の議員(アリマタヤ出身)がローマの司令官に亡骸の引き取りを懇願する。結果、2人は死に、1人(イエス)は奇跡的に復活する。
- ヨセフスの記録 (『ユダヤ戦記』): ヨセフス自身が、十字架にかけられた旧知の捕虜3人を見つけ、ティトゥスに懇願して降ろしてもらう。結果、2人は死に、1人は回復する。
- 名前の類似性: Joseph of Arimatheaという名前と、ヨセフスの姓であるBarmatheusは、ギリシャ語でわずか一文字の違いしかない。アトウィル氏はこれを偶然の一致とは考えがたい類型論的符丁であると指摘する。
3.3 なぜこれが「創作」の証拠になるのか?
個々の類似点だけでも示唆に富むが、アトウィル氏がこれを単なる偶然から「法医学的証明」の域にまで高める決定的証拠と見なすのが「配列の一致」である。
「重要なのは、これらの並行する出来事が、福音書とユダヤ戦記の中で、全く同じ順序で発生しているということです。単なる偶然の一致が、同じ順序で起こることはありえません。これは、福音書が ティトゥスの軍事作戦を下敷きにして書かれた決定的な証拠です。」
アトウィル氏はこの論理を補強するため、二つの強力な類推を用いる。まず、リンカーンとケネディ大統領の間に見られる有名な偶然の一致は、確かに奇妙だが「同じ順序では発生しない」と指摘する。それに対し、配列が一致する並行関係は全く性質が異なり、それは「DNA鑑定によって人物の犯行を立証することを可能にする」科学的原則と同じであると主張する。
分析的架橋: これで、福音書の物語がローマの軍事作戦をなぞって創作されたという具体的な手法が明らかになった。最後に、この壮大な計画を立案し、実行したとされる人物たちに焦点を当てる。
4. 論点4:計画の実行者たち - フラウィウス家と歴史家ヨセフス
では、一体誰が、どのようにしてこの壮大なプロパガンダを制作したのか。アトウィル氏は、その首謀者としてローマ皇帝フラウィウス家と、その計画に不可欠な協力者たちを特定する。