Leo の「真理こそ至上の価値、真理を追求せよ」…という根源的な誤謬
前置き
全ての 宗教信者 や 精神世界 ファン/マニア/信者 が共通して抱えている根源的な誤謬があるが、その根源的な誤謬に彼らは全く気づいていない。
そこで、その典型例として Leo の最近(2025-09-08)の動画を取り上げる。この動画では、Leo がその根源的な誤謬を後生大事に抱え込み、声高に主張している。実際、Leo は 3.5時間もかけて長広舌の熱弁を振るっている。
Leo の主張は要約すると「真理こそ至上の価値、何よりも真理を追求せよ」というもの。
どこが誤謬なのか
この Leo の主張の核心である「真理」こそが根源的な誤謬。なぜなら、
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真理(*1)は虚構であり、もともと実在しない。
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実在しないもの(=真理)は、当然ながら無価値。
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実在しないもの(=真理)を追求するのは無益。
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実在しないもの(=真理)を獲得することは不可能。獲得したと確信している 神秘家/宗教家/精神世界信者 は妄想に陥っている。
実際、いまだかつて誰一人として「「真理の実在」の確たる証拠」を提示できなかった。
喩えると、「この箱の中に真理がある」と主張して箱を掲げるものは大勢いたが、その箱の中身が公開されたことは皆無。真理がそれほど凄い実在なら、有無を言わせぬ明証性をもっており、皆が既に当然の事として受け入れている筈。
太陽の存在を誰が疑えようか。限られたごく少数の精神的エリートだけしか得られないような 難解/幽玄 な真理は、そもそも真理の資格(=普遍性)がない。言い換えると、「その存在を明瞭に立証できない真理」は真理ではない。至ってシンプルな道理(*2)。
…と、ここまでで済めば、話は簡単だが、その先がある。
人間の社会は、この「真理という虚構」の上に構築されている。それが宗教であり、芸術であり、倫理道徳、社会正義、基本的人権、人間は平等…といった社会的価値観の束になっている。いわば、虚構の土台(=真理)の上に構築された楼閣(=社会的価値観の束)に喩えることができる。
Leo は、この楼閣の各所に目に付く施工不良や劣化、欠陥を批判し、本源となる土台に価値を見出し、それを追求せよと声高に叫んでいる。いわば、真理の原理主義者。
AI は
Leoの主張の根幹は、「人々は真実を気にしていない」という驚くべき指摘にある。
と要約しているが、全然、驚きではない。現代人は真理(=神)が虚構だと薄々気づいている。それに比べ、虚構を真理だと未だに錯覚し続けている Leo の方が精神的に未熟で幼いと言える。