David Marler : 1964-06-02, ニューメキシコ州 : 白昼、黒いコマ型 UFO が少年に火炎を放射。祖母も現場で目撃 → 火傷で入院:証言音声つき (2)
前置き
下の過去記事、
David Marler:1964-06-02, ニューメキシコ州:白昼、黒いコマ型 UFO が少年に火炎を放射。祖母も現場で目撃 → 火傷で入院:証言音声つき (2024-06-30)
の情報源となった動画を AI で整理した。Charles Davis(被害本人)も動画に登場している。
要旨
UFO火傷被害者の失われた記録
この音源は、マーティン・ウィリスがホストを務めるポッドキャストからの抜粋で、UFO研究家のデイビッド・マーラーがゲスト出演しています。二人は主に1964年にニューメキシコ州ホブスで起きたUFOによる火傷事件について語っています。
この事件では、8歳の少年が黒いコマ型UFOから発せられた炎によって重度の火傷を負いましたが、不思議なことに痛みはなく、長期的な傷跡も残りませんでした。 マーラーは、この56年間公に語られることのなかったケースを、ジェームズ・マクドナルドのアーカイブからの音声記録や当時の新聞記事、警察記録、FBIの関与といった証拠を基に再調査しました。
また、マーラーの研究方法やUFOに関する幅広い知識、さらにはアリゾナ大学とニューメキシコ大学にUFO関連資料を寄贈するプロジェクトについても触れられています。ポッドキャストの終盤では、少年チャールズと彼の祖母、母親による当時の証言音声も公開され、その信憑性が強調されています。
目次
- 前置き
- 要旨
- 切り出し静止画
- 概要
- 事件概要
- Chales の負傷と回復
- 事件の調査
- Charles の視点
- 他の類似事例
- 情報源と関連研究
- UFO 現象の考察
- 時系列
- 主要関係者
- 情報源
- 文字起こし(話者識別)
切り出し静止画
概要
詳細ブリーフィングドキュメント:UFO火傷被害者の失われた記録(1964年ホッブス事件)
概要
このブリーフィングドキュメントは、David MarlerとMartin Willisによるポッドキャスト「Forgotten 1964 UFO Burn Victim Case 」から得られた情報に基づき、1964年6月2日にニューメキシコ州ホッブスで発生した、UFOによる8歳の少年チャールズ・デイビスの火傷事件を詳述する。Marler氏は、この「失われた」事件を掘り起こし、被害者と彼の家族、そして事件当時の文書(新聞記事、警察記録、FBI記録)を通じて、その信頼性と異常性を強調している。
主なテーマと重要なアイデア/事実
事件の発見とDavid Marler氏の調査方法:
- Marler氏は、故Dr. James McDonaldのアーカイブにある古い音声録音を調べている際に、この事件を発見した。McDonald氏は1960年代半ばから後半にかけて数百人ものUFO目撃者にインタビューしており、その中にはチャールズの祖母と母親、そしてチャールズ自身も含まれていた。
- Marler氏は、McDonald氏の録音とAPRO(Aerial Phenomenon Research Organization)の報告(1964年後半のAPRO Bulletinの表紙を飾った「Boy Burned in New Mexico」の記事)を基に、当時8歳だったチャールズが現在も存命している可能性が高いと判断し、目撃者の追跡調査を開始した。
- 驚くべき偶然の一致により、Marler氏が訪れたビジネス出張先の都市からわずか2マイルの場所にチャールズが住んでいることを突き止めた。電話番号が無効であったため、彼はチャールズの自宅に直接訪問し、事件について尋ねた。
- Marler氏は「新しいことは必ずしも信頼できることではない。実際、歴史的な事件の多くは今日私たちが受け取るものよりも良く文書化されている」と述べ、現代の匿名性が高い報告(例:「UFOBob at Yahoo.com」)よりも、過去の新聞記事や警察、FBIの記録に裏打ちされた事件の重要性を強調している。
事件の詳細と目撃証言:
- 日付と場所: 1964年6月2日午後4時頃、ニューメキシコ州ホッブスにあるチャールズの祖父母が所有するコインランドリーの裏庭で発生。
- 被害者: チャールズ・デイビス(当時8歳)。
- UFOの形状と行動:チャールズは、隣接するアパートの屋根の上に出現した「黒いこま型の物体」を目撃した。
- 彼はその物体を「幅約2~3フィート、高さ5~6フィート」と描写しており、従来の「30フィートの洗練された銀色の空飛ぶ円盤」とは異なる、比較的小さなUFOであった。
- チャールズが動くと、物体も彼の動きを模倣して左右に動いた。
- チャールズが物体の視界から隠れようとコンクリートブロックの陰にしゃがみ込んだ後、再び立ち上がって動くと、物体は「一瞬のうちに彼に向かって突進し」、彼の真上に浮上した。
- チャールズは「車が向かってくるようで、時間内に動けないとわかるときの衝撃に備えるような感じ」と述べ、衝突を予期して目を閉じ、身を固めた。
- 火傷の状況:物体はチャールズの真上で「頭からつま先まで火を噴き出し、彼を炎に包み込んだ」。
- 祖母(Grady Smith)の証言:「炎は彼 の顔から皮膚が文字通り剥がれ落ちていた」。
- 火傷の診断は、公式には「2度熱傷」であったが、チャールズと母親は「2度および3度熱傷」であったとMcDonald氏に語っている。
- 母親の証言:「彼の顔はひどく腫れ上がり、鼻さえ見えなかった。顔全体に黒い煤のようなものが付着し、ほとんどの髪の毛が焼けていた。耳はひき肉のようになり、唇もひどく焼けていた。一時的に失明した」。
- 異常な現象:痛みの欠如: チャールズは火傷を負った際に「痛みがなかった」と述べている。「ショックだったのかもしれないが、ひどい痛みは覚えていない」。
- 奇跡的な回復: ひどい火傷にもかかわらず、チャールズの顔には「傷跡が一切残らなかった」。Marler氏は「もし彼を今日見ても、火傷を負ったとは決して分からないだろう」と述べている。
- 火傷の範囲の矛盾: 祖母は「頭からつま先まで炎に包まれた」と証言したが、唯一の火傷の痕跡は顎のラインから上(顔と頭)のみで、首や肩、着ていたTシャツは無傷だった。
- 物体の意図: チャールズは「それが私を知っていたように感じたし、私がそこにいると知っていたように感じた」と述べ、物体と自身の間に「相互認識があった」と感じていた。また、「私を誘拐したり連れ去ったりする意味ではないが、それを見たとき、何かが間違っていると感じた」と語っている。
- 音: 祖母は「ヒューッという音」や「渦巻くような音」を聞いたと証言している。チャールズは「ヒューッという音が1、2回聞こえた」と述べている。
事件後の調査と家族の反応:
- 地元当局の関与: ホッブス警察署とFBIが事件を調査した。警察は当初、子供がマッチで遊んでいた、ボイラーからの蒸気、燃える綿埃など、常識的な説明を試みたが、いずれも証拠が見つからなかった。
- FBIの関与: 祖母のブラウス、チャールズのTシャツ、そして皮膚の削り屑がFBIの研究所に送られた。しかし、家族には結果が伝えられることはなかった。
- Marler氏はFBIに情報公開法(FOIA)に基づいて記録を請求したが、第三者に関わるとして却下された。チャールズ本人名義で再提出されたが、その後の進展は不明。
- 家族の態度: チャールズの家族は、熱心なUFO信者ではなく、保守的なペンテコステ派のビジネスオーナーであった。彼らは publicityを求めず、金銭的な利益もなかった(むしろ医療費を負担した)。
- チャールズの妻は、Marler氏が訪問するまで事件の詳細を知らなかった。
- チャールズは長年、この事件について話すことを拒否し、「押し入れにしまって」忘れ去ろうとしていた。彼は「これは何か軍事的なもので、ホワイトサンズ・ミサイル射場かホロマン空軍基地から逸れたものに違いない」と考えていた。
- 55年後になってMarler氏と話すことで、彼は「軍事的な説明」に疑問を抱き始めた。彼は「今日のドローンがどう動くか知っているが、1964年にあんなものがあったとは思えない。もしあったとしても、なぜ8歳の子供を捜し出して火傷させるのか?」と疑問を呈した。
他の類似ケース:
- Jacques Valléeが初期の著書『A Challenge to Science』で言及したフランスのケースに、今回のような「こま型UFO」のスケッチと寸法が驚くほど一致する事例があった。
- 1964年6月29日(チャールズの事件の約2~3週間後)にジョージア州リボニアで発生した、セールスマンのビュフォード・パーハムの事件。彼は「黒いこま型の物体が火を噴き出している」のを目撃し、 intenseな熱を感じて腕に火傷を負った。
- その後、ジョージア州では85マイル圏内で、同様の「黒いこま型で火を噴き出すUFO」を目撃する複数の事件が数週間のうちに発生した。これらの事件の多くには、UFOを目撃した地元の法執行機関の職員も関与していた。
UFO研究と信頼性に関するMarler氏の視点:
- Marler氏は、UFO現象を真剣に研究するためには「感情を抑え、理性でアプローチする」必要があると強調する。彼は「すべてのUFOビデオは、証明されるまではでっち上げである」というスタンスを取っている。
- 今日のデジタル操作技術の進歩により、偽のUFOビデオが意図的に拡散されている現実を指摘し、政府よりも一般市民が誤報を広めるケースが多いと述べている。
- 歴史的なケースは、当時の新聞記事、警察記録、FBI記録といった「正当な文書」に裏打ちされている点で、現代のケースよりも信頼性が高い場合が多いと主張している。
David Marler氏のアーカイブと研究の未来:
- Marler氏は、数万点に及ぶUFO関連の文書を所蔵しており、最終的にはニューメキシコ大学(UNM)に寄贈し、将来の研究者のために保存する予定である。
- 彼はUNMの図書館関係者に対し、UFO現象を「歴史の一部」として捉え、客観的かつ学術的なアプローチで研究することの重要性を説き、受け入れられている。
結論
ホッブスの火傷事件は、目撃者の証言、複数の第三者の確認、当時の公的記録(新聞、警察、FBI)という点で、極めて信頼性の高いUFO事件である。物体が子供の動きを模倣し、物理的な火傷を負わせたにもかかわらず、その後の奇妙な回復や痛みの欠如、そして火傷範囲の矛盾は、従来の科学的説明では困難である。
Marler氏の徹底した調査は、UFO研究において歴史的文書と目撃証言の重要性を浮き彫りにし、未解決の謎に対してより深く、客観的なアプローチが求められることを示している。この事件は、UFO現象が単なる「空の光」の目撃ではな く、物理的な相互作用と、我々の理解を超える異常な特性を持つ可能性を示唆している。
事件概要
1964年ニューメキシコUFO火傷被害者事件の概要について、ソースではデビッド・マーラー氏が「失われた記録」の中から掘り起こし、50年以上ぶりに公に議論されている、非常に信頼性の高い、しかし未解明な事件として詳しく説明されています。
この事件の概要とそれが示唆する文脈は以下の通りです。
事件の発生と被害者
- 発生日時と場所: 1964年6月2日火曜日の午後4時頃、ニューメキシコ州ホブスにあるチャールズの祖父母が所有するコインランドリーの裏庭で発生しました。
- 被害者: 被害者は当時8歳だった少年チャールズ・キース・デイビスで、 現在も存命しています。
- 主要な目撃者: チャールズ本人と彼の祖母です。祖母はコインランドリーの裏口のすぐ内側に立っており、チャールズが裏庭で遊んでいるのを目撃していました。
UFOの出現と特徴
- 出現: チャールズが裏庭で遊んでいた際、隣接するアパートの屋根の上から黒いコマ型(top-shaped)の物体が出現しました。
- 大きさ: チャールズの証言によると、この物体は幅が約2~3フィート、高さが5~6フィートと、比較的小型でした。マーラー氏はこれを「大型のUFOではない」と強調しています。
- 動き: チャールズが物体に気づくと、彼は「それが自分の存在を知っているように感じた」と語っています。チャールズが左右に動くと、物体も彼の動きを模倣して左右に動きました。チャールズが隠れようとコンクリートの塊の後ろに身をかがめ、再び立ち上がって動くと、物体は一瞬のうちに彼に向かって加速し、チャールズは「車が向かってくるようで、間に合わないと思い、衝撃に備えて目を閉じた」と述べています。
- 攻撃: 物体はチャールズの頭上約1フィートのところにホバリングし、頭からつま先まで火を噴き出し、チャールズを炎に包みました。この出来事は数秒で起こり、火が消えると物体はすぐに飛び去りました。祖母は「シュー」または「ヒュー」という音を聞いたと証言しています。
チャールズの火傷と驚くべき回復
- 負傷: チャールズは顔に第2度および第3度の火傷を負いました。祖母は、火傷の後、チャールズの顔から皮膚が文字通り剥がれ落ちていたと語っています。彼の髪は燃え、ほとんどが焼け落ち、耳はひどく焼けただれて生肉のようになり、裏返しになったように見えました。顔はひどく腫れ、鼻すら見えなくなり、一時的に失明しました。
- 特異な症状: 最も驚くべき点は、これほど重度の火傷を負ったにもかかわらず、チャールズが事件当時から痛みを全く感じなかったと証言していることです。彼は衝撃状態だったためだと推測していますが、代わりにひどい痒みに苦しんだと述べています。
- 火傷の範囲と回復: 祖母はチャールズが頭からつま先まで火に包まれたと断言していますが、実際に火傷の痕跡が見られたのは顎のラインから上だけであり、首、肩、Tシャツは完全に無傷でした。さらに、今日ではチャールズの顔に火傷の瘢痕が全く残っておらず、耳も元に戻っています。長期的な影響としては、右耳の聴覚障害と、事件後に必要となった眼鏡が挙げられます。
事件後の調査と未解明な側面
- 病院での治療: 祖父はチャールズをリー総合病院に運び、彼は火傷専門医バジャー医師による治療を受け、約1週間入院しました。
- 警察とFBIの関与: ホブス警察署とFBIがこの事件の調査に関与しました。警察は当初、ローマ字のロウソク、蒸気、燃えた綿くず、あるいはチャールズ がマッチで遊んでいた可能性などの説明を模索しましたが、どれも裏付けられませんでした。
- 証拠の行方: FBIはチャールズの祖母のブラウス、Tシャツ、および皮膚の削りかすを分析のために持ち帰りましたが、家族はその後一切の結果を聞かされていません。マーラー氏はFBIにFOIA(情報公開法)申請を行いましたが、プライバシーを理由に却下され、チャールズ本人名義で再申請を試みていますが、まだ結果は出ていません。病院の記録も、10年の保管期間を過ぎているため入手不可能です。
- APROによる初期調査: この事件はAPRO(Aerial Phenomenon Research Organization)によって調査され、1964年後半のAPRO Bulletinのカバー記事になりました。APROは当時、この事件を「信頼できる」と判断しています。
チャールズの反応とマーラー氏の再調査
- 沈黙の56年: チャールズは事件後、初期のメディアの注目を除いて、56年間公にこのことについて話すことを避けてきました。彼はUFO信者でも懐疑論者でもなく、ごく普通のビジネスマンであり、UFOは彼の世界の一部ではありませんでした。彼と家族は、この事件を「クローゼットにしまい込み」、忘れて人生を歩むことを選びました。
- 軍事機密説: チャールズは長年、この物体はニューメキシコ州のホワイトサンズ・ミサイル射場やホロマン空軍基地から外れた軍事的なものだったのではないかと考えていました。しかし、マーラー氏との最近の対話を通じて、1964年にチャールズの動きを模倣し、これほど素早く動く技術が軍にあったのか、またなぜ8歳の子供を火傷させるのか、という疑問を抱き始め、「それがどんなものであっても、筋が通らない」と述べています。
- マーラー氏の追跡: デビッド・マーラー氏は、ジェームズ・マクドナルド博士のアーカイブに残された音声記録からこの事件を発見しました。彼はチャールズを追跡する中で、偶然にも出張先のホテルから2マイルの距離にチャールズが住んでいることを知り、電話番号が全て無効だったため、直接彼の家を訪ねました。チャールズは当初、15~20年前であれば話さなかっただろうと語っていますが、マーラー氏の誠実さと、人生のこの段階(60代半ば)で他人の意見を気にしなくなったことから、事件について語ることを決意しました。彼の妻でさえ、マーラー夫妻がインタビューに来るまで事件の詳細を知りませんでした。
- 信憑性: マーティン・ウィリスはチャールズを「非常に信頼できる証人」と評価しており、彼には何も得るものがないにもかかわらず証言している点を強調しています。
類似事例との関連
- マーラー氏は、この事件が孤立したものではない可能性を示唆しています。ジャック・ヴァレの初期の著書で言及されたフランスの事件では、同様の「空飛ぶコマ」が目撃され、その寸法は今回の事件と一致していました。
- この事件の約2~3週間後、ジョージア州リボニアでセールスマンが「黒いコマ型で火を噴く物体」に遭遇し、腕に火傷を負う事件が発生しています。
- さらにその後6~8週間で、ジョージア州の85マイル圏内で複数の同様の目撃情報があり、中には 地元の法執行機関がUFOを目撃したケースも含まれていました。これは、特定の時期に特定の形状のUFOによる熱傷・火傷被害が広範囲で発生していた可能性を示唆しています。
これらの情報から、1964年ニューメキシコUFO火傷被害者事件は、単なる光の目撃ではなく、昼間の構造物の目撃、8歳児への物理的な傷害、そして現代の技術では説明できない驚異的な治癒と痛みの欠如を伴う、UFO現象の文脈において非常に特異で重要なケースであることが分かります。デビッド・マーラー氏の「信頼できるもの」を追求する調査アプローチによって、この「失われた記録」が再び光を浴び、UFO現象研究における重要なピースとして提示されています。
Chales の負傷と回復
1964年ニューメキシコUFO火傷被 害者事件におけるチャールズ・キース・デイビス少年の負傷と回復について、ソースは事件の特異性と未解明な性質を強調しています。この事件は、デビッド・マーラー氏が「失われた記録」の中から発見し、50年以上ぶりに公に議論されることになった、非常に信頼性の高い、しかし未解明な事件として紹介されています。
負傷の発生と状況
事件は1964年6月2日火曜日の午後4時頃、当時8歳だったチャールズが、ニューメキシコ州ホブスにある祖父母のコインランドリーの裏庭で遊んでいる最中に発生しました。チャールズの祖母は、コインランドリーの裏口のすぐ内側に立っており、チャールズの様子を見ていました。
チャールズが隣接するアパートの屋根の上から出現した黒いコマ型(top-shaped)の物体に気づき、その物体が彼の動きを模倣するような奇妙な動きをした後、一瞬のうちにチャールズに向かって加速し、頭上約1フィートのところにホバリングしました。その直後、物体はチャールズの頭からつま先まで火を噴き出し、彼を炎に包みました。この出来事はわずか数秒で起こり、火が消えると物体はすぐに飛び去りました。祖母は「シュー」または「ヒュー」という音を聞いたと証言しています。
チャールズが受けた物理的な負傷
炎に包まれた後、チャールズは火傷を負いました。祖母は、チャールズが自分の方に走ってくるのを見た時、彼の髪が燃え、顔から皮膚が文字通り剥がれ落ちているのを目撃したと証言しています。
チャールズは顔に第2度および第3度の火傷を負いました。彼の髪は燃え、ほとんどが焼け落ちていました。母親と祖母の証言によると、火傷の後、チャールズの顔はひどく腫れ上がり、鼻すら見えなくなり、一時的に失明状態になりました。耳もひどく焼けただれて「生肉のよう」に見え、裏返しになったように見えたとチャールズは語っています。彼の唇もひどく焼けました。
驚くべきことに、祖母はチャールズが頭からつま先まで火に包まれたと断言しているにもかかわらず、実際に火傷の痕跡が見られたのは顎のラインから上の部分だけであり、首、肩、彼が着ていたTシャツは完全に無傷でした。
病院での治療と調査
祖父はすぐにチャールズをリー総合病院に運び、彼は火傷専門医のバジャー医師による治療を受け、約1週間入院しました。その後も1~2ヶ月にわたってフォローアップの診察を受けました。
ホブス警察署とFBIがこの事件の調査に関与しました。警察は当初、ローマ字のロウソク、蒸気、燃えた綿くず、ある いはチャールズがマッチで遊んでいた可能性などの説明を模索しました。チャールズ自身も、病院で警察官からマッチで遊んでいないか尋ねられたことを覚えています。しかし、これらのどれも裏付けられることはなく、現場には燃えた跡すら見つかりませんでした。
FBIは、チャールズの祖母のブラウス、チャールズのTシャツ、および彼の顔から剥がれ落ちた皮膚の削りかすを分析のために持ち帰りましたが、家族はその後、結果について一切知らされませんでした。マーラー氏は情報公開法(FOIA)申請を行いましたが、プライバシーを理由に却下され、チャールズ本人名義で再申請を試みていますが、まだ結果は出ていません。病院の記録も、10年の保管期間を過ぎているため入手不可能です。
負傷における特異な側面
この事件で最も特異な点は、チャールズがこれほど重度の火傷を負ったにもかかわらず、事件当時から痛みを全く感じなかったと証言していることです。彼は衝撃状態だったためだと推測していますが、その代わりにひどい痒みに苦しんだと述べています。祖母も、チャールズが皮膚を掻きむしるのを防ぐため、24時間付き添わなければならなかったと語っています。医師もこの痒みを理解できなかったと述べています。また、チャールズは火傷の匂いを覚えていないと述べています。
驚異的な回復と長期的な影響
さらに驚くべきことに、今日ではチャールズの顔に火傷の瘢痕が全く残っておらず、耳も元に戻っています。マーティン・ウィリスは、皮膚が剥がれ落ちるほどの火傷を負ったにもかかわらず瘢痕がないことは非常に奇妙な側面だと指摘しています。
長期的な影響としては、右耳の聴覚障害と、事件後に必要となった眼鏡が挙げられます。医師は、目にさらされた熱の結果として眼鏡が必要になったと示唆しました。
チャールズ自身も、事件が「馬鹿げている(doesn't make any sense)」と感じており、何が起こったのか、なぜ起こったのか、誰にも答えられないと考えています。彼は長年、これがホワイトサンズ・ミサイル射場やホロマン空軍基地から逸脱した軍事的なものだったのではないかと考えていましたが、マーラー氏との最近の対話を通じて、1964年の技術で彼の動きを模倣し、これほど素早く移動し、8歳の子供を火傷させる理由があるのか疑問を抱き、「筋が通らない」と述べています。
このチャールズの負傷と驚異的な回復は、この事件を単なるUFO目撃ではなく、物理的な影響と医学的矛盾を伴う、未解明で信頼性の高いケースとして際立たせています。
事件の調査
1964年ニューメキシコUFO火傷被害者事件の調査に関して、ソースは、事件の信頼性と未解明な性質を際立たせる複数の調査機関の関与を詳述しています。デビッド・マーラー氏は、このケースを「失われた記録」の中から掘り起こし、50年以上ぶりに公に議論されることになった「非常に信頼性の高い、しかし未解明な事件」として紹介しています。
当時の初期調査
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APRO (空中現象研究機構) による調査:
- この事件は、APRO (Aerial Phenomenon Research Organization) によって最初に調査され、彼らの機関誌「APRO Bulletin」の1964年後半号のトップ記事として掲載されました。マーラー氏は、このAPRO Bulletinの記事で初めてこの事件を知ったと述べています。
- APROは当時、この事件を 信頼性が高いと見なしていたようです。
- しかし、マーラー氏の研究によると、APROによる調査は主に電話によるもので、現地調査は行われていなかったとされています。
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ホブス警察署の関与:
- ニューメキシコ州ホブスの警察署は、この事件の調査に積極的に関与しました。
- 警察は当初、ローマ字のろうそく、蒸気、燃えた綿くず、あるいはチャールズがマッチで遊んでいた可能性など、ありふれた説明を模索していました。チャールズ自身も、病院で警察官からマッチで遊んでいないか尋ねられたことを覚えていると語っています。
- しかし、これらの可能性はどれも裏付けられることはありませんでした。現場には燃えた跡すら見つからず、カリチェと呼ばれる硬い粘土質の土壌であったため、燃えるものがほとんどなかったことも一因です。
- 後に新聞記事では、これらの説には根拠がないと報じられました。
- ホブス警察はデビッド・マーラー氏の問い合わせに対して協力的でしたが、1964年当時の記録はマイクロフィルム化された古いケースファイルの中にも残っていなかったと述べています。
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FBI (連邦捜査局) の関与:
- FBIもこの事件の調査に関与していました。
- FBIは、チャールズの祖母が着ていたブラウス、チャールズのTシャツ、そしてチャールズの顔から剥がれ落ちた皮膚の削りかすを分析のために持ち帰りました。
- しかし、家族はその後、分析結果について一切知らされませ んでした。
- チャールズは、ホブス警察とFBIの職員が火傷後に病院に現れたことを鮮明に覚えており、FBIの捜査官の方がより同情的で、話を聞こうとする姿勢だったと証言しています。
現代における再調査(デビッド・マーラー氏による)
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資料の発見と再構築:
- デビッド・マーラー氏は、ジェームズ・マクドナルド博士のアーカイブに残された古い音声記録から、この「忘れ去られた」ケースを発見しました。マクドナルド博士は、事件から4年後の1968年にチャールズの祖母と母親にインタビューを行っていました。
- マーラー氏は、当時ニューメキシコ州に住んでいたことから、この事件の目撃者であるチャールズを追跡することを決意しました。彼は広範囲な調査の末、チャールズがまだ健在であることを突き止めました。
- 驚くべき偶然の一致として、チャールズの住所がマーラー氏が出張で滞在していたホテルのわずか2マイル北にあったため、彼は直接チャールズを訪ねることができました。
- 電話やEメールでの連絡が取れなかったため、マーラー氏は「1964年にUFOに火傷を負ったのはあなたですか?」と直接チャールズに尋ねるという、異例の方法で接触しました。
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チ ャールズの証言と新たな洞察:
- マーラー氏がチャールズとその妻に正式なインタビューを行った結果、チャールズが長年この事件について公に語ろうとしなかったこと、そして妻でさえ詳細を知らなかったことが明らかになりました。
- チャールズはUFO信者ではなく、ごく普通のビジネスマンであり、長年この事件をホワイトサンズ・ミサイル射場かホロマン空軍基地からの軍事的な何かだと考えていました。
- しかし、マーラー氏との対話を通じて、チャールズは1964年の技術で彼の動きを模倣し、これほど素早く移動し、8歳の子供を火傷させる理由があるのか疑問を抱き、「筋が通らない」と述べるようになりました。
- チャールズは、事件当時から痛みを全く感じなかったこと、代わりにひどい痒みに苦しんだことなど、事件の特異な側面を詳細に語りました。
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記録入手の試みと課題:
- マーラー氏はFBIに対し、情報公開法(FOIA)に基づいて事件ファイル、研究所の結果、その他の関連情報の開示を求めました。
- 当初の申請は、第三者が関与しているためプライバシーの問題に抵触するとして却下されました。
- その後、マーラー氏はチャールズの名前で再申請を試みましたが、さらなる追加情報の提出が必要とされ、チャールズは多忙のため、その後の手続きを進めるか検討中であるとされています。
- リー総合病院の医療記録についても問い合わせましたが、10年間の保管期間を過ぎていたため、入手は不可能でした。
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未解明な性質の強調:
- チャールズの顔 に火傷の瘢痕が全く残っていないという驚くべき回復は、調査におけるさらなる謎として強調されています。
- マーラー氏は、この事件が単なるUFO目撃報告ではなく、物理的な影響と医学的矛盾を伴う、信頼性の高い、しかし未解明なケースであることを繰り返し述べています。
- チャールズ自身も、55年経っても何が起こったのか、なぜ起こったのか、誰にも答えられないと感じており、「答えがない」と繰り返し語っています。
この事件の調査は、当時の限られた情報と、現代の粘り強い追跡調査が組み合わさることで、その特異な詳細と未解明な側面が浮き彫りになったと言えます。
Charles の視点
1964年ニューメキシコUFO火傷被害者事件におけるチャールズの視点に関して、ソースは、彼が人生を大き く変えるような劇的な経験をした目撃者であり、長年にわたってその経験を個人的に抱え込んできた普通の人物であることが示されています。
チャールズは、1964年6月2日午後4時頃、ニューメキシコ州ホブスにある祖父母のコインランドリーの裏庭で遊んでいた際、この出来事に遭遇しました。彼は隣の建物の屋根の上から現れた「黒いコマ型」の物体を目撃しました。その物体が自分の存在を認識しているかのように感じ、不安感を覚えたと述べています。彼が左右に動くと、物体も彼の動きを模倣し、まるで追いかけているかのようでした。物体が急接近した際、彼は衝突を予期して目を閉じ、体を固めましたが、物体は彼を通り抜けることなく頭上に留まり、そこから炎を噴き出して彼を包み込みました。
この恐ろしい経験にもかかわらず、チャールズは炎に包まれた際に痛みは全く感じず、むしろひどい痒みに苦しんだと証言しています。彼はこの異常な反応をショック状態によるものと考えています。しかし、物体に包まれたとき、「何かがおかしい、非常にまずい」という強い感覚があったことを覚えています。
火傷の程度は非常に深刻でした。髪の毛が燃え、顔からは皮膚が剥がれ落ち、顔全体がひどく腫れ上がり、鼻が見えないほどだったと語っています。黒い煤のようなものが顔に付着し、耳は焼けただれ、「生肉」のようになっていたとも形容しています。一時的に失明し、リー総合病院で火傷専門医から二度または三度熱傷と診断され、1週間入院し、その後も数ヶ月間通院しました。長期的な影響として、右耳の聴力障害と視力低下が残り、事件 以来メガネを着用しています。
しかし、チャールズの視点から見て最も謎めいているのは、今日彼を見ても火傷の痕跡が全く残っていないことです。彼自身も、幼い頃に鏡を見て「化け物」のようだと感じたことを記憶していますが、この驚くべき回復は彼にとっても、当時の医師にとっても説明不能な現象でした。
事件後、チャールズは長年にわたってこの経験について公に話すことを避けてきました。彼の妻でさえ、デビッド・マーラー氏が調査に現れるまで詳細を知りませんでした。彼は自身をUFO信者とは考えておらず、ごく普通のビジネスマンとして、この出来事をニューメキシコ州のホワイトサンズ・ミサイル射場かホロマン空軍基地からの軍事的な試作機によるものだと長年信じていました。
デビッド・マーラー氏との対話を通じて、チャールズは55年以上ぶりに事件の詳細について深く考えるようになりました。彼は1964年当時の技術で、彼の動きを模倣し、8歳の子供を火傷させるような軍事技術が存在したのか、そしてそのようなことをする理由があったのか、疑問を抱くようになりました。彼は、この事件に対する「答えがない」という無力感を繰り返し表明しています。
当時の捜査に関して、チャールズはホブス警察とFBIの職員が火傷後に病院を訪れたことを鮮明に覚えています。彼はFBIの捜査官の方がホブス警察よりも同情的で、自分の話を聞こうとする姿勢だったと感じていますが、家族はFBIによる分析結果を一切知らされなかったことに不満を感じています。
現在60代半ばになったチャールズは、事件について公に話すこ とへの抵抗感が薄れているようです。「誰が信じようと信じまいと、もう気にしない」という心境であり、デビッド・マーラー氏が「真実を追求し、この謎の答えを見つけようとしている」ため、彼に協力していると述べています。また、親になったことで、母親が事件時に受けた精神的苦痛について初めて深く考えるようになったとも話しています。
このように、チャールズの視点は、信じがたい物理的苦痛と謎に満ちた回復を経験し、長年にわたりその経験を胸の内に秘めてきたごく普通の人物として描かれています。彼は今もなお、何が起こったのか、なぜ起こったのか、明確な答えを見つけられずにいるのです。
他の類似事例
1964年ニューメキシコUFO火傷被害者事件のより大きな文脈において、これらのソー スは、この事件が孤立した現象ではない可能性を示唆しており、同様の特性を持つ他の類似ケースが存在することに言及しています。
デビッド・マーラー氏は、ホブスでのチャールズの事件の後に発生した他のケースについて語る時間があれば、と述べており、それらのケースが「驚くべき類似性」を帯びていると強調しています。
具体的には、以下のケースが挙げられています。
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リヴォニア、ジョージア州のビューフォード・パーハム氏のケース:
- 1964年6月29日の夜、または技術的には6月30日火曜日の午前1時頃に発生しました。
- セールスマンのビューフォード・パーハム氏が帰宅中に、「黒いコマ型」の物体が炎を吐き出しながら彼の車に3回接近するのを目撃しました。
- 物体が車の周りを移動する際、彼は激しい熱を感じ、その結果、腕に火傷を負い、赤くなったとされています。
- パーハム氏はこの物体を「空飛ぶコマ」、黒い色、炎を吐き出すものと表現しており、チャールズが描写したものと「非常に似ている」とマーラー氏は述べています。
- チャールズのケースがその約2〜3週間前に発生している点も言及されています。
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ジョージア州の複数のケース:
- リヴォニアのケースの後、約6〜8週間以内に、互いに85マイル(約137km)圏内のジョージア州でいくつかの他のケースが発生しました 。
- これらの事件は多くの新聞記事になり、複数の人々が「黒いコマ型」の物体が炎を吐き出すUFOを目撃したと述べています。
- 特筆すべきは、ジョージア州のこれらのケースの多くで、地元の法執行機関の職員が現場に現れ、UFOを目撃していた点です。
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ジャック・ヴァレ氏の初期の著書に記載されたフランスのケース:
- マーラー氏は、ジャック・ヴァレ氏の初期の著書『科学への挑戦(A Challenge to Science)』で語られているケースを見つけたと述べています。
- このフランスのケースの目撃者は、物体を「空飛ぶコマ」と表現しており、そのスケッチをチャールズのスケッチに重ねると文字通り一致するほど、形状や寸法が類似していると説明されています(メートル表記をフィートに換算した場合)。
これらの類似ケースは、1964年ニューメキシコUFO火傷被害者事件が、単発の異常な出来事ではなく、特定の時期に特定の地域で同様の形状、行動、そして物理的影響(火傷など)を伴う現象が複数報告されていたという、より広範なパターンの一部である可能性を示唆しています。デビッド・マーラー氏が自身の研究において「データのパターン」を探していると述べているように、これらの類似性は、UFO現象が「調査される必要がある本物の現象」であるという示唆を与えています。