「Liber の死の啓示の書」(Liber Mortis Revelatus) の解説
前置き
Primeval Mythology(Youtube Channel) の動画を AI(NotebookLM) で整理した。
AI は Google の文字起こしに引き摺られて「エリバルの死の啓示」としているが、"Liber Motis" が正しい。
要旨
禁断の書:死の真実
この文書は、YouTubeチャンネル「Primeval Mythology」の動画「This BANNED Book Explains EXACTLY What Happens When We Die」の抜粋されたトランスクリプトです。
その内容は、「エリバルの死の啓示」として知られる禁じられた古代の書物に関するもので、この書物が死後の魂の旅に関する経験的かつ技術的な知識を提供していると主張しています。
このテキストは、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の主要な宗教機関が、個人の死の習得が彼らの制度的権威を弱体化させることを恐れ、紀元4世紀にこの知識の系統的な破壊を共謀した経緯を詳細に説明しています。
さらに、この禁断の知恵の断片が、古代メソポタミア、エジプトのテキスト、カバラ、スーフィズム、そして後のオカルトや神秘主義の伝統を介して、いかに秘密裏に保存され、再浮上したかを追跡しています。
最終的に、トランスクリプトは、死とは避けがたい運命ではなく、習得可能な意識の移行であり、現代の神経科学によって検証されつつあるという、この書物の核心的な主張を探っています。
目次
- 前置き
- 要旨
- 禁断の書「エリバル・モルティス・レベラトゥス」に関するブリーフィング
- 死の知識の組織的抑圧:古代の「意識的な死」の実践が制度的権威によっていかに変容させられたかについての歴史的分析
- 古代メソポタミア、エジプト、ペルシャにおける死後意識の比較分析
- 情報源
禁断の書「エリバル・モルティス・レベラトゥス」に関するブリーフィング
エグゼクティブ・サマリー
本文書は、通称「エリバル・モルティス・レベラトゥス」 (明かされし死者の書)として知られる、歴史から抹消されたとされる禁断の書物に関する核心的なテーマと主張を要約・分析するものである。この書物は、死を単なる生物学的な終焉ではなく、意識的に経験し、習得可能な技術として捉えている。
この文書の核心的な主張は以下の通りである。
- 死は習得可能な技術である: 本書は、死の移行期において意識、記憶、自己同一性を完全に保持する方法を具体的に記述した、哲学や信仰ではなく「証言」に基づく実践的な手引書であるとされる。死は道徳的な裁きではなく、意識の発達度を測る最終試験と位置づけられる。
- 古代の共通理解: かつて人類は、死を意識的に航行するための技術として理解していた。メソポタミアの儀式文書、エジプトの「アババル・テキスト」、ゾロアスター教の概念など、古代文明には死後の意識を維持するための高度な知識体系が存在していた証拠があるとされる。
- 組織的な知識の隠蔽: 4世紀頃、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の主要な宗教機関が前例のない協力関係を結び、この知識を組織的に破壊・隠蔽した。その動機は、信者が自力で死を乗り越える術を身につければ、救済を仲介する聖職者の権威が不要になるという、制度的支配の根幹に関わる脅威であった。これにより、「死への不安」が意図的に植え付けられた。
- 秘密裏の伝承と再浮上: 知識は完全には消滅せず、カバラ、スーフィズム、錬金術、中世のグリモワールなどの秘教的伝統の中に暗号化されて生き延びた。19世紀以降、心霊主義、神智学、ユング心理学、そして臨死体験(NDE)研究といった形で、この古代の知恵は再 び公の場に断片的に現れ始めた。
- 究極の啓示: 本書の最も根源的な主張は、「意識は脳によって生み出されるのではなく、脳を通して焦点を結ぶもの」であるという点にある。死は意識の終わりではなく、物理的制約からの「解放」であり、その体験は個人の準備と精神的成熟度によって超越的な覚醒にも、恐ろしい溶解にもなり得る。 unpreparedな者にとっての無意識は、罰ではなく「慈悲深き休息」であるとされる。
1. 禁断の書:エリバル・モルティス・レベラトゥス
この書物は、現存する記録に公式名称はないが、コプト語修道院の断片などから「エリバル・モルティス・レベラトゥス」(明かされし死者の書)として知られていたと推測される。その内容は、一般的な宗教が提供する漠然とした天国や地獄の概念とは一線を画し、魂が死の領域を旅する過程を具体的かつ詳細に記述している。
- 本書の性質: 哲学、信仰、希望ではなく、直接的な「証言」に基づくとされる。死を意識的に経験し、移行期を航行し、記憶と自己同一性を完全に保持する方法を教える実践的な手引書である。
- 中心的な主張:
- 死は終わりや移行ではなく、物理法則と同じくらい厳密でありながら、人間の理解を超えた法則に支配される領域への「覚醒」である。
- 死のプロセスは受動的 に起こるものではなく、特定の儀式や精神的修練を通じて、能動的に参加し、指示し、交渉することさえ可能である。
- 魂の評価基準「メモリアリア」:
- 死後に魂を調べる存在は、道徳的な純粋さではなく、「メモリアリア(Memorialia)」を評価する。
- メモリアリアとは、肉体を纏いながらも自らの永遠性を記憶する魂の能力を指す。
- この能力を持つ魂にとって死は「帰郷」となり、持たない魂は地獄よりも恐ろしい「完全な無意識」に直面する。これは罰ではなく、準備のできていない魂を保護するための「慈悲」であるとされる。
- 死は技術である: 本書は死を古代の秘儀参入儀礼と同様に扱い、終わりではなく究極の卒業と見なす。道徳的価値ではなく、意識の発達度を決定する最終試験として死を捉え、それを習得する技術(サンスクリット語のマントラ、ヘブライ語の公式、エジプトの象形文字など)を提供していた。
2. 古代における死の理解
禁断の書が提示する概念は革命的な新思想ではなく、後に宗教機関によって意図的に消し去られた、人類最古の死生観を保存・統合したものであったとされる。
- メソポタミア:
- シュメールの儀式文書「ウルカラ・ナムブルビ」は、神話ではなく、生きたまま冥界を航行するための操作マニュアルであった。
- 「ギルガメシュ叙事詩」の原型には、呼吸停止の瞬間や意識 の溶解シークエンスなど、死の物理的感覚に関する詳細な記述と、その過程で意識を維持するための段階的な指示が含まれていたが、後のバビロニア版で組織的に削除された。
- 死の女神エレシュキガルは、腐敗の象徴ではなく、彼女の領域を通過する各意識の詳細な記録を保持する「魂の記録の番人」として描かれていた。
- エジプト:
- 有名な「死者の書」の前身である「アババル・テキスト」には、死後の意識保持に関するより明確な指示が含まれていた。
- 死は、受動的な犠牲者ではなく、宇宙的な法的手続きにおける能動的な参加者として、交渉可能なプロセスであった。
- 王家の谷KV55墳墓から発見されたカノプス壺の詰め物であったパピルス断片には、適切に準備された個人が完全な意識を保ち、死後の体験の条件を交渉できたことが記されていた。
- 「カー」は単なる生命力ではなく、肉体から分離して独立して活動するように訓練できる意識の一側面として理解されていた。
- ペルシャ:
- ゾロアスター教の「シンヴァト橋」は、生と死の間の比喩的な架け橋ではなく、適切に準備された意識には文字通り見える構造物であった。橋の幅は、魂が地上で培った真実を認識する能力「アシャヒシュタ」によって変化した。
- 文化横断的な証拠:
- メソポタミア、エジプト、ペルシャの文献には、「閾の守護者」として知られる同一の存在との遭遇が記述されている。
- これらの存在は神や悪魔ではなく、死の状態の恒久的な住人であり、到着した意識の道徳性ではなく、状態遷移中に一貫した認識を維持 する能力、すなわち意識の発達度を試すとされた。
3. 組織的な知識の隠蔽と破壊
人類の根源的な死の知識の破壊は、偶然ではなく、宗教機関によって画策されたものであった。その動機は、自力で死を乗り越えられる信者は、聖職者による救済を必要としなくなるという根本的な真実を認識したことにあった。
- キリスト教:
- アレクサンドリアのクレメンスは、キリスト教神秘主義者が実践した「グノーシス的死」(意識的な肉体からの離脱)について広範に論じていたが、その部分は現存する写本から検閲・削除された。
- 西暦325年のニカイア公会議において、「死の問題」が議論された。信者に意識的な死の実践的方法を教えるべきか、希望に満ちた無知の状態に留めるべきかが問われ、僅差で後者が採択された。
- 公式教義は「人間の技術ではなく、神の慈悲に信頼して子供のように死に近づくべき」とされ、これは信者を宗教機関に最大限依存させるための社会工学であった。
- ユダヤ教:
- 古代の死の知恵を保存すべきかについて、ラビの間で激しい議論があった。ラビ・アキバは伝統的なメルカバ瞑想の実践維持を主張したが、保守派は危険すぎると反対した。
- その結果、知識は破壊されるのではなく、カバラのような秘教文書の中に暗号化されて隠された。「生命の樹」の10のセフィロトは、元来、 死の際の意識が溶解する10段階と、各段階を航行するためのマントラや視覚化技法を記述したものだった。
- イスラム教:
- 初期のスーフィー指導者たちは意識的な死に関する詳細な知識を持っていたが、正統派当局から次第に警戒されるようになった。
- アル・ガザーリーの著作は、かつて信者を意識的な死に備えさせた実践を、単なる信仰的な修行として再構成し、その実践的な死後への応用を取り除いた。
- 隠蔽の頂点:
- 西暦381年の「大和解」と呼ばれる秘密会議で、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、そしてローマ帝国の権力者が結集し、宗教的権威のみならず社会秩序全体を脅かすこの書の完全な根絶を目指した。
- シリアのエデッサで修道士シメオンが本書の技法を教え、その弟子たちが意識を保ったまま平穏に死んでいく様子が目撃されたことが、弾圧の引き金となった。
- 弾圧は、写本の破壊、実践者の処刑、意図的に改竄された偽のテキストの流布、異常なほど死を恐れない者を密告させる心理戦など、徹底的かつ組織的に行われた。
4. 秘密裏の伝承と中世・ルネサンス期への再浮上
完全な弾圧にもかかわらず、知識は地下水脈のように生き残り、正統派宗教が制御できない伝統の中で新たな生命を見出した。
- ヨーロッパのオカルティズム:
- 12世紀以降、意識的な死のための技法が、グリモワール(魔術書)や錬金術の写本に再登場し始めた。
- 『アルス・ピカトリクス』には「太陽の死」と呼ばれる占星術計算に偽装された体系が含まれていた。
- 13世紀の『リベル・ユラトゥス・ホノリイ』は、死の瞬間に意識を準備するための詳細な指示を記載していた。
- 秘教的伝統:
- カバラ: 『ゾーハル』は、神の流出に関する議論に偽装して、死の過程における意識の状態変化の精密な地図を含んでいた。16世紀のカバリスト、イサク・ルリアは、本書のかなりの断片を所有していたとみられ、輪廻転生のメカニクスについて詳細に教えた。
- スーフィズム: イブン・アラビーの「神秘的な死」という概念は、文字通りの実践を指していた。彼の私的な著作には、実際の肉体的な死に備えるための呼吸法や意識の実践が記述されている。
- ルネサンスの魔術と錬金術:
- ジョン・ディーとエドワード・ケリーの「エノク語体系」は、古代の記述と不気味に一致する意識状態の詳細を含んでおり、彼らが本書のかなりの部分を再構築した可能性を示唆している。
- 錬金術の有名なモットー「ソルウェ・エト・コアグラ」(溶解し、凝固せよ)は、化学プロセスだけでなく、熟練した実践者が死の際に航行できる意識の溶解と再構成のプロセスを記述していた。
5. 近代における復活と現代的文脈
禁断の死の知識は、19世紀以降、一見無関係に見える複数の運動を通じて公の意識に爆発的に浮上した。これらの運動は、実際には同じ古代の源泉から知識を引き出していた。
- 19世紀の動向:
- 心霊主義: アメリカとヨーロッパを席巻したこの運動は、千年以上にわたって初めての、大規模な死者とのコミュニケーション技術の復活であった。成功した霊媒師たちは、古代の死のテキストに記述されたものと著しく類似した技術を実践していたとされる。
- 神智学: ヘレナ・ブラヴァツキーと神智学協会は、死の準備実践を含む古代の知恵の伝統の復活を明確に目指した。彼女がチベットで本書の断片に遭遇したと主張し、その死と再生の間のバルド(中陰)状態に関する記述は、古代の文献と一致する詳細を含んでいた。
- 20世紀の展開:
- カール・ユング: 錬金術テキストと異文化間の死の象徴の研究を通じて、意図せずしてこの知識に遭遇した。彼の集合的無意識の概念や元型の分析は、暗号化された死の習得技術を含む中世の写本に深く影響されている。
- 臨死体験(NDE)研究: 1970年代に始まったレイモンド・ムーディーらの研究は、光のトンネル、光の存在との遭遇、人生のレビューなど、禁断の書の内容と正確に一致する現象を記録した。しかし、現代の研究者はこれらを学習可能なスキルではなく、受動的な体験として扱う傾向にある。
- 現代的文脈:
- 現存する伝統: 現代のチベット仏教、特に『バルド・トドゥル』(チベ ット死者の書)は、古代の死の知恵の最も完全な現存版を保存している可能性があるが、その実践的技術は高度に儀式化されている。
- 危険な顕現: 一部のオカルト教団から過激派グループに至るまで、この技術を悪意ある目的で再構築しようとする試みが存在する。
- デジタル時代: オンラインコミュニティは知識の普及を促進する一方、準備のできていない個人による危険な実験を誘発し、精神的外傷や早すぎる死の試みにつながっている。
- 科学的検証の可能性: 現代の神経科学と意識研究は、死の際の脳活動、サイケデリック体験、瞑想の効果などの研究を通じて、本書の主張を経験的に検証する枠組みを提供し始めている。
6. 究極の啓示:意識の本質
16世紀にわたる隠蔽と迫害を正当化した恐ろしくも美しい真実、それは本書の究極の啓示にある。
- 意識の本質: 死は意識に起こることではなく、意識が経験することを選択するものである。意識は脳によって生み出されるのではなく、拡大鏡を通して集光される太陽光のように、脳を通して焦点を結ぶに過ぎない。死は意識の終わりではなく、物理的制約からの解放である。
- 隠蔽の真の理由: この知識は偽りだからではなく、破壊的なまでに真実であったから隠蔽された。死を恐れるべき運命ではなく習得すべき技術と理解する人類は、死の恐怖に基づいて構築されたいかなる機関によっても統治不 可能になる。
- 無意識という慈悲: 本書はさらに深遠な啓示を含んでいた。意識的な死への準備ができていないほとんどの人間は、罰としてではなく、慈悲として「溶解」を経験する。死の移行を通じて意識を維持するには、ほとんどの人が持っていないレベルの精神的統合と成熟が必要である。準備のできていない意識にとって、一時的な忘却は、トラウマになりかねない体験ではなく、休息と最終的な再生を可能にする「慈悲深き休息」なのである。
- 個人の選択: この知識は、万人に向けた啓示ではなく、死の挑戦を乗り越えるだけの内的な強さを培った稀な個人のための専門知識であった。最終的に、死を単なる生物学的な終焉と見なして生きるか、あるいは自らの意識が無限に壮大で恐ろしい何かを成し遂げる可能性に備えるか、その選択は各個人に委ねられている。
死の知識の組織的抑圧:古代の「意識的な死」の実践が制度的権威によっていかに変容させられたかについての歴史的分析
1. 序論
本稿は、単なる歴史研究ではない。それは、人類史において最も厳重に守られてきた秘密、すなわち死に関する実践的知識をめぐる、一つの考古学的発掘である。主要な宗教機関が自らの権威を維持し、社会的統制を確立するために、この知識体系を意図的かつ組織的に抑圧・変容させてきた歴史的プロセスを分析する。
この失われた知識体系は、歴史の闇に葬られた禁断の書物、象徴的には「Elibar Mortis Revelatus」(明かされたる死の書)として知られる文書群に集約される。司教たちが図書館を焼き、カリフが処刑を命じ、ラビたちが血の誓いを立ててまで隠蔽しようとしたこの知識の中心的主張は、かつて個人の技術として習得可能であった「死の習得(ars moriendi)」が、制度への依存を促す「死への不安(terror mortis)」へと意図的に置き換えられたという点にある。
本稿では 、まず抑圧以前の古代世界に存在した実践的な死生観を概観し、次に三大一神教が主導した知識の破壊と変容の戦略を検証する。さらに、徹底的な弾圧下でこの知識がいかに存続し、近代になって再浮上したかの系譜を追跡し、最後にこの歴史的抑圧が現代の我々の死生観に与える影響について考察する。
1.1. 研究の背景と問題提起
歴史を通じて人類に語られてきた最大の嘘は、生き方についてではなく、死後に何が起こるかについてであったとしたらどうだろうか。この挑発的な問いは、本研究の出発点である。歴史の記録によれば、主要な宗教機関が16世紀以上にわたって隠蔽してきたとされる一つの秘密が存在する。それは、死が避けられない運命であるだけでなく、意識的に経験し、航行し、さらには習得することさえ可能なプロセスであるという知識である。本研究は、この「意識的に死ぬ」ための実践的知識が、なぜ、そしていかにして組織的に抑圧され、歴史から抹消されたのかという問題を解明することを目的とする。
1.2. 本稿の構成
本稿は、以下の構成で論を展開する。
- 第一に、古代メソポポタミアやエジプトにおいて、死が受動的な運命ではなく、習得可能な「技術」として捉えられていた時代の死生 観を分析する。
- 第二に、台頭してきた一神教の制度的権威が、自らの存続のためにこの知識をいかにして組織的に破壊し、その意味を変容させていったかの過程を検証する。
- 第三に、公的な弾圧の下で、この知識が秘教的な伝統の中にいかにして暗号化され存続し、近代になって心霊主義や心理学、臨死体験研究などを通じて再浮上したかの系譜を追跡する。
- 最後に、この長きにわたる歴史的抑圧が現代の死生観に与える影響を結論づけ、失われた知識が現代社会に投げかける問いを提示する。
2. 抑圧以前の死生観:古代世界における「死の技術」
後の時代に行われた知識抑圧の動機と影響を深く理解するためには、まず抑圧以前に存在した古代の死生観を把握することが不可欠である。このセクションでは、死が避けられない運命や神の裁きとしてではなく、個人の意識の発達度に応じて習得し、航行することが可能な「技術」として捉えられていた時代の世界観を明らかにする。そこでは、死は終焉ではなく、意識にとっての究極の卒業試験であった。
2.1. 古代メソポタミアとエジプトにおける実践的死生観
古代メソポタミアとエジプトの死生観は、単なる神話的物語ではなく、死後の世界を航行するための極めて実践的な「取扱説明書」としての性格を有していた。これらの文書は、死のプロセスを詳細に記述し、生者がその旅に備えるための具体的な訓練法を提示していた。
- シュメールの儀式文書(Urkala Nambourby): これらの粘土板文書は、冥界の神話を描いたものではなく、生者が生存中に冥界を航行するための具体的な運用マニュアルであった。そこには、特定のタイミングで行う呼吸法や、死の移行に備えるための意識の準備方法など、精密な指示が含まれていた。
- 『ギルガメシュ叙事詩』の原典: 我々が今日知る『ギルガメシュ叙事詩』は、後代に改変されたものである。1970年代に発見された古いアッカド語の断片によれば、原典には死の物理的感覚、呼吸停止の瞬間、そして意識が段階的に溶解していくプロセスに関する詳細な記述が含まれていた。さらに驚くべきことに、その全過程を通じて覚醒を維持するための段階的な指示まで記されていた。なぜこれらの記述について耳にすることがないのか。それは考古学当局が、その革命的な含意を理解した上で、大部分を非公開にしているからである。
- エジプトの『アババール文書』: 有名な『死者の書』の前身にあたるこれらの文書群は、死後の意識を保持するための、より直接的かつ露骨な指示を含んでいた。その重要な断片は、王家の谷のKV55号墓で、カノプス壺 の詰め物として使用されていたパピルスの中から発見された。後代の『死者の書』が神の裁きと慈悲を強調するのに対し、『アババール文書』は死を受動的な裁きではなく、故人が宇宙的な法廷手続きに積極的に参加する「交渉可能なプロセス」として描いていた。
この実践的死生観は特定の地域に限定されたものではなかった。古代ペルシャのゾロアスター教文書が記述するチンワトの橋は、生と死を分かつ比喩的な架け橋ではなく、「適切に準備された意識には文字通り見える構造物」とされ、その幅は個人の真理を認識する能力によって決まるとされた。
2.2. 道徳ではなく意識の発達を問う死
古代の死生観における核心的な概念は、死後の運命を決定する基準が、道徳的な善悪ではなく、個々の魂が持つ意識の発達度であったという点にある。彼らは、魂の質を測るための特定の用語を持っていた。
- Memorialia(メモリアリア): この用語は、魂が肉体という物理的な制約の中にありながら、自らの永遠性(eternal nature)を記憶し続ける能力を指す。この能力を持つ魂は、死を恐怖の対象ではなく、本来の故郷への帰還として経験するとされた。
- tuus(トゥース): シュメール人が「降下するもの」と呼んだこの言葉は、個々の魂が持つ意識の質そのものを指した。古代の円筒印章には、冥界の女神エレシュキガルが、死者の体 から立ち上る巻物のような放射物(tuus)を調べる様子が描かれている。この意識の質が、道徳的な報いや罰ではなく、死における経験の質そのものを決定づけた。
このように、古代世界では死は自己完結的なプロセスであり、個人の内的な準備と意識の技術によって乗り越えられるものと見なされていた。このような死生観は、信者と神との間に介在することで権威を確立しようとする後の宗教機関にとって、その存在基盤を揺るがす極めて大きな脅威となるものであった。
3. 制度的権威による知識の変容と破壊
個人が自らの力で死を習得できるという知識は、なぜ台頭してきた宗教機関にとって存亡に関わる脅威と見なされたのか。このセクションでは、制度的権威の確立と維持という明確な目的の下、古代から受け継がれてきた「死の技術」に関する知識が、いかにして意図的かつ組織的に根絶されたかを検証する。これは単なる神学論争ではなく、人間の最も根源的な経験に対する支配権をめぐる、前例のない敵同士の同盟による周到なキャンペーンであった。