1977-09-02 : Fort Benning 陸軍駐屯地での大規模な UFO/abduction 事件
前置き
Fort Benning 陸軍駐屯地(*1)で起きた UFO/abduction 事件に関する(証言を元にした)解説動画を AI で整理した。
(*1) Fort Benning 陸軍駐屯地 とは
(via DeepL)
フォート・ベニング(2023年から2025年までは旧フォート・ムーア)は、ジョージア州コロンバスにあるアメリカ陸軍の駐屯地である。ジョージア州とアラバマ州との州境に位置するフォート・ベニングは、12万人以上の現役軍人、家族、予備役兵士、退職者、文民職員を日々支援している。戦力投射プラットフォームとして、フォートベニングは指定された任務のために、戦闘態勢の部隊を空路、鉄道、高速道路で配備することができる。フォートベニングは、アメリカ陸軍機動センター・オブ・エクセレンス、アメリカ陸軍機甲学校、アメリカ陸軍歩兵学校の本拠地である、 Western Hemisphere Institute for Security Cooperation(旧称:School of the Americas)、第75レンジャー連隊、第1治安部隊支援旅団、およびその他の入居部隊。
1918年にキャンプ・ベニングとして設立され、アメリカ南北戦争のヘンリー・L・ベニング連合軍将軍にちなんで命名された、歩兵の本拠地である。[] 1922年にキャンプ・ベニングはフォート・ベニングとなった。2005年、2005年基地再編・閉鎖委員会(BRAC)の決定により、多くの学校や施設を統合し、さまざまな「センター・オブ・エクセレンス」を設立するため、マヌーバ・センター・オブ・エクセレンスに生まれ変わ った。[2] [2]
2023年5月、南部連合に関連する名称の撤廃の一環として、ベニング砦はハル・ムーア将軍とその妻ジュリア・コンプトン・ムーアにちなんでムーア砦と改名された。2025年3月、国防長官はムーア基地の名前をフォート・ベニングに戻すよう命じた。基地名は現在、フレッド・G・ベニング伍長に敬意を表している。彼は1918年、第一次世界大戦中にフランスで米軍とともに行動し、その並外れた英雄的行為により殊勲十字章を授与された。
要旨 : フォートベニング事件:UFOと兵士の記憶
この文書は、フォートベニング事件として知られる1977年9月2日のUFO遭遇の疑惑に関する詳細な概要を提供しています。
この説明は、ジョン・バスケスとジェームズ・ノートンという2人の元兵士の記憶回復を中心に展開しており、彼らは催眠療法を通じて、大規模な誘拐事件や宇宙人との銃撃戦を経験したと主張しています。また、文書は軍事基地付近でのUFO目撃の歴史的パターンに触れ、ティクタク遭遇などの他の有名な事例も引用しています。
さらに、懐疑論者の視点として、バスケスの主張を裏付ける公式記録が不足していることや、出来事の別の説明(例えば、麻疹による幻覚やMKウルトラのような軍事実験の可能性)にも言及しています。
最終的に、フォートベニング事件がエイリアンとの接触の証拠なのか、それとも隠蔽された人間の実験なのかという疑問を提示しています。
目次
- 前置き
- 要旨 : フォートベニング事件:UFOと兵士の記憶
- 全体俯瞰 : フォートベニング事件:UFO遭遇と隠蔽疑惑の概要
- フォートベニング事件(1977年)に関する包括的インシデント報告書
- John Vasquez の証言
- James Norton の証言(2011年)
- Fort Benning 駐屯地の背景
- 超常現象・UFO 説(信奉者)
- UFO 現象との関連性
- 懐疑論と代替説明
- 政府の対応と隠蔽
- 主要関係者
- 情報源
- 文字起こし
全体俯瞰 : フォートベニング事件:UFO遭遇と隠蔽疑惑の概要
エグゼクティブ・サマリー
本文書は、1977年9月2日にジョージア州の米陸軍基地フォートベニングで発生したとされるUFO遭遇事件、通称「フォートベニング事件」に関する情報を統合したものである。この事件は、元兵士ジョン・バスケスとジェームズ・ノートン曹長長の2人の証言に基づいている。彼らは、催眠療法を通じて回復したとされる記憶を元に、同夜に地球外生命体との接触、大規模な兵士の誘拐、さらには戦闘行為があったと主張している。
バスケスは、約1300人の新兵が整列中に謎の光に遭遇し、混乱状態に陥った後、自身を含む多くの兵士が拉致され、未知の存在による身体検査を受けたと証言している。一方、ノートンは、国防長官が視察する中でUFOとの銃撃戦が発生し、UFOを撃墜し たものの自身も負傷し、その後、軍による徹底した証拠隠滅作業を目撃したと述べている。
これらの証言は、記憶喪失、奇妙な身体的症状、時間の不一致といった、他のUFO拉致事件と共通する要素を多く含んでいる。しかし、物的証拠は乏しく、バスケスがフォートベニングに勤務していたという公式記録は見つかっていない。事件の真相については、麻疹の流行による集団幻覚、極秘の軍事実験(MKウルトラのような)、あるいは証言者による捏造など、複数の代替仮説が提唱されている。公式な記録が存在しないこと自体が、政府による隠蔽工作の証拠であると主張する者もおり、事件は未解決のままUFO研究における最も不可解な事例の一つとして語り継がれている。
1. 事件の背景:軍事施設とUFOの関連性
UFOの目撃情報は、世界中の軍事施設周辺で頻繁に報告される傾向がある。この現象は、地球外生命体が人類の軍事能力を評価しようとしている可能性を示唆するものとして、UFO研究家の間で注目されている。
- 代表的な事例:
- チックタック事件 (2004年): 米海軍空母ニミッツのパイロットたちが、物理法則を無視した動きをする白い長方形の物体に遭遇。この遭遇は赤外線カメラと海軍レーダーによって記録された。
- ゴーファスト/ジンバル事件 (2015年): 米海軍空母ルーズベルトのパイロットたちが、高速で移動する複数 の飛行物体を目撃し、赤外線ターゲティングシステムで撮影した。
- レンドルシャムの森事件 (英国): 核ミサイル格納庫の近くでUFOが目撃された。
- マルムストローム空軍基地事件 (モンタナ州): UFOが核ミサイルシステムを無力化したとされる報告がある。
- フォートベニング基地の特殊性:
- 1918年に設立された米陸軍の中核的施設であり、第75レンジャー連隊などのエリート部隊が駐留する。
- 基地とその周辺地域は、歴史的にUFOの目撃情報が多発する地域であり、特に1949年から1952年にかけての「バルドスタ目撃事件」などが知られている。
2. フォートベニング事件の核心:二人の兵士の証言
この事件の核心は、ジョン・バスケスとジェームズ・ノートンという二人の元兵士の証言にある。両者とも、事件後10年以上にわたって記憶を失っていたが、悪夢に悩まされた末に催眠療法を受け、1977年9月2日の夜の出来事を思い出したと主張している。
2.1. ジョン・バスケスの証言
バスケスは1990年代初頭にUFO国際会議で自らの体験を語り始めた。彼の証言は、作家のグラハム・バードセルによって詳細に記録された。
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 発生日時 | 1977年9月2日 午後7時30分頃 |
| 場所 | フォートベニング基地の広場 |
| 関係者 | 第15歩兵連隊第1大隊の兵士約1300名(アルファ、ブラボー、チャーリー、デルタ中隊) |
| 状況 | 新兵歓迎式典のための夜間パレード |
出来事の時系列:
- 最初の兆候: バスケスは夜空に一旦停止し、逆行する奇妙な光を目撃する。
- 光の接近: 式典が始まろうとした時、近くの森からコンクリートパイプの中を風が通り抜けるような激しい音と共に、トラックのヘッドライトのような強い光が現れ、広場に接近した。
- 混乱と麻痺: 光が木々のラインに達すると、辺りは真昼のように明るくなり、兵士たちはパニックに陥った。ある者は逃げ出し、ある者はトランス状態のようにその場に凍りつき、またある者は立ったまま眠っているように見えた。
- 意識喪失と覚醒: バスケスは意識を失い、気づくと広場で下半身が麻痺した状態だった。周囲では兵士たちが逃げ惑い、数百人が演台の後ろで凍りついた大尉のように静止していた。
- 救出と隠蔽: 同僚のアレンに助けられて動けるようになり、建物の下に隠れた。そこにいた軍曹が兵士を統制しようとしたが、小さな光球に撃たれて意識を失った。
- テレパシーと拉致: 基地 全体が白い光に包まれ、バスケスは「大丈夫、怖がるな。出てきなさい」という金属的な声を頭の中で聞いた。光の中へ歩み出ると、何かに肩と背中を打たれ、再び意識を失った。
- 身体検査の記憶: 次に気づいた時、バスケスは上昇していた。目を閉じるよう命令され、その後、板の上に横たわる自分と、意識不明のまま並ぶ他の兵士たちのビジョンを見た。2体の存在が検査を行っている様子や、地球が破壊される映像、水銀のように溶ける人間の顔のイメージが断片的に蘇った。
- 帰還と後遺症: 再び意識が戻ると、バスケスは広場の整列に戻っていたが、周囲の兵士は別人になっていた。多くの兵士がめまいや吐き気を訴え、式典は中止された。自室に戻ると、シャツのボタンが半分外れ、ズボンは緩み、ブーツの紐が間違って結ばれていた。ズボンの中には奇妙な糊状のペーストが付着していた。
- 時間の不一致: 兵舎の兵士たちの腕時計は、午後7時40分、午前3時30分、午前4時45分と、それぞれ全く異なる時刻を示していた。
- 記憶の喪失: 事件後、バスケスは激しい筋肉の痙攣で軍病院に入院し、その後ドイツへ転属された。事件に関する記憶は、1980年代に悪夢を見始めるまで完全に失われていた。
2.2. ジェームズ・ノートン曹長長の証言
2011年、当時予備役だったジェームズ・ノートン曹長長が名乗り出た。彼の記憶 も催眠療法によって回復したもので、バスケスの証言と一致する点も多いが、より戦闘的な内容となっている。
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 発生日時 | 1977年9月2日夜 |
| 場所 | フォートベニング基地の射撃場 |
| 状況 | 国防長官が視察する中での射撃訓練 |
出来事の概要:
- UFOの出現: 訓練中、空に3つの光球(オーブ)が出現。さらに3つの光球が低空で現れ、射撃場を高速でかすめて飛行し、兵士たちは混乱に陥った。
- 戦闘の発生: 光球は兵士たちに光線やオーブを発射し始め、兵士たちも応戦した。基地のヘリコプターが少なくとも1機爆発炎上し、負傷者が出た。
- UFOの撃墜: ノートンは国防長官らを守りながら応戦。兵士が発射したロケット推進擲弾(RPG)の1つが光球に命中し、それを撃墜した。
- 負傷と意識喪失: ノートンは光線に撃たれ、制服を貫通するほどの激痛を感じた後、意識を失った。
- 証拠隠滅: 意識を取り戻すと戦闘は終わっており、所属不明の軍関係者が現場を封鎖し、証拠の回収作業を行っていた。
- 回収物の目撃: ノートンは、墜落した2機のUFO(白く長方形)と、その残骸を積み込んでいる2機の所属不明機をローソン飛行場で目撃した。
- 後遺症: 事件後、ノートンは少なくとも2日間、氷水に浸さなければならないほどの高熱に浮かされた。
- その後の遭遇: ノートンは1986年にも、基地外の火災現場で地 面から掘り出される長方形のUFOを目撃したと主張している。
3. 証拠と矛盾点
この事件の信憑性を巡っては、肯定派と懐疑派の間で意見が分かれている。物的証拠が極めて乏しいことが、議論を複雑にしている。
- 肯定的な証拠・状況証拠:
- 証言の詳細性: バスケスの証言は、強烈な光、記憶喪失、身体的変位、非人間的存在との遭遇、精神的交信、奇妙なビジョンなど、他のUFO拉致事件で報告される典型的な特徴と酷似している。
- ノートンの存在: ジェームズ・ノートンという人物は実在し、1973年から1996年まで曹長長として勤務していたことが確認されている。現役軍人がキャリアを危険に晒してまで証言した点は重要視される。
- 公式文書の存在?: バスケスは情報公開請求により、事件当時に基地で米空軍と統合攻撃兵器システム(JAWS)の実験が行われたことを示す文書を入手したと主張。しかし、その後、統合参謀本部は情報を誤りと訂正し、文書の返還を求めたとされる。
- 否定的な証拠・矛盾点:
- 公式記録の欠如: サンディエゴ選出の下院議員を含む独立した調査によっても、ジョン・バスケスがフォートベニングに勤務していたという公式記録は一切発見されていない。
- 麻疹の流行: 事件当時に基地で麻疹が流行したという新聞記事が存在するが、これを裏付ける軍の公式記録はない。
- ノートンの信憑性: ノートンに関する情報公開請求は行われておらず 、彼の詳細な軍歴は不明である。また、インタビュー時の彼の南部訛りが、ニュージャージー州出身とされる人物像と一致しないため、偽名の使用や別人によるなりすましの可能性も指摘されている。
- 物的証拠の不在: 証言以外に、事件を裏付ける物的証拠は公には一切存在しない。
4. 事件に関する代替仮説
地球外生命体の介入以外の可能性として、以下の3つの仮説が提唱されている。
- 麻疹による幻覚説: 事件当時に基地で流行していたとされる麻疹にバスケスが感染し、40℃に達することもある高熱によって鮮明な幻覚(幻視、幻聴、幻触)を体験した可能性。バスケス自身が事件後に体調不良で入院したと証言している点がこの説を補強する。
- 軍事実験説: CIAが秘密裏に行ったマインドコントロール計画「MKウルトラ」のように、軍が兵士を対象にLSDなどの強力な薬物を用いた実験を行った可能性。薬物の影響であれば、兵士たちが凍りついたり、パニックに陥ったりした状況を説明できる。また、記憶を消去する薬物が併用された可能性も考えられる。
- 捏造説: バスケスが注目を集めるために事件を捏造し、後にノートンを名乗る別の人物がラジオに出演するために話に乗じたという説。バスケスの証言が、他のUFO事件の典型的なパターンと「あまりにもよく一致しすぎている」点が、懐疑派から指摘されている。
5. 結論と未解決の謎
フォートベニング事件は、証言の詳細さと物的証拠の欠如という大きな矛盾を抱えている。ジョン・バスケスとジェームズ・ノートンの回復された記憶が真実であれば、米軍は地球外生命体と接触し、交戦しただけでなく、その技術の一部を回収したことになる。そして、この歴史上最も重要な出来事を隠蔽するために、情報操作と関係者への脅迫を行っていることになる。
一方で、これが幻覚や捏造である可能性も否定できない。しかし、もし捏造であれば、なぜ軍はバスケスの軍歴に関する記録について曖昧な態度をとり続けるのかという疑問が残る。
事件を取り巻く「沈黙」そのものが、最も雄弁な手がかりなのかもしれない。軍の失敗した実験の残響なのか、あるいは地球外からの来訪者の痕跡なのか、1977年9月2日の夜にフォートベニングで何が起こったのか、その真相は依然として謎に包まれている。
フォートベニング事件(1977年)に関する包括的インシデント報告書
1.0 序論:事件の概要と歴史的背景
1977年にジョージア州フォートベニング陸軍基地で発生したとされる事件は、米軍兵士が関与した最大規模かつ最も不可解なUFO遭遇事件の一つとして知られている。本報告書は、この事件に関する二人の主要な目撃者、ジョン・バスケス二等兵とジェームズ・ノートン曹長の証言を詳細に分析し、その共通点と重大な矛盾点を明らかにすることを目的とする。軍事施設近辺で頻発する未確認航空現象(UAP)の文脈において、フォートベニング事件の分析は、UAPとの交戦プロトコルの潜在的可能性や、非従来型の事象に対する軍人の脆弱性を理解する上で、戦略的に重要である。
1.1. UFOと軍事施設の関係性
数十年にわたり、世界中のUFO目撃情報には、軍事基地の近辺で発生するという一貫したパターンが見られる。レーダー技師から戦闘機パイロットに至るまで、最も信頼性の高い遭遇記録の多くは、一般市民ではなく、高度な訓練を受けた軍関係者によってもたらされている。UFO研究家の多くは、この傾向を論理的だと捉えている。もし地球外生命体が我々の惑星を評価しようとしているのであれば、たとえその意図が平和的であっても、人類の軍事能力に関する詳細な知識を得ることは不可欠であろう。
この見解を裏付けるとされる近年の事例には、以下のようなものが含まれる。
- チックタック事件(2004年): 空母ニミッツのパイロットたちが、既知の物理法則を完全に無視する動きを見せる白い長方形の物体に遭遇した事件。この相互作用は赤外線カメラで撮影されただけでなく、海軍のレーダーでも確認された。
- ゴー・ファスト/ジンバル事件(2015年): 空母ルーズベルトのパイロットたちが、複数の高速で移動する空中物体を目撃し、赤外線ターゲティングシステムで記録した事件。
- レンドルシャムの森事件(英国): 核兵器が配備されていた空軍基地付近で発生した著名なUFO着陸事件。
- マルムストロム空軍基地事件(モンタナ州): UFOが核ミサイルサイロ上空に出現し、兵器システムを一時的に無効化したとされる事件。
これらの事例は、未確認航空現象が人類の最も危険な技術に対して強い関心を示している可能性を示唆している。
1.2. 事件の舞台:フォートベニング陸軍基地
ジョージア州とアラバマ州の州境に位置するフォートベニングは、1918年の設立以来、米陸軍の屋台骨として機能してきた主要な訓練拠点である。歩兵学校や第75レンジャー連隊などのエリート部隊の本拠地として、現代の軍事訓練における一大拠点であり続けている。
このアメリカ南部の特定地域は、歴史上最もよく記録されたUFO遭遇事件のいくつかがあった場所でもある。興味深いことに、これらの多くは基地の建設後に発生し、その周辺数時間のドライブ圏内で起こる傾向があった。例えば、近隣のジョージア州バルドスタでは1949年から1952年にかけて、町の上空を浮遊する明るい光や赤みがかった物体に関する多数の報告がなされた。また、1948年にはアラバマ州モンゴメリー上空で、2人のパイロットが自分たちの機体と並走して飛ぶ明るい物体を目撃している。これらの歴史的文脈は、1977年の事件が孤立したものではなく、長年にわたる地域的な現象の一部である可能性を示唆している。
軍とUFOの相互作用というこの確立された文脈が、1977年9月2日に2人の兵士によってなされた驚くべき主張の舞台を設定したのである。
2.0 目撃者証言①:ジョン・バスケス二等兵の記憶
ジョン・バスケスは、フォートベニング事件を初めて公に語った目撃者である。彼の証言は、事件から10年以上経ってから悪夢に悩まされ、催眠療法を通じて回復された記憶に基づいている。その内容は、約1,300人の米軍兵士が関与した集団拉致という、事件の核心となる物語を形成している。彼の詳細な記憶を検証することは、この不可解な事件を理解する上で不可欠である。
2.1. 事件発生:1977年9月2日夜
バスケスの記憶によれば、事件は以下の時系列で展開した。
- 午後7時30分頃: 第1大隊の新兵約1,300人が、夜間パレードのために野外で整列していた。これは、大尉による訓練開始の演説が行われる歓迎式典であった。
- 初期目撃: 整列して待機中、バスケスは空に微かな光が移動しているのに気づいた。当初は人工衛星かと思われたが、その光は停止し、反転してから再び進み去るという異常な動きを見せた。
- 異常現象の開始: 大尉が演台に上がろうとした瞬間、バスケスは「コンクリート管の中を風が通り抜けるような強烈な風の音」を耳にした。音のする方を見ると、近くの森から強い光が現れ、周囲を真昼のように明るく照らし出した。
- 混乱状態: 突如、部隊は混乱に陥った。兵士たちの一部は 隊列から逃げ惑い、他の者たちは立ったまま硬直した。バスケスが目の前の兵士を確認すると、彼は直立したまま眠りに落ちていた。他の硬直した兵士たちは、一部はまるでトランス状態にあるかのように頭をうなだれ、また一部は目が飛び出し、顎が不自然に緩んだまま立っていた。周囲では「兵士たちが叫び、よろめき、互いに衝突し合う」光景が広がっていた。
- 意識喪失と麻痺: その直後、バスケス自身も意識を失った。意識が戻った時、彼はまだ野外にいたが、下半身が麻痺して動けなくなっていた。仲間の兵士アレンが彼を引っ張り起こすと、再び動けるようになった。
- さらなる異常事態: 隠れ場所を探す途中、バスケスは中隊の曹長が建物から現れるのを目撃した。しかし、曹長が兵士たちに命令を下そうとした瞬間、小さな光球が彼を撃ち、意識不明にさせた。その後、バスケスは精神に直接響く金属的な声で「大丈夫だ、恐れるな」と語りかけられるのを聞いた。
2.2. 拉致と幻覚的記憶
金属的な声に導かれるように隠れ場所から出たバスケスは、再び意識を失った。次に彼が認識したのは、体が上方へ引き上げられる感覚だった。テレパシーで女性の声が「覚えているか?」と問いかけると、彼の頭の中に幻覚的なビジョンが流れ込んできた。催眠下で回復されたこれらの記憶は断片的だが、強烈なイメージを含んでいる。
- 彼は、意識不明か麻痺状態にある他の多くの兵士たちと共に、台の上に寝かされていた。
- 数台離れたテーブルで、2体の未知の生命体が何らかの検査を行っているのを見た。
- 「眠りなさい」という別の声が頭の中に響いた後、夢のようなビジョンを見た。それは、地球が破壊されるイメージや、人間の顔が液体水銀のように溶けていく光景だった。
2.3. 事件後の混乱と身体的影響
バスケスが次に目覚めた時、彼は1,300人の仲間と共に再び整列していた。しかし、状況は明らかに異常だった。周囲の兵士たちはめまいや吐き気を訴え、数名が嘔吐した。混乱した大尉は演説を中止し、部隊を解散させた。
兵舎に戻ったバスケスは、自身の服装に奇妙な点があることに気づいた。シャツのボタンは半分外れ、ズボンは留められておらず、ブーツの紐は正しく結ばれていなかった。さらに、ズボンの中には糊のようなペースト状の物質が付着していた。
最も不可解だったのは時刻の食い違いである。兵舎の兵士たちが腕時計を確認すると、ある者の時計は午後7時40分を、別の者は午前3時30分を、そしてバスケス自身の時計は午前4時45分を示していた。しかし、誰もが心身ともに疲弊しており、その矛盾を議論する気力はなかった。数週間後、バスケスは激しい筋肉の痙攣に襲われて陸軍病院に入院し、その後まもなくドイツへ転属となった。
バスケスの証言は10年以上にわたり唯一のものであった。しかしそ の後、彼の話を部分的に裏付けると同時に、根本的な矛盾を提示する、より高位の兵士による第二の証言が現れることになる。
3.0 目撃者証言②:ジェームズ・ノートン曹長の記憶
事件から30年以上が経過した2011年、ジェームズ・ノートンと名乗る人物が公の場に現れた。事件当時、現役の上級下士官であったとされる彼の証言は、この事件に全く異なる側面を加え、受動的な集団拉致の物語を、米軍と地球外存在との能動的な戦闘へと劇的に書き換えるものであった。特筆すべきは、彼が最初に証言を行った当時、まだ陸軍予備役として現役であり、その長いキャリアを危険に晒してまで公の場に出たという点である。
3.1. 別の視点:射撃場での戦闘
ノートンの記憶によれば、事件の状況はバスケスの証言とは大きく異なっていた。
- 状況設定: 事件が起きたのはパレード場ではなく、射撃訓練が行われていた射撃場だった。その訓練は、基地を視察に訪れていた国防長官に披露するためのものであった。
- 戦闘の開始: 訓練中、兵士たちが空に奇妙な光を目撃し始めた。ノートンが上空を見ると、高高度を飛行する3つの光球が確認できた。その直後、さらに低い高度を飛ぶ別の3つの光球が出現し、射撃場を高速で通過した。この行動に対し、武装した兵士たちを脅威と見なしたのか、光球は兵士たちに向けて光線や光球を発射し始め、戦闘が勃発した。
- 軍事交戦: 兵士たちは小火器で応戦。ノートンは基地のヘリコプターが1機爆発炎上し、兵士たちが火傷やその他の負傷で倒れるのを目撃した。彼は国防長官を防護しつつ、自らも応戦した。その際、兵士たちが発射したロケット推進擲弾(RPG)の1つが光球に命中し、それを撃墜したという。
3.2. 事件後の隠蔽工作と身体的影響
ノートンは光線の一つに撃たれて意識を失った。彼が意識を取り戻したとき、戦闘はすでに終結していた。彼の記憶にある事件後の状況は、高度な隠蔽工作の存在を示唆している。
- 証拠隠滅: 現場では、身元不明の軍関係者が多数活動しており、遭遇の証拠をすべて消去しようとしていた。
- 墜落機の回収: ノートンは、墜落した卵型の白いUFOが少なくとも2機あったと記憶している。それらの残骸は、近くのローソン飛行場に駐機していた無標識の航空機に積み込まれていた。
- 身体的影響: 事件後、ノートンは少なくとも2日間、高熱で重病に陥った。体温を下げるため、一日に何度も氷水に浸けられる必要があったという。
ノートンの証言は、事件が単なる目撃や拉致ではなく、直接的な軍事交戦であり、かつ高レベルの隠蔽工作が行われた可能性を示唆している。これにより、バスケスが確立した物語は根本的に複雑化し、両者の証言の直接比較が不可欠となった。
4.0 証言の比較分析と矛盾点
第二の目撃者であるノートンの出現は、1977年9月2日の夜にフォートベニングで何らかの異常事態が発生したという主張に、ある程度の信憑性を与える。しかし、バスケスとノートンの証言間に存在する著しい相違点の分析は、事件の真相を究明する上で不可欠である。本セクションでは、物語の一貫性を評価するため、両者の証言の一致点と相違点を詳細に分析する。
4.1. 共通点と相互補強点
両者の証言は、物語の核心部分で大きく食い違う一方で、以下の重要な要素を共有している。これらの共通点は、二人が独立して同じ出来事(あるいはその記憶の断片)を経験した可能性を示唆している。
- 日付: 両者とも、事件が1977年9月2日に発生したと証言している。
- 事象のきっかけ: いずれの証言も、空に出現した明るい光または光球が異常事態の始まりであったと述べている。
- 記憶の喪失: 両者とも、事件発生期間を含む1977年9月の大部分について、重大な記憶の欠落を報告している。
- 記憶の回復方法: どちらも、失われた記憶を回復するために催眠療法を用いている。
- 後遺症: 事件後、数年経ってから原因不明の悪夢や、バスケスの場合は体調不良(筋肉の痙攣)に悩まされたと主張している。
4.2. 重大な矛盾点
これらの共通点にもかかわらず、両者の証言には物語の根幹を揺るがす決定的な矛盾が存在する。以下の表は、その主な相違点をまとめたものである。
| 要素 (Element) | ジョン・バスケス (John Vasquez) | ジェームズ・ノートン (James Norton) |
|---|---|---|
| 場所 | パレード場 | 射撃場 |
| 事件の性質 | 集団拉致・麻痺 | 軍事交戦・戦闘 |
| 部隊の反応 | 麻痺・硬直・混乱 | 組織的な応戦 |
| 上級関係者 | 硬直した大尉 | 避難する国防長官 |
これらの重大な矛盾点は、物理的証拠の完全な欠如と相まって、懐疑的な視点と代替仮説の検討を不可避にするものである。
5.0 懐疑的見解と代替仮説
「異常な主張には異常な証拠が必要である」という科学的原則に照らし合わせると、フォートベニング事件にはその決定的な証拠が欠けている。公式記録、物的証拠、そして何よりも他の目撃者が存在しない。物理的証拠が皆無である現状において、いかなる厳密な分析も、既知の心理学的・歴史的前例に根差した非地球外仮説の検討を必須とする。主に3つの代替仮説が検証に値する。
5.1. 証拠と信憑性の欠如
両者の証言には、信憑性を問うべき複数の問題点が存在する。
- ジョン・バスケス: 独立した研究者による調査では、バスケスが軍に所属していた記録は確認されたものの、フォートベニング基地にジョン・バスケスという兵士が勤務した記録は一切存在しないことが判明している。この事実は、彼の証言の根幹を揺るがす。
- ジェームズ・ノートン: 彼の経歴には矛盾が見られる。インタビューでは南部訛りで話しているが、彼の経歴とされる人物はニュージャージー出身である。また、彼は最初の証言後、ほとんど沈黙を保っている。
- 矛盾する公式文書: バスケスは1997年、当該基地で「米空軍と統合攻撃兵器システムの実験」が行われたことを確認する文書を受け取ったと主張している。しかしその直後、統合参謀本部の委員会がその情報は誤りであると述べ、文書の返却を求めたという。この出来事は、極秘の軍事実験があった可能性と、高レベルの隠蔽工作が行われた可能性の両方を示唆する、事件の謎の中心的な柱である。
- 他の目撃者の不在: 事件には1,300人もの兵士が関与したとされているにもかかわらず、バスケスとノートン以外に名乗り出た者は一人もいない。これは、地球外仮説の信憑性に対する最も挑戦的な障害である。
5.2. 代替仮説
これらの懐疑的な点を踏まえ、以下の3つの代替仮説が提唱されている。
- 病気に起因する幻覚: バスケス自身が発見したとされる報告によれば、事件当時、基地でははしかの流行があった可能性がある。はしかに伴う高熱(時に40℃に達する)は、鮮明な視覚・聴覚・触覚の幻覚を引き起こすことが知られている。バスケスが事件後に体調不良を訴え、入院した事実は、彼の体験が実際には高熱による悪夢や幻覚であった可能性を示唆している。
- 極秘の軍事実験: 米軍が自国の兵士を実験対象とした歴史は、MKウルトラ計画(CIAによるマインドコントロール実験)などの前例によって証明されている。強力な幻覚剤(LSDなど)を兵士に投与する大規模な実験が行われたとすれば、バスケスが描写した奇妙な行動(硬直、混乱、恐怖反応)や、両者が報告している記憶喪失を説明できる可能性がある。この実験の一環として、一種の「被験者回収」シナリオが演じられた可能性も否定できない。
- 完全な捏造: 最も単純な懐疑的見解は、これが完全な作り話であるというものだ。バスケスが注目を集めるために話を捏造し、後にノートン(あるいは彼を名乗る人物)がラジオ出演の機会を得るためにその話に便乗したという可能性である。
これらの代替仮説もまた証明されてはいない。しかし、それらは地球外生命体との遭遇という仮説よりも、報告された奇妙な体験に対して、より従来型の説明を提供するものである。
6.0 結論:未解決の謎
フォートベニング事件は、その劇的な内容と証拠の欠如という矛盾により、現代UFO研究において最も魅力的でありながら、最も苛立たしい事例の一つであり続けている。この最終セクションでは、矛盾する証言と懐疑的な批評を総合し、事件の位置づけに関する最終的な分析を提供する。
6.1. 分析の要約
本事件が抱える中心的なジレンマは、以下の二つの対立する要素に集約される。
- 詳細だが矛盾に満たした2つの目撃証言: 共に催眠療法によって回復され、異常な体験を詳細に語るが、その内容(拉致か戦闘か)は根本的に異なっている。
- 検証可能な物理的・記録的証拠の完全な欠如: 1,300人以上が関与したとされる大規模な事件にもかかわらず、物的証拠、公式記録、そして第三者の目撃者が一切存在しない。