Jonathan Bricklin : 自身の神秘体験と William James を語る
前置き
Jonathan Bricklin は、William James の研究者であり、
ジョナサン・ブリックリン氏は、ニューヨーク・オープンセンターの元プログラムディレクターであり、ウィリアム・ジェームズに関する多数の学術論文の著者です。彼の著書『意志、自己、時間の幻想』および『Schistness』は、ジェームズの思想における自由意志、時間、自己といった概念の非実在性に焦点を当てており
という人物。その彼が自身の神秘体験を元にして語っている。
要旨
ウィリアム・ジェームズと神秘体験、非二元論
この資料は、ジェフリー・ミシュラブとジョナサン・ブリックリンとの対談の記録で、主にウィリアム・ジェームズの思想と分離の幻想を探求しています。
ブリックリンは、1989年に経験した個人的な神秘体験からウィリアム・ジェームズの学者になった経緯を語り、自由意志、自己、時間の非実在性といったジェームズの難解な側面を論じています。
対談では、意識の本質や「schistness」(意識から自己意識を除いたもの)、そして非二元論と多元的宇宙の間で葛藤したジェームズの哲学に焦点を当てています。
さらに、予知能力が自由意志にもたらす課題、ブロック宇宙の概念、そして苦しみの意味を宇宙的な遊び(リーラ)として捉える考え方など、超常現象(サイキカル・リサーチ)と哲学の関連性についても議論されています。
コメント
Jonathan Bricklin も「超越願望の罠」に嵌まっている。
つまり、「自身の神秘体験」という罠に嵌まっている。日常の意識状態(=正常な意識状態)から、瞑想という非日常的な意識状態(=正常から逸脱した意識状態)に自らを追い込み、神秘体験(=幻覚)を誘発させた。
その神秘体験によって日常的経験を超越した「幽玄な世界の真理、言語表現が不可能な絶対的真理」を垣間見たのだ…と他の神秘家と同様に彼も錯覚した。真 理なんて自身の超越願望が捏造した虚構でしかないのに、その虚構に額づいてしまっている。
目次
- 前置き
- 要旨
- コメント
- 全体俯瞰
- 概念解説
- Jonathan Bricklin の神秘体験(1989年、35歳)
- William James と一元/多元論
- 自由意志、自己、時間の幻想
- James と非二元(一元論的)洞察
- James と神の概念
- 自由意志のパラドックス
- 情報源
- 文字起こし(話者識別)
全体俯瞰
ウィリアム・ジェームズと分離の幻想:ブリーフィング・ドキュメント
エグゼクティブ・サマリー
このブリーフィングは、ジョナサン・ブリックリン氏へのインタビュー「ウィリアム・ジェームズと分離の幻想」の主要なテーマと洞察をまとめたものである。本文書は、ブリックリン氏の人生を変えた1989年の神秘体験を起点とし、その体験が彼を心理学者・哲学者ウィリアム・ジェームズの研究へとどのように導いたかを詳述する。
中心的なテーマは、ジェームズの思想に内在する根源的な対立である。一方には、19世紀の科学的決定論から彼を救い、生涯を通じて擁護し続けた「自由意志」と「多元的宇宙」(多者)の思想がある。もう一方には、自己、意志、時間が幻想であるという、彼自身の神秘的・形而上学的な洞察(一者)が存在する。
ブリックリン氏は、ジェームズの著作の中に、主観と客観の二元性が生じる以前の純粋な意識状態を指す「シストネス(Schistness)」という概念を見出す。これは、ジェームズが麻酔薬の体験を通じて垣間見た、自己意識が「後から付加されるもの」であるという洞察に基づいている。
さらに、自由意志を脅かすためにジェームズが長年避けてきた「予知」の現象が、彼の思索の核心を突く。ブリックリン氏は、ジェームズが晩年に提起した「意識は、発見されるのを待って、すでにそこにあるのではないか?」という問いが、時間は幻想であり、宇宙全体が予め存在する(ブロック宇宙)という神秘主義的・物理学的見解と共鳴することを論じている。本稿は、この対立と探求を、苦しみの問題や宇宙の根源的性質といった、より広範な哲学的考察へと展開させる。
1. ジョナサン・ブリックリンの変容的体験
ブリックリン氏のウィリアム・ジェームズ研究は、1989年に彼が35歳の時に経験した強烈な神秘体験に端を発している。この体験は、彼のその後の知的探求の方向性を決定づけた。
背景と瞑想リトリート
- 体験前の状態: 俳優から哲学へと転向したものの、人生の方向性を見出せずに「混乱していた」と述べている。
- きっかけ: アレクサンダー・テクニークの教師の勧めで、マサチューセッツ州のインサイト・メディテーション・ソサエティ(IMS)での瞑想リトリートに初めて参加した。
- 初期の洞察: リトリート初日、指導者クリストファー・ティトマスによる対話形式の指導を通じ、「私たちの問題はすべて、もはや真実ではない何かに執着していることから生じる」という洞察をわずか10分で得た。
法悦と「ライフレビュー」
- 痛みを 통한 法悦: リトリート3日目、膝の痛みを避けずに意識を集中させたところ、痛みが消え、「至福の波」に襲われた。これはすべてとつながっているという愛と一体感に満ちた状態であった。
- 教師の問いかけと身体的反応: 至福をどうすべきか教師に尋ねると、「たぶん、何もしないことね(Well, maybe you just do nothing)」とだけ言われ、その場を去られた。その言葉をきっかけに、彼はパニック発作のような激しい震えを経験したが、瞑想で培った「ありのままの気づき」によって、その状態を観察することができた。
- 無意識のムドラーとエネルギー: その後、木の下に座らされていると、無意識のうちに指と指が触れ合い、ムドラー(印相)を形成した。その瞬間、強烈なエネルギーが体を貫いた。
- 「ライフレビュー」: リトリートの最終日の翌朝、ベッドに座っていると、強烈なエクスタシーと共に、窓の外の雲の中に巨大なスクリーンのように人生の場面が映し出された。その特徴は以下の通りである。
- 対の構造: 人生の痛ましい、あるいは混乱した場面が映し出された直後、それを補い、そこから何を学んだかを示す「贖い」の場面が続き、人生全体が意味付けされた。
- 負担からの解放: この体験により、「避けるべきだと思っていたことすべてが、自分に何かをもたらしてくれた」と悟り、すべての重荷から解放された感覚を得た。
「水平線の瞬間」と非個人的な思考
- 現在への圧縮: ライフレビューの後、彼は「過去と未来の風景を失い、まさに水平線の瞬間に押し込められた」。思考と思考の間に「ギャップ」を感じる、一瞬一瞬が新たに生起する体験であり、松尾芭蕉の俳句の世界にたとえている。
- 思考の源泉: この状態では、思考が自分の中から湧き出るという感覚がなく、「これらの思考はどこから来るのか?」という問いが生じた。これは、道教の「語り、黙し、見、聞くものは何か?」という問いや、ジェームズの「私が考える(I think)」のではなく「それが考える(it thinks)」という概念に通じる。
体験から得られた核心的な教え
この一連の体験からブリックリン氏が得た唯一の教えは、「あるがままがある(whatever is, is)」というシンプルなものであった。この洞察が、彼のジェームズ研究の根幹をなすことになる。
2. ウィリアム・ジェームズの思想における核心的対立
ブリックリン氏の分析によれば、ウィリアム・ジェームズの思想の核心には、自由意志を擁護するプラグマティストとしての側面と、自己や時間の非実在性を示唆する神秘主義的洞察との間の緊張関係が存在する。
ジェームズの知的遺産
ジェームズは多岐にわたる分野で巨大な足跡を残した。
- アメリカ心理学の父
- トランスパーソナル心理学の父
- プラグマティズム哲学の父祖の一人
- 宗教学の父
- 心霊研究(現在の超心理学)の創始者の一人
自由意志と多元的宇宙への固執
- 決定論への恐怖と抑うつ: 若き日のジェームズは、19世紀のニュートン的科学に根差した物質的・科学的決定論に深く囚われ、「私の意志のかすかな動きすら自由ではない」という考えから深刻な抑うつ状態に陥った。
- 自由意志への「信仰」: フランスの哲学者ルヌーヴィエの著作を読み、「私の自由意志による最初の行為は、自由意志を信じることである」と決意することで、この危機を乗り越えた。この出来事以来、自由意志の擁護は彼の哲学の生命線となった。
- 多元主義(The Many)の擁護: 自由意志を確保するため、ジェームズは「すべては一つである」とする絶対的一元論(The One)に強く反対し、多様性と個性を重んじる「多元的宇宙(Pluralistic Universe)」を主張した。彼にとって、「多者(the many)」は「生命線」であった。
3. 自己・意志・時間の幻想
ジェームズは自由意志を公に擁護し続けたが、ブリックリン氏は、彼の著作の深層には、自己、意志、時間が幻想であるという神秘主義的な理解が隠されていると指摘する。
意志の非実在性
- 意志の心理学: ジェームズは「意志決定の心理学」を分析する際、「ベッドから起き上がる」という思考実験を用いた。彼は、快適なベッドに留まりた いという思いと、起きなければならないという思いが対立した後、人が実際に起き上がるのは、どちらかの思考のエネルギーが「神秘的な理由で」消え去り、もう一方の思考だけが残るからだと結論付けた。そこには、意志による積極的な「選択」の感覚はない。
- 努力の感覚の正体: ジェームズは、努力(effort)の感覚は、行為を生み出す根源的な力ではないと論じた。思考は即座に行動に結びつく(遠心性/efferent)。我々が「努力」と感じるのは、予期せぬ抵抗に出会ったときに生じる感覚情報(求心性/afferent)であり、この二つの混同が努力という幻想を生む。彼は「努力が結果のためのエネルギーを生み出すことを示す実験は、これまでもこれからも見つからないだろう」と述べている。
非個人的な思考と「シストネス(Schistness)」
- 「それが考える」: ジェームズは、意識に関する最も基本的な事実は「私が考える(I think)」ではなく、「雨が降る(it rains)」と言うように「それが考える(it thinks)」と表現する方が、憶測を最小限に抑えられると述べた。「過ぎ去る思考そのものが思考者である」という彼の言葉は、思考主体としての「私」の非実在性を示唆している。
- シストネスの概念: ブリックリン氏はこの概念を「シストネス(Schistness)」と名付けた。これは「Consciousness(意識)」から「Con(共に 、自己)」を取り除いた造語であり、主観と客観に二元化される以前の、純粋で単一な意識状態を指す。ジェームズ自身がエーテルや亜酸化窒素などの麻酔薬の体験を通じて、「一般的な存在の感覚」があり、「自己の感覚はそれに付加された何かである」と記述していることに由来する。
予知と「ブロック宇宙」
- ジェームズの予知への抵抗: 予知(Precognition)は、未来が決定されている可能性を示唆し、自由意志の概念を根底から脅かすため、ジェームズは生涯のほとんどでこの現象への言及を避けた。
- フレデリック・ホールの事例: 晩年、エーテルから覚醒する際に未来を予知したというフレデリック・ホールからの手紙を受け取り、ジェームズはこの問題に直面せざるを得なくなった。
- 根源的な問い: この事例に対し、ジェームズは極めて重要な問いを投げかけた。「ホールが経験している意識は、発見されるのを待って、すでにそこにあるのだろうか?そして、それは実在の真実の啓示なのだろうか?」彼はこの問いの解決は「この世代でも次の世代でもないだろう」と述べ、その重要性を強調した。
- ブロック宇宙との共鳴: この問いは、アインシュタインの「ブロック宇宙」の概念(過去・現在・未来の区別は幻想であり、すべての出来事が時空の中に同時に存在する)と深く共鳴する。ジェームズ自身が「ブロック宇宙」という言葉を最初に用いたが、それは自由意志を否定する冷たい「鉄の塊」として、否定的な意味合いであった。
4. 一者と多者:宇宙論的考察
ジェームズの思想における「一者(The One)」と「多者(The Many)」の対立は、宇宙の根源的な構造に関する考察へとつながる。
パルメニデスと「球体」としての宇宙
- シャーマンとしてのパルメニデス: 古代ギリシャの哲学者パルメニデスは、論理によって「存在は一つである」と説いたと一般に解釈されているが、ブリックリン氏はピーター・キングスリーの研究を引用し、彼が論理学者ではなく、神秘的体験を通じてこの洞察を得たシャーマンであった可能性を指摘する。
- 球体の比喩: パルメニデスは存在を「中心からあらゆる方向に等しい、よく丸められた球体」にたとえた。これは静的な「ブロック」ではなく、すべての点が中心と等しい関係性を持つダイナミックな全体像を示唆する。