Rajneesh 教団で少女時代を過ごし、過酷なトラウマを負った人物の証言動画
前置き
2025-04-25 に up された動画を AI で整理した。
Rajneesh 教団の実態を当事者(当時、9歳の少女)である Sarito Carroll が証言している。
かつては日本でも Rajneesh を称賛する言動や翻訳書が世間に無数に出回っていたが、現在は古本屋の片隅か処分本コーナーあたりでしか Rajneesh とか Osho という名前を眼にしない。かつて Rajneesh の与太話を吹聴し、称賛していた連中はもう何も発言していないようなので、既に死に絶えたらしい。
要旨
ラジニーシ教団生存者サリト・キャロルの証言
この資料は、「Rajneesh Survivor: Full interview with Sarito Carroll」というYouTube動画のトランスクリプト(文字起こし)からの抜粋で、カルト的な精神共同体ラジニーシプラム(Rajneeshpuram)での生活について、サバイバーであるセリート・キャロル氏にインタビューした内容を収録しています。
このコミュニティは1980年代初頭にインドの導師バグワン・シュリ・ラジニーシとその信者たちによってオレゴン州のアンテロープ近郊に設立されました。
キャロル氏は、そこで性的虐待とネグレクトを経験した子どもたちの一人であり、その体験を綴った回想録『In the Shadow of Enlightenment』について語っています。彼女は、カルト的な環境でのトラウマ、そして虐待が今日まで続く影響について、沈黙を破って詳述し、OSHO International Foundationに対して過去の行為に対する責任と補償を求めています。
目次
- 前置き
- 要旨
- 全体俯瞰
- ラジニーシ運動の崩壊の文脈と、子供たちの経験との関連
- バグワン・シュリ・ラジニーシ(後にOshoと改名)の教え
- ラジニーシプラム(Rajneeshpuram)における子供たちの生活
- シーラとその影響(The Moms)
- トラウマと治療、説明責任
- サリト・キャロル氏の証言に基づくラジニーシ運動の時系列史
- ラジニーシ運動の主 要人物と関係者:サリト・キャロル氏の証言に基づく概要
- 情報源
全体俯瞰
サリト・キャロルへのインタビュー:ラジニー シュプーラムの知られざる物語
エグゼクティブ・サマリー
このブリーフィング資料は、1980年代にオレゴン州に存在した物議を醸す精神共同体「ラジニーシュプーラム」で子供時代を過ごしたサリト・キャロル氏へのインタビューを要約・分析したものである。キャロル氏の証言は、Netflixのドキュメンタリーシリーズ『ワイルド・ワイルド・カントリー』などの一般的な報道ではほとんど触れられてこなかった、コミューンにおける子供たちの過酷な実態を明らかにしている。
主要なテーマは、教団の「性的解放」の教義の下で常態化していた、子供たちに対する組織的な性的虐待である。キャロル氏自身も12歳で成人男性から性的暴行を受け、他の多くの子供たちも同様の被害に遭っていた。指導者層はこの事実を認識していながら、中止させるどころか「慎重に行動する」よう指示するに留まった。
さらに、子供たちは正規の教育を受ける権利を剥奪され、「壁のない学校」という名目で1日12時間から16時間に及ぶ過酷な労働に従事させられた。教祖ラジニーシの「子供はコミューンに属する」という教えにより、多くの親は育児責任を放棄し、子供たちは事実上見捨てられた状態にあった。
キャロル氏は、コミューン崩壊後の人生で経験した長期的なトラウマと、加害者や現代の後継組織である「Osho International Foundation」に対する説明責任の追及について詳述している。彼女の証言 は、精神的な理想の裏に隠された搾取と虐待の構造を浮き彫りにし、この運動が残した癒えがたい傷跡を物語っている。
1. ラジニーシ運動の魅力と約束
バグワン・シュリ・ラジニーシ(後のOsho)が主導した精神運動は、1970年代から80年代にかけて、特に西洋の若者たちを強く惹きつけた。この運動は、ヒッピー・ムーブメントやウーマンリブ、性的解放といった時代の潮流と共鳴していた。
-
約束された解放: 他のグルが何時間もの瞑想を説くのとは対照的に、ラジニーシは「人生を祝い、最大限に生きること」を説いた。彼は「苦しみからの解放、悟り、精神的な目覚め」を約束し、道徳や制約を設けず、「本当の自分に忠実であること」だけを求めた。この教えは、より厳格な社会で育った西洋人にとって大きな魅力となった。
-
キャロル氏の経緯: キャロル氏(旧名ジェニファー)は、ヒッピー的な放浪生活を送る母親と共に、9歳でインドのアーシュラム(道場)に到着した。当初は3ヶ月の滞在予定だったが、そこでの開放的で愛情に満ちた環境に惹かれ、そのまま3年間留まることになった。彼女にとって、そこは初めて「本当の友人」と「自分の居場所」を見つけたと感じられる場所だった。
2. 『ワイルド・ワイルド・カントリー 』が描かなかったもの:子供たちの現実
2018年に公開されたNetflixのドキュメンタリーシリーズ『ワイルド・ワイルド・カントリー』は、外部世界との政治的対立を正確に描いている一方で、コミューン内部の日常生活、特に子供たちの実態を完全に看過しているとキャロル氏は指摘する。この「物語の欠落」が、彼女が自叙伝『In the Shadow of Enlightenment』を執筆する直接の動機となった。
- 育児放棄の正当化: ラジニーシの「子供は親ではなく、コミューンに属する」という教えは、多くの親にとって育児責任から解放される口実となった。その結果、一部の子供たちは親から事実上見捨てられ、自分たちだけで生きていくことを余儀なくされた。キャロル氏自身もインド滞在中の3年間、母親との関わりはほとんどなく、オレゴン移住後4年間に至っては、ほとんど交流がなかった。
- 労働搾取: 子供たちは伝統的な学校教育を受けず、「壁のない学校(school without walls)」という制度の下で、大人と共に1日12時間から16時間の労働に従事させられた。これは「経験から学ぶ」という名目で行われ、キャロル氏は事務作業、他の子供たちは建設作業などに従事し、怪我をする者もいた。これは、子供たちが成人期に備えるための適切な環境ではなかった。
- 外部との断絶: コミューンの子供たちは、近隣の町アン テロープの住民と交流することを禁じられた。「彼らは我々を憎む偏見の持ち主だ」と教え込まれ、完全に孤立した環境で育てられた。
3. 組織的性的虐待の常態化
コミューンで最も深刻な問題は、教団のイデオロギーによって助長され、常態化していた子供たちへの性的虐待であった。
- イデオロギー的背景: ラジニーシは「セクシュアリティにタブーを持つな。それは自然なことだ」と説いた。彼は、子供たちが大人の性行為を見ることは、それに慣れるために良いことだと示唆さえしていた。この教えは、性的搾取を正当化する文化的土壌を形成した。
- キャロル氏の個人的トラウマ: 彼女はオレゴン移住直後の12歳の時、29歳の成人男性にレイプされた。当初、彼女はそれを「恋愛」だと信じ込まされていたが、後に彼が多くの女性と関係を持ち、他のティーンエイジャーにも手を出していた「有名な小児性愛者」であったことを知る。彼女は処女を失ってから2週間以内に、指導者の一人によって避妊処置を受けさせられた。
- 蔓延する虐待: このような虐待はキャロル氏のケースに限らなかった。
- 彼女の同世代の少女のほとんどが成人男性と性的関係を持っていた。
- ある同級生は16歳になるまでに150人の成人男性と関係を持ったと証言している。
- 少年たちもまた、成人女性による性的虐待の被害に遭っていた。
- 指導者層の黙認: 「マムズ」と呼ばれる女性幹部や、コミューンの実質的な運営者であったシーラは、虐待の実態を把握していた。
- ある時、当局の調査を懸念したシーラは、ティーンエイジャーたちに性的関係を持った男性のリストを作成させた。そのリストには少なくとも100人の名前が記載されていた。
- リストに載った男性たちは会議に呼び出されたが、行為をやめるようには言われず、ただ「慎重に行動するように(to be discreet)」とだけ指示された。
- 被害者非難の文化: コミューンの文化では、虐待に対して苦痛を感じること自体が「精神的に未熟」であると見なされた。キャロル氏は「もし私がもっとスピリチュアルだったら、そんなことは水に流せただろう」という形で、自らの感情を非難される経験をした。これは「スピリチュアル・バイパス」と呼ばれる、巧妙な被害者非難の一形態である。
4. 指導者たちの実像:バグワンとシーラ
キャロル氏の証言は、運動の指導者たちの複雑な人物像を明らかにしている。
- バグワン・シュリ・ラジニーシ (Osho):
- 矛盾した人物像: キャロル氏は、彼の教えには深遠なものもあったと認めつつも、個人的には彼に惹かれたことはなく、「何か違和感があった」と語る。現在の彼女は、彼を「カリスマ性を備えた、非常に頭の良い、精神的に問題のある巧みな操縦者」と見なしている。
- 物質主義と誇大妄想: 彼は96台のロールスロイス(目標は365台)や数百万ドルの腕時計を所有していた。この極端な物質主義は、彼が説く精神的な教えと著しく矛盾しており、子供であったキャロル氏でさえ「非常に不快」に感じていた。
- シーラ:
- 変貌: バグワンの秘書であり、コミューンの実権を握っていたシーラは、当初は「エネルギーと楽しみに満ちた、事を成し遂げる花火のような人」に見えた。
- 権威主義: しかし、時間が経つにつれて、彼女は「はるかに激しく、威圧的で、権威的」になり、誰も逆らえない威圧的な存在へと変貌した。
5. コミューンの崩壊とその後の人生
1985年、犯罪行為が明るみに出てコミューンが崩壊した時、キャロル氏は16歳だった。彼女は教育も金銭も社会常識も持たないまま、一人で外の世界に放り出された。
- サバイバル: 所持金300ドルで、1日10ドルの滞在費を払いながら生活した。ヒッチハイクで移動し、売春の誘いも受けたが、断固として拒否した(彼女の同世代の多くは性産業やストリップで生計を立てた)。
- トラウマの長期的な影響:
- 人間関係: 特に男性に対する深い不信感を抱くようになり、「裏切られることへの恐怖」が人生の大きなテーマとなった。このトラウマは、他者からの愛を受け入れることを困難にした。
- 精神的な影響: 自己肯定感の欠如や、「自分は不十分だ」という内なる声に長年苦しめられた。
- 回復力と成功: 絶望的な状況にもかかわらず、キャロル氏は驚異的な回復力を見せた。GED(高校卒業認定資格)を取得後、大学で優秀な成績を収め、テクニカルライター、鍼灸師、不動産業者として成功を収めた。
6. 説明責任の追求
キャロル氏と他の被害者たちは、40年が経過した今もなお、加害者と組織に対する説明責任を求めている。
- コミュニティの反応:
- 彼女がFacebook上で虐待の事実を公にした際、コミュニティの反応は二分した。「素晴らしい時間を過ごした」「性的自由を楽しんだ」と主張する元メンバーもいた。
- 同情を示す者もいたが、その多くは「ごめんなさい」と言うだけで、具体的な行動には繋がらなかった。「40年も前のことだ」「水に流せないのか」といった、被害者を退ける言動も多かった。
- Osho International Foundation (OIF)への要求: OIFはラジニーシの知的財産(250冊以上の書籍、数百万人のフォロワーを持つSNSアカウント)を所有し、彼の教えを広める現代の組織である。キャロル氏はOIFに対し、以下の具体的な行動を求めている。
- 明確な謝罪: 虐待の事実を認め、公式に謝罪すること。
- 金銭的補償: 被害者がトラウマ治療を受けるための経済的支援。
- 再発防止策: 将来同様の事態が起こらないようにするための具体的な方針を公表すること。
- 法的障壁: OIFは、オレゴンのコミューンとは法的に直接の繋がりがないと主張し、責任を回避している。キャロル氏はこれを「煙に巻くためのごまかし」だと批判している。彼女はOIFに対し、「もし本当に精神的な運動であるならば、その言葉通りの行動を示し、私と私の仲間たちのために正しいことをすべきだ」と強く訴えている。
ラジニーシ運動の崩壊の文脈と、子供たちの経験との関連
これらの情報源は、元コミュニティの子供であるサリト・キャロル氏へのインタビューに基づいており、ラジニーシ 運動の崩壊と、その教えと環境によって引き起こされた子供たちのトラウマという中心テーマについて、公に語られていなかった暗い側面を明らかにしています。
特に、広大な政治的・犯罪的な崩壊の物語の影で、コミュニティ内で子供たちが経験した日々の生活、ネグレクト、そして深刻な虐待が、運動全体の核心的な病理であったと示唆しています。
1. ラジニーシ運動の崩壊の文脈と、子供たちの経験との関連
ラジニーシ運動(ラジニーシプラム)は、1980年代初頭にオレゴン州アンテロープ近郊に設立された論争の的となる精神的なコミュニティ(カルト)でした。このコミュニティは、暗殺未遂、毒殺、および刑事告発の中で、40年前に崩壊しました。
運動崩壊の側面
- 犯罪行為と政治的混乱: サリト氏は、Netflixのドキュメンタリー『ワイルド・ワイルド・カントリー』は外部との政治的な対立に関しては「かなり正確だった」と述べています。しかし、彼女は、コミュニティが喧伝していたユートピ ア的で愛と自由の表面的な体裁の下に隠された、汚職や犯罪のより暗い底流が描かれていないことを指摘しています。
- 指導者層の逃亡: 連邦捜査官が介入した際、サリト氏にとってロールモデルであったシーラとその一団は夜中に逃亡し、その後、バグワンもコミュニティを去りました。この逃亡は彼女に大きな混乱(disorientation)と恐怖をもたらしました。
- 物質主義と操作: サリト氏は、バグワン・シュリ・ラジニーシ(後のOSHO)を、非常に乱れた(disturbed)操作的な人物であったと見なしています。彼の教えには知恵もあったものの、96台のロールスロイスや高価な時計を所有するなど、極度の物質主義が示されており、若年者であったサリト氏にとっても「非精神的」に感じられ、不適切でした。
2. コミュニティの子供たちのトラウマ
サリト氏の証言の中心は、ラジニーシ運動の教義がどのように子供たちのネグレクトと虐待を容認し、正当化したかという点です。彼女は、ドキュメンタリーで「子供たちの物語」が完全に欠落していたことが、自身の回顧録を真剣に書き始めるきっかけになったと述べています。