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Roberto Pinotti 講演 : 1933, イタリアに墜落した UFO を政府が極秘に研究 ⇒ この謎を解く

· 約133分
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前置き+謎解き

この件は過去記事で何度も取り上げてきた(*1)。

この 1993年にイタリアに墜落した UFO の正体は、当時のドイツ(ヴァイマル共和国)が行った初期の開発段階のロケットがイタリアに墜落したものだと思える。

具体的に言えば以下の A1 や A2 ロケット が該当。 1933 に A1 ロケットを開発し、1934年に A2 ロケットの発射実験に成功とあるから、本件の 1933年に時期もキッチリ符合するし、形状も一致する(追記 *1)。

どういうわけか、こんな簡単な事を UFO 研究者/マニア は誰一人として指摘していないように見受ける。

私ごときが気づく位だから、当然 US の情報機関は、この 1933年の UFO の正体についてはとっくに解明済みの筈。それなのに、

マジェンタ事件の証拠が、依然としてピノッティ氏が入手した単一の文書群と間接的な証言に大きく依存しているという限界は認識しなければならない。しかし、文書の法科学的分析、マルコーニの甥による証言、そして何よりも外部からの裏付け、すなわちデビッド・グルーシュ氏やルイス・エリゾンド氏が提供したcorroborating evidenceの存在は、この事件が単なる作り話ではないことを強く示唆している。

という事は何を意味するのか?

それは、情報機関で UFO 情報を扱っていた David Grusch も Luis Elizondo も、この UFO の正体を承知の上で、情報撹乱工作を仕掛けていることを強く示唆している。彼らからすると、UFO 研究者/マニア/ファン があまりに易易と操れるので、笑いを堪えるのに苦労している筈。

(*1 : 2026-01-12 追記)

1933, イタリアに墜落した UFO 事件の追記 (2026-01-12)

参考データの引用

A1

A1(Aggregat 1)は一連の開発の最初のものである。1933年にヴェルナー・フォン・ブラウンがドイツ国防軍の支援の下、ヴァルター・ドルンベルガーが主導するクンメルスドルフの研究所で開発した。全長1.4メートル (4 ft 7 in)、胴体直径30.5センチメートル (12 in)、重量150キログラム (331 lb)程度の小型のものである。エンジンはアルトゥール・ルドルフが設計したものであり、加圧供給式で推進剤としてアルコールと液体酸素を用いていた。燃焼時間は16秒で2.9kNの推力を有した。安定翼などは持たず、頭部に40 kg (88 lb)のジャイロスコープを内蔵し安定装置としていたが、性能と液体燃料に不安があり、打上げは行なわれなかった。試験台上でのエンジンの燃焼試験には成功したものの、最初の打ち上げは射点上で炎上した。設計が不安定だったと考えられ、更なる進展は無く、A2の設計に移った。[2]

A2ロケット

A2(Aggregat 2)は、A1の発展型であり、フォン・ブラウンによってヴァルター・ドルンベルガーが主導するクンメルスドルフの研究所で1934年に開発された。全長1.6m、胴体直径30.5cm、空虚重量は72キログラム (159 lb)で離陸重量は107キログラム (236 lb)だった。燃料と酸化剤はA1と同じくアルコールと液体酸素を用いて推力は3 kNでA1に似ていた。しかしながら、A1とは対照的に安定用ジャイロスコープはロケット中心部のアルコールタンクと酸素タンクの間に配置され、安定度が増している。

A2は試験のために製造され、ヴィルヘルム・ブッシュの絵本に由来してマックスとモーリッツと称された。1934年、12月19日と20日に北海沿岸のBorkum島で打上げ試験が行われ、高度2.2kmと3.5kmに達した。[2][3]

ref: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%82%AC%E3%83%83%E3%83%88_(%E3%83%AD%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88)#A2


1927年にヨハネス・ヴィンクラーによって結成されたドイツ宇宙旅行協会(VFR) は、宇宙旅行を目指して1929年頃から液体燃料ロケットを研究していた。ヴェルサイユ条約で大型兵器の開発を禁止されていたヴァイマル共和国の陸軍は、1932年に同協会が開発中の液体燃料ロケットが持つ長距離攻撃兵器としての可能性に注目、ヴァルター・ドルンベルガー陸軍大尉は、資金繰りに悩むアマチュア研究者だったヴェルナー・フォン・ブラウンらの才能を見抜き、陸軍兵器局の液体燃料ロケット研究所で研究を続けるよう勧誘した。

ヴェルナー・フォン・ブラウンらはこれに応じて同研究所に参加、1934年12月、エタノールと液体酸素を推進剤とする小型のA2ロケット(質量500 kg)の飛行実験を成功させた。

1936年までには、チームはA2ロケットの開発計画を終了し、新たにA3 と A4 の開発に着手した。後者は射程175 km、最大高度80 km、搭載量約1 tとして設計された。フォン・ブラウンの設計するロケットは兵器としての現実性を増しつつあり、ドルンベルガーは実験規模を拡大し、かつ研究活動を秘匿するため、開発チームをベルリン近郊のクマースドルフ陸軍兵器実験場(ドイツ語版)[4]からドイツ北部バルト海沿岸のウーゼドム島ペーネミュンデに新設したペーネミュンデ陸軍兵器実験場(HVP)に移した。

ref: https://ja.wikipedia.org/wiki/V2ロケット

(*1)

例えば…

Timothy Good : 1933-06, イタリアに UFO が着陸、Mussolini が UFO に重大な関心 (2021-01-05)

Paolo Guizzardi : 1933年イタリアでの「UFO 墜落」事件とムッソリーニが設置した UFO 調査組織 RS/33 : 全発言+日本語訳 (2023-11-10)

1936年、イタリア:ムッソリーニの UFO 極秘資料 (2013-01-12)

要旨

AI

このソースは、イタリアのUFO研究家ロベルト・ピノッティ氏による、‌‌1933年のマゼンタにおけるUFO墜落事件‌‌とイタリア国内のUFO史に関する講演記録です。

ムッソリーニ政権が科学調査グループ「‌‌RS/33内閣‌‌」を組織し、墜落した機体を極秘に研究していた証拠となる歴史的文書や‌‌軍事的背景‌‌が詳しく示されています。ピノッティ氏は、自身の数十年にわたる調査活動を通じて、‌‌イタリア空軍‌‌や他国の政府機関との連携、さらには現代のデヴィッド・グラッシュ氏の証言との整合性を強調しています。

また、サンマリノ共和国での国際シンポジウムや‌‌国連への働きかけ‌‌など、宇宙政治学的なアプローチについても言及されています。最終的に、UFO現象は米国に限定されたものではなく、‌‌世界規模の歴史的現実‌‌であることを論じています。

目次

  1. 前置き+謎解き
    1. 参考データの引用
    2. (*1)
  2. 要旨
  3. ブリーフィング・ドキュメント:1933年マジェンタUFO墜落事件とイタリアにおけるUAPの歴史に関するロベルト・ピノッティ氏の洞察
    1. エグゼクティブ・サマリー
    2. 1. 1933年マジェンタ墜落事件:ファシスト政権下のUFO回収
    3. 2. イタリアにおけるその他の重要なUAP事案
    4. 3. ロベルト・ピノッティ氏の60年にわたるUAP研究と活動
  4. ロベルト・ピノッティ:UFO研究に生涯を捧げた60年の軌跡
    1. 1.0 はじめに:現代に蘇るイタリアUFO研究の父
    2. 2.0 主要な功績①:歴史的事件「マジェンタUFO墜落事件」の解明
    3. 3.0 主要な功績②:UFO研究の国際的なパイオニアとして
    4. 4.0 主要な功績③:公的機関との連携による研究の信頼性向上
    5. 5.0 集大成:国連への働きかけ「プロジェクト・タイタン」
    6. 6.0 結論:ロベルト・ピノッティが遺した功績
  5. 謎のUFO墜落「マジェンタ事件」とは?ムッソリーニが隠したイタリア版ロズウェル事件の真相
    1. 導入:歴史の闇に葬られたUFO事件
    2. 1. 事件の概要:1933年、イタリアに何が墜落したのか?
    3. 2. 決定的証拠:発見された極秘文書
    4. 3. 極秘研究機関「RS/33内閣」
    5. 4. なぜマジェンタ事件は重要なのか?
    6. 結論:歴史を書き換える可能性
  6. イタリアにおけるUAP研究史:マジェンタ事件から国際協力まで
    1. 1.0 序論:イタリアUAP研究の再評価と現代的意義
    2. 2.0 1933年マジェンタ事件:ロズウェル以前の隠蔽工作
    3. 3.0 RS/33内閣:ムッソリーニの秘密UAP研究機関
    4. 4.0 イタリアにおける他の重要なUAP事案と技術開発
    5. 5.0 グローバルなUFO研究活動:国際的な架け橋の構築
    6. 6.0 サンマリノ・イニシアティブとUAP情報公開の未来
    7. 7.0 結論:世界のUAP研究に向けた新たなパラダイム
  7. 1933年マジェンタ事件:ムッソリーニ政権下のUAP墜落と秘密研究に関する学術的考察
    1. 1.0 序論
    2. 2.0 事件の背景と情報源の検証
    3. 3.0 ファシスト政権の対応:隠蔽工作と秘密組織の設立
    4. 4.0 主要人物と組織構造:RS/33内閣
    5. 5.0 物的証拠と証言の分析
    6. 6.0 技術的遺産と後世への影響の可能性
    7. 7.0 結論
  8. 1933マゼンタ UFO 墜落事件
    1. 1. 事件の発覚と信憑性の裏付け
    2. 2. ムッソリーニによる隠蔽と「キャビネットRS/33」の設立
    3. 3. 関与した重要人物と技術的影響
    4. 4. 目撃証言の内容
  9. RS/33 内閣の科学的研究
    1. 1. 組織の目的と名称の由来
    2. 2. 科学界のエリートによる指導
    3. 3. 研究拠点と具体的な研究分野
    4. 4. 科学的研究の成果と影響
  10. Pinotti の調査と活動
    1. 1. 歴史的事件の「発掘」と科学的検証
    2. 2. 軍およびインテリジェンス当局との密接な連携
    3. 3. 国際的な連携と情報のグローバル化
    4. 4. 政治的・制度的な開示(ディスクロージャー)への尽力
  11. 国際的な UFO 研究協力
    1. 1. 言語の壁を打破するグローバルなネットワーク
    2. 2. 米国・NATOとの情報交換と相互検証
    3. 3. 日本を含むアジア・その他の地域との協力
    4. 4. 国際機関を通じた制度化の試み(ICERとプロジェクト・タイタン)
  12. サンマリノ・イニシアテイブ
    1. 1. 35年にわたるシンポジウムの実績
    2. 2. 「プロジェクト・タイタン(Project Titan)」の始動
    3. 3. サンマリノ共和国の役割と政治的進展
    4. 4. より大きな文脈:米国中心主義からの脱却
  13. 情報源

ブリーフィング・ドキュメント:1933年マジェンタUFO墜落事件とイタリアにおけるUAPの歴史に関するロベルト・ピノッティ氏の洞察

AI

エグゼクティブ・サマリー

本ブリーフィングは、ロベルト・ピノッティ氏がThe Sol Foundationで行った講演内容を統合したものである。中心的なテーマは、1933年にイタリアのマジェンタ近郊で発生した未確認飛行物体(UAP)の墜落事件と、それに対するムッソリーニのファシスト政権による徹底した隠蔽工作である。ピノッティ氏らが25年以上前に発表したこの研究は、2023年のデイビッド・グラッシュ氏の証言によって完全に裏付けられた。

ムッソリーニ政権は、回収した機体を研究するため、ノーベル賞受賞者グリエルモ・マルコーニを長とする秘密科学者グループ「RS/33内閣」を設立した。この組織の目的は、機体のリバースエンジニアリングであった。この事実は、マルコーニの甥による最近の証言や、元首相ジュリオ・アンドレオッティが提供した文書によっても補強されている。

本文書はまた、ピノッティ氏の60年にわたるUAP研究者としての活動にも焦点を当てる。これには、イタリア軍や情報機関との協力関係、バチカンでの講演、そしてサンマリノ共和国政府と連携して国連でのUAP問題提起を目指す「プロジェクト・タイタン」の推進などが含まれる。ピノッティ氏の結論は明確であり、UAP現象は米国中心ではなく、時間と場所を超えて存在する世界的な現象であると主張している。

1. 1933年マジェンタ墜落事件:ファシスト政権下のUFO回収

ピノッティ氏の研究の中核をなすのは、1933年にイタリアで発生したとされるUFO墜落事件である。この事件は、ファシスト政権による厳格な情報統制と秘密裏の研究活動の引き金となった。

発見と文書の信憑性

  • 文書の入手: 1997年、ピノッティ氏は差出人不明の郵便物で、事件に関する一連のオリジナル文書を受け取った。差出人は、ムッソリーニの義理の息子であり、当時の外務大臣であったガレアッツォ・チャーノの息子である可能性が非常に高いとされている。
  • 科学的鑑定: 文書は法科学的鑑定にかけられ、1930年代に作成された本物であることが確認された。鑑定は、コーモの裁判所のために分析を行ったアントニオ・ガラヴァーリア氏によって実施された。
  • 初期の経緯: これらの文書は、ピノッティ氏らが入手する前に、ボローニャの新聞社に送られていたが、匿名であったことと、ファシスト政権を肯定的に見せる可能性が「政治的に正しくない」と判断されたことから、破棄されていた。

ムッソリーニ政権の対応:隠蔽と研究

  • 徹底した情報統制: ムッソリーニは、この事件に関するいかなる報道も禁じる電報を発令した。「イル・ドゥーチェ(統帥)個人の命令により、国士への未確認航空機の着陸疑惑について一切言及してはならない」と明記されており、違反者には国家安全保障裁判所による最高刑が科されると警告された。
  • メディア操作: 事件を隠蔽するため、当時の主要な週刊誌『La Domenica del Corriere』は、マジェンタ近郊で球電がサイクリストの集団を襲ったというカバーストーリーを掲載し、事件を自然現象として説明しようと試みた。
  • 目撃証言: 直接の目撃者はいないものの、間接的な証言が複数存在する。
    • 事件当時を知る人物の甥にあたるアローナ市長は、「第二次世界大戦前にロンバルディア州に墜落した未知の飛行要塞」について知らされていた。
    • アルフォンソ・カルミナーティ中尉も同様に、「翼もエンジンもない未知の飛行要塞」が墜落したと甥に語っていた。

秘密研究機関「RS/33内閣」

ムッソリーニは、回収した機体を研究するために秘密の研究機関を設立した。

  • 名称: 「RS/33内閣(Cabinet RS/33)」。RSは「特別研究(Ricerche Speciali)」を意味し、33は年号ではなく、ミラノの国立公文書館で新発明を扱う部門の番号に由来する。
  • 目的: 墜落した物体のリバースエンジニアリング。
  • 主要メンバー:
    • グリエルモ・マルコーニ: 科学者、貴族院議員、イタリア王立科学アカデミー会長。彼は地球外知的生命体の存在を信じていた。
    • イタロ・バルボ: イタリア空軍の創設者で、大西洋横断飛行などで知られる国民的英雄。
    • ガレアッツォ・チャーノ: ムッソリーニの義理の息子で、外務大臣。
  • 研究拠点: 元首相ジュリオ・アンドレオッティからピノッティ氏に送られた書簡によると、「RS/33内閣」の活動の一部は、ソラッテ山の地下に掘られた約14キロメートルに及ぶトンネル内で行われていた。そこは「ドゥーチェの保護された作業場」と呼ばれ、電磁気学や光学分野の実験が行われていた。

証拠と裏付け

この事件の信憑性は、複数の情報源によって補強されている。

  • マルコーニの甥の証言: グリエルモ・マルコーニの甥であるグリエルモ・ジョヴァネッリ・マルコーニ王子は、イタリアの週刊誌『Gente』のインタビューで、「祖父がRS/33内閣の長であったことを知っている」と述べ、すべてを認めた。
  • デイビッド・グラッシュ氏の証言: 2023年、米国の内部告発者であるデイビッド・グラッシュ氏が、米国政府がUFOを回収していると証言した際、イタリアの事例にも言及し、ピノッティ氏の研究を裏付ける形となった。
  • ルイス・エリゾンド氏の発言: 2021年、元米国防総省職員のルイス・エリゾンド氏はインタビューで、「イタリアでUFOの墜落があったことを情報機関の人間から聞かされていた」と語った。

2. イタリアにおけるその他の重要なUAP事案

マジェンタ事件以外にも、イタリアでは歴史的に注目すべきUAP事案が複数報告されている。

年代場所事案の概要
1936年ヴェネツィア、メストレ細長い魚雷のような物体が、「司祭の帽子」のような形をした2つの小型物体を伴って飛行。イタリア空軍の戦闘機2機が追跡を試みたが失敗した。
1963年カステル・ポルツィアーノ夏の私邸でイタリア大統領が乗る車の真上をUAPが飛行。この事件に関する最高機密報告書はペンタゴンに送られ、後に米国防総省によって機密解除された。ピノッティ氏がこの事件を特定した。
1979年トレヴィーゾ近郊イタリア空軍のパイロット、ジャンカルロ・チェッコーニ氏が未確認物体を要撃するよう命じられ、機関銃で約90発を発射。この事案は現在、イタリア空軍の公式記録において「未確認」としてリストされている。

3. ロベルト・ピノッティ氏の60年にわたるUAP研究と活動

ピノッティ氏は、UFO研究における「言語の壁を破ること」を目的とし、60年以上にわたり精力的に活動してきた。

国際協力と情報共有

  • ロシア: 1960年代から今日に至るまで、作家のアレクサンドル・カザンツェフや天文学者のフェリックス・ジーゲル、ロシアのリモートビューイングの第一人者であるアレクセイ・サヴィン将軍などと直接的な関係を築いた。ロシアのUFO研究組織の会長からは「KGBのUFOファイル」を託され、西側世界で公開した。
  • アメリカ: ロズウェル事件を現地調査し、ウォルター・オート、グレン・デニス、ジェシー・マーセル・ジュニアといった直接の関係者と接触。フィリップ・J・コーソ大佐とも交流を持った。
  • イギリス: 1978年から1979年にかけてイタリアでUFOの目撃が多発した後、クランカーティ卿の招待を受け、ロンドンの貴族院でプレゼンテーションを行った。
  • 日本: 亡くなった大槻義彦博士と協力関係にあり、分析のために日本に送られた「ウバツバUFOの破片」を自身の目で確認した。

イタリア政府・軍との関係

  • 軍を退役後、イタリア軍情報部のミケランジェロ・プリヴェテーラ将軍から依頼を受け、7年間にわたりUFO問題に関するコンサルタントとして協力した。
  • 1977年には、イタリア空軍からUFOに関する公式情報提供を文書で受けるという、画期的な成果を上げた。現在もイタリア空軍とは良好な関係を維持している。

政治的および公的イニシアチブ

  • バチカン: バチカンと良好な関係を築き、依頼を受けてUFOに関する講演を行った。
  • サンマリノ共和国:
    • サンマリノ政府の支援を受け、35回にわたる世界UFOシンポジウムを開催した。
    • UFOをテーマにした2種類の記念切手の発行を実現した。
    • プロジェクト・タイタン: サンマリノのシンポジウムを、国連加盟国の利益に資する「国連UFO会議」へと発展させることを目指す構想。このイニシアチブはサンマリノ議会で議論され、政府が推進していくことが投票で承認された。

4. 結論:UAP現象のグローバルな視点

ピノッティ氏は、自身の長年の活動と研究を踏まえ、UAP現象に対する重要な結論を提示している。すなわち、この現象は時代を超えて存続する世界的なものであり、米国がその中心であるという見方は誤りであると指摘する。イタリアのマジェンタ事件やその他の事例は、UAPが特定の国に限らず、世界中で関与と隠蔽の歴史を持っていることを示唆している。ピノッティ氏の問いかけ「他に何があるのか?」は、今後の研究がグローバルな視点を持つ必要性を強く訴えかけている。

ロベルト・ピノッティ:UFO研究に生涯を捧げた60年の軌跡

AI

1.0 はじめに:現代に蘇るイタリアUFO研究の父

ロベルト・ピノッティ氏は、60年以上にわたり世界のUFO(未確認飛行物体)研究をリードしてきた、イタリアを代表する中心人物です。彼の長年にわたる地道な研究は、2023年に元アメリカ情報高官デビッド・グラッシュ氏が米国内でのUFO回収プログラムの存在を暴露したことで、再び世界的な注目を集めるきっかけとなりました。グラッシュ氏の証言は、ピノッティ氏が25年以上前に発表していたイタリアでの同様の事件に関する研究に新たな光を当てたのです。

この記事では、ピノッティ氏の数々の功績を紐解きながら、UFO研究という奥深い世界の歴史と重要性を、この分野に初めて触れる方にも分かりやすく解説していきます。

2.0 主要な功績①:歴史的事件「マジェンタUFO墜落事件」の解明

ピノッティ氏の最も重要な功績の一つが、第二次世界大戦以前のイタリアで起きたとされるUFO墜落事件、通称「マジェンタ事件」の解明です。この発見は、UFO史が1947年のロズウェル事件以前から存在した可能性を示唆する、画期的なものでした。

2.1 秘密文書の入手

全ての始まりは1997年でした。ピノッティ氏は匿名の情報源から、ファシスト政権時代のものとされる大量の秘密文書を郵送で受け取りました。法医学的な鑑定の結果、これらの文書が1930年代に作成された本物であることが証明され、歴史の扉が開かれることになります。

2.2 明らかになった事実:ムッソリーニによる隠蔽工作

文書には、当時の独裁者ベニート・ムッソリーニが主導した、国家ぐるみの隠蔽工作の驚くべき詳細が記されていました。

  • 事件の概要: 1936年、ヴェネツィア上空で葉巻型の巨大な母船と、「司祭の帽子」のような形をした2機の小型機が目撃されました。イタリア空軍機が追跡を試みたものの、追いつくことはできませんでした。
  • ムッソリーニの命令: ムッソリーニは、この事件に関して「総統(私)個人の命令として、国籍不明機の着陸とされる事案について、いかなる言及も絶対にしてはならない」という電報を発令。報道機関やジャーナリストに徹底した緘口令を敷き、違反者には国家保安裁判所による厳罰を科すと通告しました。
  • 秘密研究機関の設立: ムッソリーニは、墜落・回収されたとされる機体を研究するため、極秘の研究機関「RS/33キャビネット」を設立するよう命じました。「RS」は「特別研究」を意味し、「33」は日付ではなく、ミラノの国立公文書館で新発明を扱う部署の番号でした。これは、この機関が当初からリバースエンジニアリングを目的としていたことを示唆しています。

2.3 RS/33キャビネット:ノーベル賞受賞者による極秘研究

この「RS/33キャビネット」の衝撃的な事実は、そのトップに、ノーベル賞受賞者であり、イタリア王立科学アカデミー会長でもあった科学者グリエルモ・マルコーニが就任していたことです。

これは、一人の著名な科学者の参加というレベルの話ではありません。マルコーニの指揮下には、イタリア航空の父と呼ばれるイタロ・バルボをはじめ、当時のイタリアを代表する物理学者や航空宇宙科学のパイオニアたちが集結しました。国家の最高頭脳が、未知のテクノロジーを解明するために極秘裏に動員されていたのです。この事実は、単なる噂話ではなく、国家レベルでの真剣な科学的取り組みであったことを物語っています。

2.4 現代における研究の裏付け

ピノッティ氏が25年以上前に発表したこの研究は、近年になって強力な裏付けを得ています。

  1. グリエルモ・マルコーニの甥の証言: マルコーニの甥であるグリエルモ・ジョヴァンニ・マルコーニ王子が、イタリアの週刊誌のインタビューで「祖父がRS/33キャビネットを実際に率いていたことを知っている」と公に認め、全てを裏付けました。
  2. ルイス・エリゾンド氏の証言: 元米国防総省のUFO調査プログラム責任者であるルイス・エリゾンド氏が、2021年のインタビューで「自身の諜報活動を通じて、イタリアでUFOが墜落した事実を把握していた」と証言しました。

ピノッティ氏の探求は、歴史の秘密を掘り起こすだけに留まりませんでした。彼は国境を越え、UFO研究を世界的な協力体制へと導いた先駆者でもあったのです。

3.0 主要な功績②:UFO研究の国際的なパイオニアとして

ピノッティ氏は、UFO研究における「言語の壁」を打ち破り、世界中の研究者や機関との連携を積極的に築きました。彼の国際的な活動は、UFO研究をグローバルな学問分野へと発展させる上で不可欠なものでした。

  • ロシアとの連携: 冷戦下の「鉄のカーテン」時代から、KGB(ソ連国家保安委員会)のUFO関連ファイルを入手するなど、ロシアの天文学者や元高官と長年にわたり独自のパイプを築きました。
  • 英国議会での講演: 1979年、イタリアでのUFO目撃多発を受けて英国貴族院(House of Lords)に招待され、UFO問題について公式な場でプレゼンテーションを行いました。
  • ロズウェル事件の現地調査: イタリア人として唯一、ロズウェル事件の現地調査を敢行。ウォルター・ホート陸軍中尉、グレン・デニス、ロバート・シャー、ジェシー・マーセル・ジュニア氏など、多数の直接関係者へのインタビューを実施し、事件の信憑性を確信しました。
  • 日本との協力: 日本の研究者とも協力関係を築きました。特に、ブラジルで起きた有名な「ウバトゥーバUFOの破片」を自身の目で直接確認し、日本の重要事件である「トランコーゾ事件」についても議論を交わしました。

彼の活動は学術的な国際交流に止まらず、各国の政府や軍、さらにはバチカンといった公的機関との連携を深め、研究の信頼性を新たな次元へと引き上げていきました。

4.0 主要な功績③:公的機関との連携による研究の信頼性向上

ピノッティ氏は、UFO研究がオカルトや陰謀論として扱われる状況を打破するため、公的機関との対話と協力を重視しました。これにより、研究の信頼性を飛躍的に高めることに成功します。

4.1 イタリア軍・諜報機関との協力

軍を除隊後、ピノッティ氏はイタリアの諜報機関からUFO問題に関するコンサルタントとして協力を要請され、7年間にわたり活動しました。この協力関係が実を結び、彼の研究センターはイタリア空軍からUFOに関する公式情報を受け取るという前例のない成果を上げます。

ピノッティ氏が築いた公式な情報ルートがあったからこそ、米軍の「チックタック」事件に酷似した1979年のジャンカルロ・チェッコーニ空軍パイロットによるUFO迎撃事件が、空軍の公式な未確認ケースとしてリストアップされることにつながったのです。この事件では、チェッコーニ氏が未確認物体に対し機関砲で約90発の射撃を行っており、現在もイタリア空軍が公式に認める約500件の未確認ケースの一つとして記録されています。

4.2 政治への働きかけとサンマリノでのシンポジウム

ピノッティ氏は、イタリア議会でUFOに関する質疑応答が行われる際に情報提供を行うなど、政治的な働きかけも支援しました。

さらに、サンマリノ共和国政府の公式な後援を得て、35回にわたり世界UFOシンポジウムを主催。この長年の協力関係を象徴するように、サンマリノではUFOをテーマにした記念切手が2度も発行されました。

4.3 バチカンでの講演

特筆すべきは、バチカンからの要請を受け、UFOについて講演を行ったことです。これは、UFOというテーマが、世界で最も歴史ある公的機関の一つによっても真剣に捉えられていることを示す、極めて異例な出来事でした。

こうした長年の地道な研究と公的機関との連携活動は、やがてUFO研究を国際政治の舞台へと引き上げるという、壮大な構想へと結実します。

5.0 集大成:国連への働きかけ「プロジェクト・タイタン」

60年にわたる活動の集大成として、ピノッティ氏はUFO問題を国連という国際政治の最高峰の場で議論することを目指す、壮大な構想を打ち立てました。

5.1 国際的研究者ネットワーク「ICER」の設立

2021年、ピノッティ氏はその構想の母体として、5大陸30カ国以上の科学者、研究者、元軍人などが集う国際的な専門家グループ「ICER(地球外生命体研究のための国際連合)」を設立しました。

5.2 国連に向けた「プロジェクト・タイタン」

ICERと自身の研究センターを母体とし、サンマリノ共和国を通じて国連にUFO問題を提起する「プロジェクト・タイタン」を構想。この計画は、ついにサンマリノ議会で正式に議論され、賛成多数で可決されました。

これは、一国の議会が自国政府に対し、「UFO問題を国連で議題とするよう働きかけること」を公式に命じた、歴史上画期的な出来事です。しかしピノッティ氏自身が語るように、政治の世界では常に他の優先事項が存在し、この歴史的な決議の実行は、今なお慎重に進められています。

6.0 結論:ロベルト・ピノッティが遺した功績

ロベルト・ピノッティ氏の60年間の活動は、UFO研究の歴史そのものと言っても過言ではありません。彼の功績は、以下の3つの点で要約できます。

  1. 歴史の探求者: 「マジェンタ事件」の解明により、UFOの歴史がロズウェル以前から存在した可能性を具体的な証拠と共に示しました。
  2. 国際的な架け橋: 国境や政治体制の壁を越えて世界中の研究者ネットワークを構築し、UFO研究を閉鎖的なコミュニティからグローバルな学問分野へと押し上げました。
  3. 信頼性の立役者: 軍、政府、国際機関との粘り強い連携を通じて、UFO研究を単なるオカルトから、公的な研究対象へと引き上げることに大きく貢献しました。

彼の生涯をかけた探求は、私たちに一つの重要な視点を与えてくれます。ピノッティ氏自身がスピーチの最後に聴衆へ投げかけた言葉で、この記事を締めくくりたいと思います。

「私たちは認識すべきです。UFOという、時代を超えて世界中で続くこの現象の中心は、決してアメリカだけではないということを」

謎のUFO墜落「マジェンタ事件」とは?ムッソリーニが隠したイタリア版ロズウェル事件の真相

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導入:歴史の闇に葬られたUFO事件

2023年、米国の元情報当局者デビッド・グラッシュ氏が、米国政府による非人間起源の乗り物の回収・研究プログラムの存在を内部告発し、世界に衝撃を与えました。彼の証言が歴史の闇から引きずり出したのが、90年前にイタリアで起きた、ある忘れられた事件です。グラッシュ氏の言及によって、イタリアのUFO研究家ロベルト・ピノッティ氏が数十年にわたり追跡してきたこの事件は、突如として国際的な脚光を浴びることになりました。

その事件の核心には、驚くべき疑惑が存在します。世界で最も有名な「ロズウェル事件」より14年も前の1933年に、ムッソリーニ政権下のイタリアでUFOが墜落し、ファシスト政権によって極秘に回収・研究されていたというのです。

この記事では、この「マジェンタ事件」とは一体何なのか、どのような証拠が存在するのか、そしてなぜ今、この事件が重要視されているのかを、専門用語を避け、まるで歴史ミステリーを読み解くように分かりやすく解説します。

1. 事件の概要:1933年、イタリアに何が墜落したのか?

マジェンタ事件とは、1933年にイタリア北部のロンバルディア州マジェンタ近郊で、未確認飛行物体が墜落したとされる出来事です。当時、イタリアを支配していたベニート・ムッソリーニ率いるファシスト政権は、この事件を徹底的に隠蔽しようとしました。公式発表と、裏で目撃されていた事実には、大きな隔たりがあります。

  • 公式の発表(隠蔽工作) 当時の大手週刊誌『La Domenica del Corriere』は、この出来事を大々的な表紙イラストで報じました。その絵には「マジェンタ近郊でバイクに乗っていた人々に球電(ボールライトニング)が直撃した」様子が描かれています。これは、国民の関心を逸らすための巧妙なカバーストーリーだったと考えられています。
  • 目撃されたとされる物体 一方、間接的な目撃者の証言は、全く異なる光景を伝えています。墜落したのは自然現象などではなく、「翼もエンジンもない未知の飛行要塞」でした。この証言は、アルフィオ・カルミナーティ中尉の甥や、当時のアローナ市長ピエトロ氏の甥といった複数の人物によって語り継がれており、単なる一つの家族の作り話ではないことを示唆しています。

では、なぜ私たちは90年近くも前のこの秘密を知ることができたのでしょうか。その鍵は、一度は歴史から消えかけ、奇跡的に生き残った極秘文書にありました。

2. 決定的証拠:発見された極秘文書

事件の真相は、奇妙な経緯で現代に蘇りました。実は、これらの極秘文書は最初、イタリアの大手新聞社『イル・レスト・デル・カルリーノ』に送られましたが、ジャーナリストたちは「ファシスト政権を十分に悪く描いていない」という政治的な理由で「不適切」と判断し、破棄してしまったのです。

しかし、差出人は諦めませんでした。1997年、今度はイタリアのUFO研究家ロベルト・ピノッティ氏のもとに、差出人不明の一通の封筒が郵送されます。その中には、破棄された文書のコピーが含まれていました。ピノッティ氏は、この差出人が、ムッソリーニによって処刑されたガレアッツォ・チャーノ外相の息子、ファブリツィオ・チャーノその人であったと確信しています。父の死の真相を追う息子が、政権最大の秘密を暴露しようとしたのかもしれません。

文書の信憑性を確かめるため、専門家アントニオ・ガラヴァグリア氏による法科学的鑑定が行われ、紙やインクの分析の結果、これらの文書が1930年代に書かれた本物であると結論付けられました。

文書には、以下のような衝撃的な内容が含まれていました。

  • ムッソリーニからの極秘電報 最高指導者ムッソリーニ自らが発したとされる電報には、厳格な情報統制命令が記されていました。
  • 謎の飛行物体の報告書 墜落事件から3年後の1936年、ヴェネツィア上空で目撃された奇妙な飛行物体に関する報告書も含まれていました。それは「葉巻型の母船と、それを追う2機の司祭の帽子のような形の小型機」であり、イタリア空軍の戦闘機2機が追跡を試みたものの、その圧倒的な性能の前に全く歯が立たなかったと記録されています。

本物と鑑定された文書は、ムッソリーニが単に事件を隠蔽しただけでなく、その物体を研究するために特別な組織を設立したことも明らかにしていました。

3. 極秘研究機関「RS/33内閣」

文書によれば、ムッソリーニは墜落した物体を分析し、その技術を解明(リバース・エンジニアリング)するため、秘密研究機関「RS/33内閣(Gabinetto RS/33)」を設立しました。「RS」とは「特別研究(Ricerche Speciali)」を意味します。なお、「33」という数字は事件が起きた1933年を指すのではなく、当時の国立公文書館で「新発明」を扱う部門の番号でした。これは、この研究が当初から未知のテクノロジーの解明を目的としていたことを強く示唆しています。

この組織がいかに国家的な最重要機密であったかは、その主要メンバーを見れば一目瞭然です。

氏名当時の役職その重要性
グリエルモ・マルコーニ内閣責任者、王立科学アカデミー会長無線通信の発明で知られるノーベル賞物理学者
イタロ・バルボイタリア空軍の創設者大西洋横断飛行を成功させた国民的英雄
ガレアッツォ・チャーノ外務大臣ムッソリーニの娘婿であり、政権の中枢人物

世界的な科学者、軍の英雄、そして政権No.2ともいえる人物が名を連ねていたのです。この研究は、ソラッテ山の地下に掘られた巨大な施設で行われていたとされ、元首相ジュリオ・アンドレオッティがピノッティ氏に送った書簡で、そこで電磁気学や光学に関する実験が行われていたことが示唆されています。

この話の信憑性をさらに高める出来事として、近年、マルコーニの孫であるグリエルモ・ジョヴァネッリ・マルコーニ王子が、「祖父がRS/33内閣を率いていたことを知っている」とインタビューで証言し、その存在を公式に認めました。

では、世界中に数あるUFO事件の中で、なぜこのマジェンタ事件はこれほどまでに重要なのでしょうか?

4. なぜマジェンタ事件は重要なのか?

マジェンタ事件がUFOの歴史において極めて重要である理由は、主に以下の4つのポイントに集約されます。

  1. ロズウェル事件より古い 1947年に米国で起きた有名なロズウェル事件よりも14年早く、政府によるUFOの墜落、回収、そして極秘研究が行われた可能性を示唆する、記録上最古級の事例です。
  2. 国家と科学の最高権威の関与 ムッソリーニという国家元首と、マルコーニという世界的なノーベル賞科学者が直接関与していたという点は、他のUFO事件には見られない特異性です。これは単なる噂話ではなく、国家レベルのプロジェクトであったことを強く示唆しています。
  3. 物証(文書)の存在 多くのUFO事件が目撃証言のみに頼る中で、マジェンタ事件は科学鑑定によって本物と証明された「一次資料」が存在する点で一線を画しています。これにより、事件の信憑性が飛躍的に高まっています。
  4. 現代の内部告発者による裏付け 米国のデビッド・グラッシュ氏や、元国防総省高官のルイス・エリゾンド氏といった現代の内部告発者たちが、自身の情報源からイタリアでのUFO墜落事件を認識していると発言しています。これは、歴史的な事件が現代のUAP(未確認異常現象)問題と地続きであることを示しています。

結論:歴史を書き換える可能性

ムッソリーニ政権下のイタリアで起きたとされるUFO墜落事件「マジェンタ事件」。それは長らく歴史の闇に葬られていましたが、差出人不明の極秘文書の発見と科学的な鑑定、そして現代の内部告発者たちの証言によって、単なる噂話ではない、無視できない歴史の一幕として再び脚光を浴びています。

マジェンタ事件は、私たちが知る歴史の裏側で、人類と未知のテクノロジーとの接触が遥か昔から始まっていた可能性を物語っています。この事件の全貌が解明されるとき、私たちの世界観は大きく変わるのかもしれません。

イタリアにおけるUAP研究史:マジェンタ事件から国際協力まで

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1.0 序論:イタリアUAP研究の再評価と現代的意義

2023年、米国の元情報将校デイビッド・グラッシュ氏によるUAP(未確認異常現象)に関する議会証言は、世界に衝撃を与えました。しかし、その内容は、イタリアの研究者ロベルト・ピノッティ氏が実に25年も前に発表した研究を予期せず裏付けるものでした。この事実は、UAPに関する議論がアメリカの事例を中心に語られがちであるという一般的な認識に挑戦するものです。このテーマの現代的意義は、ピノッティ氏が自身の最新著作をイタリア共和国大統領とジョルジャ・メローニ首相に献呈した際、首相本人から感謝のメールを受け取ったという驚くべきエピソードによっても強調されています。本概要は、イタリアに長く隠されてきたUAP研究の豊かな歴史を明らかにし、現代のUAP情報公開の議論に不可欠な歴史的文脈を提供することを目的とします。

  • デイビッド・グラッシュ氏の証言による、イタリア研究の予期せぬ裏付け: 25年前のピノッティ氏の研究が、近年のアメリカにおける情報公開の動きによって再評価されることになった。
  • 本概要の目的: アメリカ中心のUAP史観を問い直し、イタリアがUAP研究史において果たしてきた先駆的な役割を提示すること。
  • 講演者ロベルト・ピノッティ氏の60年にわたる活動の概観: 長年にわたり、国内外の政府・軍関係者と連携し、UAP研究の国際化を推進してきた同氏の軌跡をたどる。

本概要ではまず、世界的に有名なロズウェル事件よりも14年早く発生した、イタリア史上最も重要なUAP事件である「マジェンタ事件」を深掘りします。

2.0 1933年マジェンタ事件:ロズウェル以前の隠蔽工作

マジェンタ事件は、UAP史の年表を根本的に書き換える可能性を秘めています。1933年、イタリアのファシスト政権下で、UAPの墜落と回収、そして国家レベルでの厳格な情報統制が行われたという事実は、UAPに関する政府の関与がロズウェル事件以前から存在したことを示唆する驚くべきものです。このセクションでは、ピノッティ氏が1997年に入手した極秘文書に基づき、事件の概要とその証拠を体系的に整理します。

証拠の種類詳細
発見経緯1997年、匿名の情報源からピノッティ氏へ事件に関する大量のオリジナル文書が郵送された。しかし、それ以前に同じ文書がボローニャの新聞社に送られたが、「政治的に正しくない」と判断され、全て破棄されていた。この歴史は永久に失われる寸前だった。
文書の宛先ムッソリーニの義理の息子であり、当時の外務大臣であったガレアッツォ・チャーノ伯爵。
情報源の推定チャーノ伯爵の息子、ファブリツィオ・チャーノである可能性が非常に高い。彼は2008年に亡くなる前、『おじいちゃんがパパを撃たせたとき』と題する本を執筆しており、ファシスト政権の遺産を損なう文書を漏洩させる動機があった。
目撃された物体1936年、ヴェネツィア上空で目撃された魚雷のような形状の物体と、それに続く2機の「司祭の帽子」に似た形状の小型機。
公式な対応事件に関する完全な機密保持を命じる電報の存在。空軍機による追跡も試みられたが、失敗に終わった。
文書の信憑性法科学鑑定人アントニオ・ガラヴァーリア氏による鑑定の結果、使用された紙やインクが1930年代のものであることが証明され、文書は本物と断定された。
ムッソリーニの指示ムッソリーニ自身の署名がある電報には、「正体不明の航空機の着陸について一切言及しないこと」が命じられ、違反者には国家安全保障裁判所による最高刑が科されると警告されていた。

この前代未聞の事件に対応するため、ムッソリーニ政権は国家の最高頭脳を結集させ、極秘の研究機関を設立するに至りました。

3.0 RS/33内閣:ムッソリーニの秘密UAP研究機関

マジェンタ事件を受けて設立された「RS/33内閣」は、単なる調査委員会ではありませんでした。その名称は、RSが「特別研究(Ricerche Speciali)」を、33が日付ではなく新発明を扱う公文書館のセクション番号を意味し、その官僚的・科学的実態を示唆しています。これは、回収された機体のリバースエンジニアリングを目的とし、ノーベル物理学賞受賞者であるグリエルモ・マルコーニをトップに据えた、本格的な科学研究機関でした。

RS/33内閣の主要人物とその役割

  • 責任者:グリエルモ・マルコーニ
    • イタリア王立科学アカデミー会長。彼は地球外知的生命体の存在を公に信じていると発言していました。
  • 主要メンバー:イタロ・バルボ
    • イタリア空軍の創設者であり、大西洋無着陸横断飛行を成功させた国民的英雄。航空技術の権威として参加。
  • 主要メンバー:ガレアッツォ・チャーノ
    • ムッソリーニの義理の息子であり外務大臣。政治的・外交的な側面からプロジェクトを管理。

RS/33内閣の存在を裏付ける複数の証拠

  1. マルコーニの甥の証言: 近年、マルコーニの甥であるグリエルモ・ジョヴァンネッリ・マルコーニ王子が、イタリアの有力週刊誌『Gente』のインタビューで、祖父がRS/33内閣を率いていたことを公式に認めました。
  2. アンドレオッティ元首相の書簡: 元首相ジュリオ・アンドレオッティ氏は、死の直前にピノッティ氏へ5通の手紙を送りました。それらの手紙は、RS/33内閣がソラッテ山の地下施設で実験を行っていたことを示唆しています。ソラッテ山は、米国のシャイアン・マウンテンに匹敵する戦略的要衝で、約14kmに及ぶトンネルが掘られ、ナチスの基地として、後にはイタリア政府の核シェルターとして使用されました。
  3. 間接的な目撃証言: アローナ市長の親族や、アルフェーロ・カルミナーティ中尉の甥が、「第二次世界大戦前にロンバルディア州に墜落した、翼もエンジンもない『空飛ぶ要塞』」について語った証言が残っています。

RS/33内閣の研究は、マジェンタ事件という単一の事象に留まらず、その後のイタリアにおける他のUAP関連事案や、戦時中の先進的な航空技術開発にも影響を与えた可能性があります。

4.0 イタリアにおける他の重要なUAP事案と技術開発

マジェンタ事件は氷山の一角に過ぎません。イタリアでは、UAP現象が継続的な関心事であり、軍や政府の公式な記録にもその痕跡が残されています。これらの事案は、イタリアがUAP問題に長年向き合ってきたことを示す重要な証拠です。

  • 1979年 トレヴィーゾでの迎撃事案
    • イタリア空軍のジャンカルロ・チェッコーニ大尉が、未確認物体に対して戦闘機の機関銃で約90発の射撃を行うという前代未聞の事件が発生しました。この事件は現在でもイタリア空軍の公式記録において「未確認(unidentified)」事案として正式にリストされています。
  • 1963年 カステル・ポルツィアーノでの大統領目撃事案
    • 当時のイタリア大統領の車列が移動中、上空にUAPが出現。この目撃に関する極秘報告書が国防総省に送られ、後にアメリカ国防総省によって機密解除されました。ピノッティ氏はこの事件の詳細を特定し、イタリア空軍の公式雑誌で公表しました。
  • 「超航空」研究の可能性
    • ドイツ人技術者ミーテとイタリア人技術者ベルッツォによる円盤型航空機の共同設計図や、ムッソリーニ政権末期に構想された「ディスコモトーレ(円盤動力機)」など、UFO研究が戦時中の航空技術開発に影響を与えた可能性を示唆する資料が存在します。1939年に初飛行した世界初のジェット機の一つである「カンピーニ・カプロニ CC.2」も、こうした先進技術研究の文脈で捉えることができます。

これらの国内での豊富な経験と蓄積された知見は、ピノッティ氏をUAP研究の国際的な舞台へと導き、国境を越えた協力関係の構築へと繋がっていきました。

5.0 グローバルなUFO研究活動:国際的な架け橋の構築

ピノッティ氏の60年にわたる活動の核心は、UAP研究の国際化にあります。彼自身がまず「貴重で知的、そして理解あるパートナー」として謝意を表した妻の支えのもと、言語の壁や冷戦時代の政治的対立を乗り越え、世界各国の軍、諜報機関、政府、科学者と協力関係を築き、UAPという地球規模の課題に立ち向かうためのグローバルなネットワークを構築しました。

  • イタリア国内での協力:
    • イタリア軍諜報部のミケランジェロ・プリヴェテーラ将軍に7年間、UAP問題に関する公式コンサルタントとして協力。
    • イタリア空軍から公式にUFO情報を受領し、協力関係を確立。
    • 1978年と1984年の2度にわたり、UFOに関する議会質問の作成を支援し、政治レベルでの議論を促進。
  • アメリカとの関係:
    • ロズウェル事件を現地調査し、ウォルター・オート氏やグレン・デニス氏など、事件の直接の証言者と接触して一次情報を収集。
    • 著名な天文学者J・アレン・ハイネック博士が設立したUFO研究センター(CUFOS)のイタリア代表を務めた。
  • ロシアとの連携:
    • 冷戦時代から、アレクサンドル・カザンツェフ氏やフェリックス・ジーゲル氏といったソ連のUFO研究の父たちと直接交流。
    • ロシアのUFO研究組織会長ボリス・シュリノフ氏からKGBのUFO機密文書を入手し、西側世界で初めて公開。
  • ヨーロッパおよび他地域とのエンゲージメント:
    • 英国貴族院に招待され、UAPに関するプレゼンテーションを実施。
    • 欧州議会におけるUAPに関する取り組みを専門的見地から支援。
    • 日本の研究者と協力し、有名な「ウバトゥーバ事件」で回収された金属破片を直接確認。
    • バチカンに招かれ、UFOに関する講演を実施するなど、科学界や宗教界とも対話。

これらの長年にわたる国際的な信頼関係の構築は、サンマリノ共和国を舞台とした、より公式で野心的な国連への働きかけへと結実していきます。

6.0 サンマリノ・イニシアティブとUAP情報公開の未来

ピノッティ氏の活動は、サンマリノ共和国との協力により、新たなフェーズへと突入しました。これは、一個人の研究活動から、主権国家を動かし、国連という最高の国際的枠組みでUAP問題を議論することを目指す、画期的な取り組みです。

  1. ICER(地球外生命体研究のための国際連合)の設立:
  • 2021年、5大陸30カ国以上の科学者、研究者、元軍人などからなるグローバルな専門家集団として設立。UAP研究に関する国際的な協力と情報共有のプラットフォームとなっています。
  1. プロジェクト・タイタン:国連への提言
  • サンマリノで毎年開催されてきたUFO国際シンポジウムを、国連加盟国の利益のための公式な「国連UAP会議」へと発展させることを目的とした政治的イニシアティブです。この提案はサンマリノ議会で正式に議論され、歴史的なことに、賛成多数で可決されました。 これにより、サンマリノ政府は、このイニシアティブを国連の場で推進する公式な責務を負うことになりました。しかし、政治的現実は複雑です。ピノッティ氏が指摘するように、「政治家はどこでも政治家です。『UFOねえ、まあ、今は他にやることがある』というのが現状です」。このことは、立法上の勝利と実際の政治行動との間にある隔たりを浮き彫りにしています。

この先進的な取り組みは、UAP問題がもはや憶測や陰謀論の対象ではなく、国際安全保障と科学的探求に関わる真剣な議題であることを世界に示すものであり、今後の情報公開のあり方に大きな影響を与える可能性があります。

7.0 結論:世界のUAP研究に向けた新たなパラダイム

本プレゼンテーションの概要が示してきたように、イタリアはUAPの歴史において、これまで見過ごされてきたものの、極めて重要な役割を果たしてきました。特に、ロズウェル事件に先立つマジェンタ事件と、それに対応するために設立された秘密研究機関「RS/33内閣」の存在は、UAP史の再評価を迫る強力な証拠です。

  1. 歴史の再定義: イタリアの事例は、UAPに関する政府の関与が1947年のロズウェル事件から始まるという通説を覆し、歴史をより深く、グローバルな視点から捉え直す必要性を示しています。
  2. 国際協力の重要性: UAP現象は国境を越える地球規模の課題です。ピノッティ氏が60年かけて築き上げた国際的なネットワークが示すように、国家間の連携と透明性のある情報共有こそが、真相解明に向けた唯一の道です。
  3. アメリカ中心主義からの脱却: 講演の最後の言葉が、この問題の本質を突いています。「アメリカ合衆国は、時間と空間を超えて存在する世界的なUAP現象の中心ではない」。我々は、より広い視野でこの謎にアプローチしなければなりません。

What else? (他に何があるのか?)

1933年マジェンタ事件:ムッソリーニ政権下のUAP墜落と秘密研究に関する学術的考察

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1.0 序論

本稿は、1933年にイタリア王国で発生したとされる未確認航空現象(UAP)の墜落事件、通称「マジェンタ事件」について、歴史的および地政学的文脈の中で学術的な考察を行うものである。近年、米国政府によるUAPに関する情報公開の潮流が加速する中で、過去の歴史的事件が再び学術的関心を集めている。マジェンタ事件は、その中でも特に注目すべき事例の一つであり、ファシスト政権という特殊な政治体制下で、国家が未知の現象とどのように対峙したかを示す貴重なケーススタディを提供する。本稿の目的は、イタリアのUFO研究家ロベルト・ピノッティ氏によって公開された一連の文書群に基づき、事件の概要、ベニート・ムッソリーニ政権による対応、そしてその後世への影響の可能性を客観的に分析することにある。本稿ではまず、事件の根拠となる資料の出自とその信憑性を検証し、次いでファシスト政権による隠蔽工作と秘密研究組織の設立について詳述する。その後、関与した主要人物、物的証拠、そして間接的な証言を分析し、最後に事件が後世に与えた影響の可能性と、現代における外部からの裏付けについて考察することで、本事件の歴史的意義を明らかにする。

2.0 事件の背景と情報源の検証

歴史研究、特に公式記録が存在しない、あるいは意図的に抹消された可能性のある主題を扱う上で、一次資料の信憑性を検証することは不可欠である。本事件のように、その内容が常識を覆しかねない物議を醸すテーマにおいては、情報源の出自を徹底的に調査し、その正当性を客観的証拠によって裏付ける作業が、研究全体の信頼性を担保する基盤となる。

2.1 資料の入手経緯

本事件の根拠となる文書群は、1997年にUFO研究家のロベルト・ピノッティ氏が匿名の情報源から郵送で受け取ったことに端を発する。これらの文書は、「イタリア王国元老院(Senato del Regno d'Italia)」と記された封筒に収められていた。特筆すべきは、その宛先が当時の外務大臣であり、ベニート・ムッソリーニの義理の息子でもあったガレアッツォ・チャーノであったことである。

チャーノは1943年にムッソリーニに反旗を翻したことで処刑されたが、その息子フィッツィオ・チャーノ(2008年没)が、父の遺品の中からこれらの文書を発見し、その送り主であった可能性が極めて高いとピノッティ氏は推測している。フィッツィオは『祖父が父を射殺させた時(When Grandpa Had Dad Shot)』と題する著書も残しており、この出自は、文書が単なる創作物ではなく、ファシスト政権中枢で扱われた機密情報であった可能性を示唆している。

2.2 公開の試みと証拠の保全

ピノッティ氏の元に資料が届く以前、オリジナルの文書群は一度、ボローニャの新聞社「レスト・デル・カリーノ(il Resto del Carlino)」に送付されていた。しかし、同社の航空専門家でありピノッティ氏の同僚でもあるジャーナリスト、マルコ・タッツァーニ氏の証言によれば、担当記者はこれらの文書を破棄したという。その理由は、戦後のボローニャという政治的風土において、ファシスト政権の有能さを示すような、決して「否定的ではない」内容を報じることは「政治的に正しくない」と判断されたためであった。

幸いにも、匿名の送り主は原本を送る前にコピーを作成しており、新聞社による破棄の後、そのコピーがピノッティ氏の元へと送付された。この一連の流れにより、歴史から抹消される可能性があった情報が、辛うじて保全されることとなった。

2.3 法科学的分析

文書の信憑性を裏付ける上で最も重要な要素は、その物理的な真正性である。ピノッティ氏が提示した文書群は、コーモの裁判所のために鑑定を行う専門家、アントニオ・ガラヴァーリア氏による法科学分析を受けた。その結果、使用されている紙、インク、文体などから、これらの文書が1930年代に作成された本物であることが証明された。この科学的鑑定は、文書が後年に捏造されたものではないことを強く示唆しており、本稿で展開する議論の信頼性を支える根幹となっている。これらの検証済み文書が語る内容こそが、マジェンタ事件の核心なのである。

3.0 ファシスト政権の対応:隠蔽工作と秘密組織の設立

権威主義体制は、自らのイデオロギーや支配体制を揺るがしかねない異常事態に直面した際、情報の徹底的な統制と管理によって権威の維持を図る傾向がある。マジェンタ事件に対するファシスト政権の対応は、まさにその典型例であり、単なる現象の否定に留まらず、国家レベルでの積極的な隠蔽と、極秘裏の研究活動へと発展した。

3.1 最高指導者による隠蔽命令

ピノッティ氏が入手したとされる文書には、ムッソリーニ自身が発したとされる電報が含まれていた。この電報は、国家の最高指導者が直接、情報統制を命じたことを示す物証となりうる。その内容は以下の通りである。

「総統個人の命令により、国領内への未確認航空機の着陸とされるものについては、いかなる言及も絶対に行わないこと。ステファニー通信社および個々のジャーナリストによる今日のニュースにも同様の指示を適用する。違反者には国家安全保障裁判所により最高刑が科される。」

この命令は、事件に関するいかなる報道も封殺し、違反者には国家反逆罪に等しい厳罰を科すという断固たる意志を示している。これは、政府がこの出来事を極めて重大かつ機微な問題として認識していたことを物語っている。

3.2 公式の偽装情報(カバー・ストーリー)

徹底的な情報統制の一方で、政府は国民の間に広がるかもしれない噂を打ち消すための偽装情報、すなわち「カバー・ストーリー」を用意した。当時のイタリアで最も影響力のあった週刊誌の一つである『ラ・ドメニカ・デル・コリエーレ(La Domenica del Corriere)』は、事件発生後、その表紙にマジェンタ近郊で「球電(ボールライトニング)」が自転車に乗る人々を襲ったというイラスト付きの記事を掲載した。これは、万が一目撃情報が広まった場合に備え、「異常な現象はあったが、それは既知の自然現象である」と国民に説明するための、周到に準備された公式の隠蔽工作であったと考えられる。

3.3 秘密研究機関「RS/33内閣」の設立

ピノッティ氏が提示した文書群が正しければ、ムッソリーニ政権の対応は単なる隠蔽に留まらなかったことになる。それらの文書は、彼が墜落物体を回収し、その技術を分析・研究するために、当時のイタリアのトップ科学者たちを集めた秘密組織‌‌「RS/33内閣(Gabinetto RS/33)」‌‌を設立したことを示唆している。

この名称の「RS」は「特別研究(Ricerche Speciali)」を意味し、「33」は設立年ではなく、ミラノ国立公文書館における新発明や特許を扱うセクション番号に由来するとされる。その主な目的は、回収物のリバース・エンジニアリングにあり、未知の技術を解明し、軍事的に応用することにあった。この秘密研究機関の設立は、ファシスト政権がこの現象を単なる脅威としてだけでなく、国家の技術的優位性を飛躍させる千載一遇の機会と捉えていた可能性を示唆している。

4.0 主要人物と組織構造:RS/33内閣

「RS/33内閣」に、当時のイタリア科学界および政界の最高峰の人物たちが関与していたという事実は、マジェンタ事件が国家の最重要機密として扱われていたことを示す強力な間接的証拠である。これほどの人材が動員されたこと自体が、研究対象となった物体の異常性と重要性を物語っている。

4.1 指導者たち

ピノッティ氏の資料によれば、「RS/33内閣」は以下の3人の主要人物によって主導されていた。この三頭体制は、科学的権威、軍事的実用性、そして政治的権力を組み合わせた、極めて戦略的な布陣であったと言える。

  • グリエルモ・マルコーニ:
    • 役職: RS/33内閣の長、上院議員、イタリア王立科学アカデミー会長。
    • 役割: ノーベル賞受賞者としての科学的権威を組織に与える。彼は地球外知的生命体の存在を公に信じ、宇宙からの奇妙な信号を検出したと語っており、この未知の現象を解明する上で思想的にも適任とされた。
  • イタロ・バルボ:
    • 役職: イタリア空軍の創設者、著名な飛行家、空軍大臣。
    • 役割: 航空技術の第一人者として、未知の航空機の構造分析や軍事的応用の可能性を探るという、実践的な側面を担う。大西洋横断飛行で米『タイム』誌の表紙を飾るほどの国際的名声は、プロジェクトの重要性を内外に示す役割も果たしたであろう。
  • ガレアッツォ・チャーノ:
    • 役職: ムッソリーニの義理の息子、外務大臣。
    • 役割: ムッソリーニへの直通ラインを持つ最高権力者の一人として、プロジェクト全体の政治的監督、機密保持、そして国際的な情報管理を担っていたと考えられる。

4.2 参加した科学者と現代の証言

指導者たちのもと、当時のイタリアを代表する科学者たちが研究に参加したとされる。文書には、デ・ブラシ、ジーニ、ジョルダーニ、セヴェラーティ、クロッコといった名前が挙げられている。

これらの歴史的記述を補強する重要な証言が、近年になって現れた。グリエルモ・マルコーニの甥にあたるグリエルモ・ジョヴァネッリ・マルコーニ王子は、イタリアの有力週刊誌『ジェンテ(Gente)』のインタビューに応じ、‌‌「祖父が実際にRS/33内閣を率いていたことを知っている」‌‌と公に認めたのである。この遺族による証言は、文書の信憑性を裏付ける現代からの強力な裏付けであり、歴史的記録と個人の記憶が一致する稀有な例である。

これほどの人物たちが集い、研究を進めていたとされるが、彼らは具体的にどのような物的証拠を扱っていたのだろうか。次のセクションでは、残された証言と関連施設の調査から、その実態に迫る。

5.0 物的証拠と証言の分析

墜落したとされる物体の現物など、直接的な物的証拠が今日存在しない歴史的事件を再構築する作業は、極めて困難を伴う。そのため、現存する間接的な証言や、関連施設に関する記録といった断片的な情報を慎重に分析し、それらを組み合わせることで、事件の全体像を浮かび上がらせるアプローチが求められる。

5.1 間接的目撃証言

事件から長い年月が経過しているため直接の目撃者を見つけることはほぼ不可能であるが、事件について伝え聞いたとされる人物からの間接的な証言が複数記録されている。

  • マローネイ・ニヴィオ・ディ・ペトロ氏(アローナ市長)の証言: 彼はデイリー・メール・オンラインの取材に対し、第二次世界大戦前にロンバルディア州に「未知の飛行要塞」(an unknown flying super fortress) が墜落したという情報を伝え聞いていたと語った。
  • アルフォ・カルミナーティ中尉の証言: 彼は自身の甥であるブルーノ・フェラーロ教授に対し、同様にロンバルディア州での「未知の飛行要塞」の墜落について語っていた。さらに彼は、「その物体には翼もエンジンもなかった」という、従来の航空機とは全く異なる特徴を持つ物体であったという極めて重要な詳細を付け加えていた。

これらの証言は、ロンバルディア州での正体不明の物体の墜落という点で一致しており、公式記録にはない出来事が人々の間で語り継がれていたことを示唆している。

5.2 関連施設の調査と機密文書

物的証拠の痕跡を求め、ピノッティ氏はイタリア空軍に記録の照会を行ったが、「第二次世界大戦中、ドイツ軍、次いでアメリカ軍によって多くの文書が持ち去られたため、関連する記録は残っていない」との回答を得た。

しかし、元首相ジュリオ・アンドレオッティ氏から提供されたとされる情報により、ローマ近郊のソラッテ山の存在が浮上した。ここは内部に総延長14kmにも及ぶトンネル網を持つ巨大な地下要塞であり、「イタリアのシャイアン・マウンテン」とも言うべき施設であった。アンドレオッティ氏が提供したとされる当時の軍事諜報機関(CSIM)の最高機密文書によれば、この広大な地下施設の一部が「RS/33内閣」の活動に割り当てられ、そこで‌‌「電磁気学と光学」に関する実験が行われていたと記されている。この情報は、文書に記された秘密研究を、国家レベルの機密保持が可能な具体的な物理的場所‌‌と結びつける初の物証であり、事件の信憑性を大きく高めるものである。

6.0 技術的遺産と後世への影響の可能性

未知の先進技術を解析し、自国の技術体系に取り込むリバース・エンジニアリングは、国家の技術開発に飛躍的な進歩をもたらす可能性を秘めている。しかし、その成果を特定の歴史的事件と直接結びつけて証明することは極めて困難である。ここで問われるべきは、「1933年以降のイタリアの航空技術に、説明のつかない飛躍は見られたのか?」という分析的な問いである。

6.1 イタリアにおける航空技術の進展

「RS/33内閣」による「超航空(super aviation)」と呼ばれた研究が、具体的な技術的成果に繋がった可能性が考察されている。

  • カンピーニ・カプロニ N.1: 1939年に開発されたイタリア初のジェット機。その開発時期を考えると、マジェンタ事件の研究から得られた何らかの知見がこの先進的な航空機の開発を後押しした可能性も考えられる。
  • 円盤型航空機の設計図: 戦時末期にミートとベルッツォが考案した「空飛ぶ円盤」や、別の技術者が構想した「ディスコモトーレ」といった円盤型航空機の設計図が存在した。これらが当時の航空力学における世界的な関心の反映に過ぎないのか、それとも国内の極秘研究に触発されたものなのかは断定できないが、当時のイタリアに常識から逸脱した設計思想が存在したことは事実である。

これらの事例は状況証拠に過ぎないが、事件を契機として従来の枠を超えた航空技術への関心が高まった可能性は十分に考えられる。

6.2 現代における言及と裏付け

本事件の信憑性を飛躍的に高めているのは、ピノッティ氏の研究とは独立した、近年の米国の情報機関関係者による証言である。これらの主張の重要性は、単なる裏付けに留まらない。これらは、米国の諜報機関内部で、1933年のイタリアでの出来事が数十年にわたり機密情報として認識されていた可能性を示唆するからである。

  • デビッド・グルーシュ氏の主張: 2023年、米国の元情報将校であるデビッド・グルーシュ氏は、米国政府が非人間由来の乗り物を回収・研究していると内部告発した。ピノッティ氏によれば、グルーシュ氏の証言内容は、マジェンタ事件に関する自身の研究を‌‌「完全に裏付けるもの」‌‌であったという。
  • ルイス・エリゾンド氏の証言: 元米国防総省のUAP調査プログラム責任者であるルイス・エリゾンド氏は、2021年のインタビューで、ピノッティ氏の資料を読む以前から、自身の諜報機関の情報源を通じて‌‌「イタリアでUFOが墜落したことを認識していた」‌‌と明言した。

これらの証言は、マジェンタ事件がイタリア国内の出来事に留まらず、他国の諜報機関の関知する国際的な事象であった可能性を強く示唆している。単一の情報源に大きく依存していた本事件の研究にとって、これは極めて重大な意味を持つ。

7.0 結論

本稿では、1933年にイタリアで発生したとされる「マジェンタ事件」について、ロベルト・ピノッティ氏が入手した文書群を基に多角的な分析を行った。その主要な論点を要約すると以下の通りである。

  1. 文書の発見と検証: 匿名の情報源からもたらされた文書は、法科学分析によって1930年代の本物であると証明され、研究の信頼性の基盤を形成している。
  2. ファシスト政権の対応: ムッソリーニは、最高刑をちらつかせた徹底的な情報統制と偽装情報の流布を命じる一方、マルコーニを長とする秘密研究機関「RS/33内閣」を設立し、リバース・エンジニアリングに着手したとされる。
  3. 証拠の分析: 直接的な物的証拠は現存しないが、「翼もエンジンもなかった」とされる物体に関する間接的証言や、ソラッテ山の地下施設が研究拠点であったことを示唆する機密文書が、事件の輪郭を補強している。
  4. 現代における裏付け: 近年、米国の元情報当局者であるデビッド・グルーシュ氏やルイス・エリゾンド氏が、本事件と符合する情報を独立した情報源から得ていたと証言し、事件の国際的な側面を浮き彫りにした。

結論として、マジェンタ事件の証拠が、依然としてピノッティ氏が入手した単一の文書群と間接的な証言に大きく依存しているという限界は認識しなければならない。しかし、文書の法科学的分析、マルコーニの甥による証言、そして何よりも外部からの裏付け、すなわちデビッド・グルーシュ氏やルイス・エリゾンド氏が提供したcorroborating evidenceの存在は、この事件が単なる作り話ではないことを強く示唆している。

マジェンタ事件は、UAP研究史における極めて説得力のある歴史的事例の一つである。しかし、歴史的事実として確定的な結論を下すためには、根拠となる一次資料の更なる独立した検証と、関連する各国の公文書館に眠っている可能性のある未公開資料の発見が不可欠であろう。本事件は、歴史の闇に葬られた未知の出来事を再発掘する上で、今後も重要な研究対象であり続けるに違いない。

1933マゼンタ UFO 墜落事件

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ロベルト・ピノッティ氏によるイタリアのUAP(未確認異常現象)史に関する講演において、‌‌1933年のマゼンタUFO墜落事件‌‌は、イタリアにおける近代UAP調査の原点であり、歴史的な隠蔽工作と科学的研究の始まりとして位置づけられています。

ソースに基づき、この事件がどのような文脈で語られているのかを以下に詳述します。

1. 事件の発覚と信憑性の裏付け

ピノッティ氏らは、2023年に元情報当局者のデヴィッド・グラッシュ氏が証言する25年も前から、この「マゼンタ事件」に関する調査結果を本にまとめていました。この事件の証拠となったのは、1997年に匿名(ムッソリーニの義理の息子ガレアッツォ・チャーノの孫と推測される人物)から届いた‌‌1930年代のオリジナル文書‌‌です,。

  • ‌科学的検証:‌‌ 法医学分析の結果、これらの文書が間違いなく1930年代に書かれた真正のものであることが証明されています。
  • ‌現代の証言との一致:‌‌ 2023年のグラッシュ氏による「米国政府が回収されたUFOを保持している」という告発は、ピノッティ氏らが長年調査してきたマゼンタ事件の内容を裏付ける驚くべきものでした。また、元国防当局者のルイス・エリゾンド氏も、独自のインテリジェンス情報からイタリアでの墜落事件を認識していたと述べています。

2. ムッソリーニによる隠蔽と「キャビネットRS/33」の設立

墜落事件を受けて、当時の指導者ムッソリーニは徹底した情報統制を敷きました。

  • ‌隠蔽工作:‌‌ ムッソリーニは、未知の航空機の上陸について一切言及することを禁じ、違反者には国家安全保障裁判所による最大級の罰を科すという電報を送りました。メディアに対しては、この事件を「巨大な球電(ball lightning)が自転車乗りのグループを直撃した」という偽情報で説明するよう仕向けました。
  • ‌研究機関の創設:‌‌ 物体を調査するために、ムッソリーニは‌‌「キャビネットRS/33(特殊研究33)」‌‌という秘密科学グループを設立しました,。このグループの名前にある「33」は、1933年という年ではなく、ミラノの国家アーカイブにおける新発明や特許を扱うセクション番号に由来しています。

3. 関与した重要人物と技術的影響

この事件の研究には、イタリアの当時のエリート層が動員されていました。

  • ‌指導者:‌‌ 無線通信の先駆者である‌‌グリエルモ・マルコーニ‌‌がこのグループを率いていました。マルコーニの孫も、祖父がキャビネットRS/33のトップであったことを後に認めています。
  • ‌逆工学(リバース・エンジニアリング):‌‌ イタリアの技術者たちはこの物体を「スーパー・アヴィエーション(超航空)」と呼び、研究を行いました。ピノッティ氏は、この研究が1939年にイタリアで世界初クラスのジェット機(カンプローニ・カンピーニ)が開発されるなど、航空技術の発展に寄与した可能性を示唆しています。
  • ‌秘密基地:‌‌ 元首相のジュリオ・アンドレオッティから届いた書簡によると、‌‌ソラッテ山‌‌にある広大な地下トンネル内に「ドゥーチェ(ムッソリーニ)の保護されたワークショップ」が設置され、そこで電磁気学や光学の未知の実験が行われていたとされています,。

4. 目撃証言の内容

文書や間接的な証言によると、墜落した物体は‌‌「翼もエンジンもない、未知の空飛ぶ要塞」‌‌のような外観をしていたと伝えられています,。


この事件を理解するための比喩として、‌‌「1947年のロズウェル事件よりも10年以上前にイタリアで起きた『戦前のロズウェル』」‌‌と言えるでしょう。それは単なる目撃談にとどまらず、国家指導者が科学の天才を動員してその謎を解明しようとした、イタリアUAP史における「失われたパズルの最初のピース」なのです。

RS/33 内閣の科学的研究

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ロベルト・ピノッティ氏の講演資料に基づき、1933年のマゼンタ事件を受けて設立された秘密組織‌‌「RS/33内閣(Gabinetto RS/33)」が行った科学的研究‌‌について説明します。

ソースによると、この組織は単なる調査委員会ではなく、未知の技術を解明するための高度な科学的・軍事的プロジェクトでした。

1. 組織の目的と名称の由来

ムッソリーニの個人的な命令によって設立されたこのグループは、マゼンタに墜落した「未知の航空機」を研究することを目的としていました。

  • ‌名称の由来:‌‌ 「RS」は‌‌「特殊研究(Ricerca Speciale)」‌‌を指し、「33」は1933年という年号ではなく、ミラノの国家アーカイブにおいて‌‌「新発明や特許」を扱うセクション番号‌‌に由来しています。
  • ‌アプローチ:‌‌ 彼らの研究は、回収された物体を分析してその仕組みを解明しようとする‌‌「リバース・エンジニアリング(逆工学)」‌‌の手法をとっていました。

2. 科学界のエリートによる指導

RS/33内閣は、当時のイタリアにおける最高の知性と権力者たちで構成されていました。

  • ‌リーダー:‌‌ 無線通信の先駆者であり、イタリア王立アカデミー会長も務めた‌‌グリエルモ・マルコーニ‌‌がこのグループを率いていました。マルコーニ自身、宇宙からの奇妙な信号を検出した経験から、地球外知的生命体の存在を信じていたとされています。
  • ‌参加科学者:‌‌ 航空力学の先駆者であるガエターノ・アルトゥーロ・クロッコや、ジャンニーニ、ジョルダーニといった当時の著名な科学者たちが名を連ねていました。

3. 研究拠点と具体的な研究分野

研究は、極秘裏に進めるために特殊な施設で行われました。

  • ‌ソラッテ山(Mount Soratte)の地下施設:‌‌ ローマ近郊のソラッテ山に掘削された約14キロメートルに及ぶトンネル内に、‌‌「ドゥーチェ(ムッソリーニ)の保護されたワークショップ」‌‌が設置されました,。
  • ‌実験内容:‌‌ 元首相ジュリオ・アンドレオッティから届いた書簡などの機密文書によると、このグループは‌‌「電磁気学」および「光学」の分野において未知の実験‌‌を行っていました。これらは当時の最高機密(軍事情報部 CSIM の管轄)として扱われていました。

4. 科学的研究の成果と影響

イタリアの技術者たちは、墜落した物体を‌‌「スーパー・アヴィエーション(超航空)」‌‌と呼び、その知見を自国の技術開発に活かそうとしました。

  • ‌航空技術への波及:‌‌ ピノッティ氏は、この秘密裏の研究が、1939年にイタリアで‌‌世界初クラスのジェット機(カンプローニ・カンピーニ)‌‌が開発・生産された背景に、何らかのポジティブな結果をもたらした可能性を示唆しています。
  • ‌後の設計案:‌‌ 大戦末期には、イタリア人技師ベルッツォらがドイツ人と共同で「空飛ぶ円盤」の設計図(Discomatなど)を作成していましたが、これらもRS/33の流れを汲む未知の航空技術研究の一環として言及されています。

RS/33内閣による活動を例えるなら、‌‌「1930年代にイタリア版の『エリア51』と『マンハッタン計画』を掛け合わせたような科学プロジェクト」‌‌が、マルコーニという天才の指揮下で、地下深くのトンネルで密かに進められていたと言えるでしょう。

Pinotti の調査と活動

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ロベルト・ピノッティ氏の講演資料に基づくと、彼の調査と活動は、単なる一研究者の枠を超え、‌‌軍事、インテリジェンス、学術、そして政治の各分野を横断する「UAP情報の統合者」‌‌としての側面が強調されています。

ピノッティ氏の60年以上にわたる活動の大きな文脈において、以下の4つの重要な側面がソースから読み取れます。

1. 歴史的事件の「発掘」と科学的検証

ピノッティ氏は、2023年にデヴィッド・グラッシュ氏が米国政府によるUFO回収を告発する‌‌25年も前から、1933年のマゼンタ事件に関する調査結果を本にまとめていました‌‌。

  • ‌証拠の真正性:‌‌ 1997年に匿名で届いた1930年代の極秘文書について、彼は法医学的な分析(アントニオ・ガラヴァリアによる分析)を行い、それらが‌‌間違いなく1930年代に書かれた真正なものであることを証明しました‌‌。
  • ‌情報の保護:‌‌ かつてボローニャの新聞社に送られた同様の文書が「政治的に不適切」として破棄された歴史がある中で、ピノッティ氏らはこれらの貴重な記録を守り、現代に伝える役割を果たしました。

2. 軍およびインテリジェンス当局との密接な連携

ソースは、ピノッティ氏がイタリア政府や軍の内部に深いネットワークを持っていることを示しています。

  • ‌軍事コンサルタント:‌‌ 氏はイタリア軍の情報当局(ミケランジェロ・プリヴェテラ将軍)から要請を受け、‌‌7年間にわたり軍事分野におけるUFO問題のコンサルタントを務めました‌‌,。
  • ‌公式記録の入手:‌‌ 彼の活動の結果、イタリア空軍から公式にUFOに関する情報提供を受けるなど、通常は秘匿される情報へのアクセスを認められていました,。
  • ‌重要人物との接触:‌‌ 元首相のジュリオ・アンドレオッティ氏と直接やり取りを行い、ソラッテ山の秘密施設に関する5通の書簡を受け取るなど、国家の最高レベルに近い情報源と接触しています,。

3. 国際的な連携と情報のグローバル化

ピノッティ氏は「調査における言語の壁を打ち破る」ことを目的とし、冷戦時代から国際的なネットワークを構築していました。

  • ‌ロシア・日本との関係:‌‌ ロシアのKGBからUFO文書(KGB EU dosier)を託されて西側諸国に公開したり、日本の専門家(Dr. Estelle)と協力して‌‌ブラジルで回収されたUFO破片(ウバトゥバ事件)の分析結果を確認する‌‌などの活動を行いました,,。
  • ‌学術的アプローチ:‌‌ 1988年にインドで開催された国際宇宙航行連盟(IAF)の会議では、古代インドの飛行機‌‌「ヴィマナ」に関する学術論文を発表‌‌し、歴史的観点からのUAP研究も行っています。

4. 政治的・制度的な開示(ディスクロージャー)への尽力

彼はUAP問題を「政治的な課題」として位置づけ、公的な機関への働きかけを続けています。

  • ‌サンマリノと国連:‌‌ サンマリノ共和国で35回にわたり世界UFOシンポジウムを開催し、そこを拠点に‌‌「プロジェクト・タイタン」‌‌という国連にUFO調査機関を設置するよう求める取り組みを主導しました,。
  • ‌バチカンとの対話:‌‌ バチカンの要請に応じて、同国内でUFOに関する講義を行ったり、宗教的な文脈からの研究も行っています,。

ピノッティ氏の活動を例えるなら、‌‌「歴史の闇に埋もれたパズルのピースを、軍事・科学・政治という異なる箱の中から探し出し、一つの巨大な絵として完成させようとする熟練の修復家」‌‌のようです。彼は、個別の目撃情報を集めるだけでなく、それらが国家や歴史のなかでどのように隠蔽され、管理されてきたのかという「構造」そのものを明らかにしようとしています。

国際的な UFO 研究協力

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ロベルト・ピノッティ氏の講演資料に基づくと、‌‌国際的なUFO研究協力‌‌は、彼の60年にわたる活動の核となるテーマです。彼は、UAP(未確認異常現象)が特定の国だけの問題ではなく、地球規模の現象であると考え、国境や言語の壁を越えた情報の共有と組織化に尽力してきました。

ソースが示す国際協力の主な内容は以下の通りです。

1. 言語の壁を打破するグローバルなネットワーク

ピノッティ氏は1967年以来、‌‌「UFO研究における言語の壁を打ち破ること」‌‌を自身の目的として掲げてきました。

  • ‌初期の活動:‌‌ 1967年にイタリアの分析拠点となる国際会議を主催し、同年にドイツで開催された世界会議でも講演を行うなど、ヨーロッパ全域での連携をスタートさせました。
  • ‌ロシアとの秘密の連携:‌‌ 冷戦時代からロシア(旧ソ連)の研究者と「特権的な直接関係」を築いていました。特に、ロシアの研究団体会長から託された‌‌「KGB UFO資料(KGB EU dosier)」を西側諸国で公開‌‌したことは、ロシア国内では不可能な情報開示を国際協力によって実現した重要な事例です。

2. 米国・NATOとの情報交換と相互検証

ピノッティ氏の活動は、米国の情報当局や軍関係者との間でも双方向で行われてきました。

  • ‌NATO内での接触:‌‌ 1972年、イタリア軍の将校だったピノッティ氏は、NATOの会合で米国の同僚から「米国が回収したUFOとパイロットの遺体を保持していることを知っているか」と尋ねられました。
  • ‌現代の専門家との協力:‌‌ 元国防当局者の‌‌ルイス・エリゾンド氏‌‌をサンマリノに招き、彼がインテリジェンス情報を通じてイタリアでの墜落事件を認識していたことを確認しました。
  • ‌現場調査:‌‌ 米国のロズウェル事件についても現地で直接調査を行い、ジェシー・マーセル・ジュニア氏などの重要証言者と接触して情報の裏付けを行っています。

3. 日本を含むアジア・その他の地域との協力

彼の協力関係はアジアやインドにも及んでいます。

  • ‌日本との関係:‌‌ 日本の専門家(故Dr. Estelle)と協力し、ブラジルで回収された‌‌ウバトゥバ事件のUFO破片‌‌が分析のために日本へ持ち込まれた際、それを実際にその目で確認しています。また、日本で調査された「万徳寺事件(Transroance case)」についても議論を交わしました。
  • ‌学術的貢献:‌‌ 1988年にインドで開催された国際宇宙航行連盟(IAF)の会議では、古代インドの飛行機「ヴィマナ」に関する学術論文を発表し、歴史的・文化的な枠組みでの国際協力も行いました。

4. 国際機関を通じた制度化の試み(ICERとプロジェクト・タイタン)

個人の協力から、より組織的・政治的な国際協力への移行も進めています。

  • ‌ICERの創設:‌‌ 5大陸・30カ国以上の専門家からなる世界的なグループ‌‌「ICER(国際地球外研究連合)」‌‌を設立しました。
  • ‌国連への働きかけ(プロジェクト・タイタン):‌‌ サンマリノ共和国の協力を得て、国連の枠組みの中にUFO調査機関を設置することを目指す‌‌「プロジェクト・タイタン」‌‌を主導しました。これはサンマリノ議会でも承認され、国際社会全体でUAP問題に取り組むための具体的な一歩となりました。

ピノッティ氏の活動における国際協力は、‌‌「世界中に散らばったパズルのピースを、一つのテーブルに集める作業」‌‌に例えられます。ソースは、米国がこの現象の唯一の中心ではないことを強調しており、各国が持つ断片的な情報を繋ぎ合わせることで初めて、この現象の真の姿が浮き彫りになるという氏の信念を反映しています。

サンマリノ・イニシアテイブ

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ロベルト・ピノッティ氏の講演において、‌‌サンマリノ・イニシアチブ‌‌(およびその中核となる「プロジェクト・タイタン」)は、UAP問題を一国の機密事項から‌‌国際社会全体で取り組むべき公式な政治課題‌‌へと引き上げるための、最も重要な外交的戦略として位置づけられています。

ソースに基づき、このイニシアチブの背景と目的を以下に説明します。

1. 35年にわたるシンポジウムの実績

サンマリノ共和国は、ピノッティ氏が主催する「世界UFOシンポジウム」の拠点として長年機能してきました。

  • ‌長期的な協力:‌‌ サンマリノ政府の全面的な支援のもと、これまでに‌‌35回の世界シンポジウム‌‌が開催されています。
  • ‌国家的な関心:‌‌ この小国がいかに真剣に取り組んでいるかは、UFOをテーマにした公式の記念切手を2度も発行していることからも伺えます。

2. 「プロジェクト・タイタン(Project Titan)」の始動

2021年、ピノッティ氏らは国際的な専門家組織である‌‌ICER(国際地球外研究連合)‌‌を設立し、これと並行してサンマリノを起点とした新たな政治的枠組み「プロジェクト・タイタン」を提唱しました。

  • ‌目的:‌‌ サンマリノで開催されているシンポジウムを、‌‌国際連合(国連)の傘下にある「国連UFO会議」へと発展・変革させること‌‌を目的としています。
  • ‌狙い:‌‌ UAP現象は特定の国(米国など)だけに起きていることではないため、国連加盟国の利益のために情報を共有するオープンな場を作ることを目指しています。

3. サンマリノ共和国の役割と政治的進展

サンマリノは非常に小さな国家ですが、国連において一票を持つ主権国家であることが、この戦略において極めて重要です。

  • ‌議会の承認:‌‌ このイニシアチブは単なる民間の提案ではなく、サンマリノの‌‌国家元首に受け入れられ、最終的には議会での投票によって承認されました‌‌。
  • ‌政府への任務:‌‌ 議会はサンマリノ政府に対し、このイニシアチブを国連で推進し続けるよう正式に指示を出しました。現在、政治的な優先順位の調整などはあるものの、法的な手続きとしては確立されています。

4. より大きな文脈:米国中心主義からの脱却

ピノッティ氏は、このイニシアチブを通じて‌‌「米国はUAP現象の唯一の中心地ではない」‌‌というメッセージを強調しています。サンマリノという第三国をプラットフォームに選ぶことで、より中立的で、世界各国の知見を統合した、時代に左右されない恒久的な調査体制を築こうとしているのです。


サンマリノ・イニシアチブを例えるなら、‌‌「小さな村から発信された招待状が、世界のリーダーたちが集まる円卓(国連)の公式な議題として認められた」‌‌ようなものです。それは、UAPという謎に包まれた現象を、隠蔽された軍事機密から、全人類が共有する科学的・政治的な対話へと導くための「国際的な入り口」を建設する試みと言えます。

情報源

動画(33:39)

Roberto Pinotti on the 1933 Magenta Crash and the History of UAP in Italy

https://www.youtube.com/watch?v=LLnVXIzsFt8

14,400 views 2025/12/23

Roberto Pinotti is a pioneer of the civilian study of UAP, having investigated UAP events since the 1970s and published several books on them, including his UFO Contacts in Italy, Volumes 1-2 and Timeless UFO Contacts in Italy. The founder of Italy’s primary UAP study organization, the Centro Ufologico Nazionale, Pinotti has been for decades a driving force in the study of UAP in Europe.

At eighty years old, Pinotti carries with him more knowledge about the history of human-UAP interactions, close encounter events, and the investigations of national governments than nearly anyone else. In this talk, he outlines the history of Italian UAP events and investigations, narrating them through an account of the role he played in several of them. Among Pinotti’s focuses are the purported UAP crash and recovery event that US intelligence officer and whistleblower David Grusch informed the United States Congress took place in Magenta, Italy in 1933 and that allegedly led to the appropriation of the recovered UAP vehicle by the US in 1944, during its occupation of the country.

(2026-01-10)