Roberto Pinotti 講演 : 1933, イタリアに墜落した UFO を政府が極秘に研究 ⇒ この謎を解く
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前置き+謎解き
この件は過去記事で何度も取り上げてきた(*1)。
この 1993年にイタリアに墜落した UFO の正体は、当時のドイツ(ヴァイマル共和国)が行った初期の開発段階のロケットがイタリアに墜落したものだと思える。
具体的に言えば以下の A1 や A2 ロケット が該当。 1933 に A1 ロケットを開発し、1934年に A2 ロケットの発射実験に成功とあるから、本件の 1933年に時期もキッチリ符合するし、形状も一致する(追記 *1)。
どういうわけか、こんな簡単な事を UFO 研究者/マニア は誰一人として指摘していないように見受ける。
私ごときが気づく位だから、当然 US の情報機関は、この 1933年の UFO の正体についてはとっくに解明済みの筈。それなのに、
マジェンタ事件の証拠が、依然としてピノッティ氏が入手した単一の文書群と間接的な証言に大きく依存しているという限界は認識しなければならない。しかし、文書の法科学的分析、マルコーニの甥による証言、そして何よりも外部からの裏付け、すなわちデビッド・グルーシュ氏やルイス・エリゾンド氏が提供したcorroborating evidenceの存在は、この事件が単なる作り話ではないことを強く示唆している。
という事は 何を意味するのか?
それは、情報機関で UFO 情報を扱っていた David Grusch も Luis Elizondo も、この UFO の正体を承知の上で、情報撹乱工作を仕掛けていることを強く示唆している。彼らからすると、UFO 研究者/マニア/ファン があまりに易易と操れるので、笑いを堪えるのに苦労している筈。
(*1 : 2026-01-12 追記)
1933, イタリアに墜落した UFO 事件の追記 (2026-01-12)
参考データの引用
A1
A1(Aggregat 1)は一連の開発の最初のものである。1933年にヴェルナー・フォン・ブラウンがドイツ国防軍の支援の下、ヴァルター・ドルンベルガーが主導するクンメルスドルフの研究所で開発した。全長1.4メートル (4 ft 7 in)、胴体直径30.5センチメートル (12 in)、重量150キログラム (331 lb)程度の小型のものである。エンジンはアルトゥール・ルドルフが設計したものであり、加圧供給式で推進剤としてアルコールと液体酸素を用いていた。燃焼時間は16秒で2.9kNの推力を有した。安定翼などは持たず、頭部に40 kg (88 lb)のジャイロスコープを内蔵し安定装置としていたが、性能と液体燃料に不安があり、打上げは行なわれなかった。試験台上でのエンジンの燃焼試験には成功したものの、最初の打ち上げは射点上で炎上した。設計が不安定だったと考えられ、更なる進展は無く、A2の設計に移った。[2]
A2ロケット
A2(Aggregat 2)は、A1の発展型であり、フォン・ブラウンによってヴァルター・ドルンベルガーが主導するクンメルスドルフの研究所で1934年に開発された。全長1.6m、胴体直径30.5cm、空虚重量は72キログラム (159 lb)で離陸重量は107キログラム (236 lb)だった。燃料と酸化剤はA1と同じくアルコールと液体酸素を用いて推力は3 kNでA1に似ていた。しかしながら、A1とは対照的に安定用ジャイロスコープはロケット中心部のアルコールタンクと酸素タンクの間に配置され、安定度が増している。
A2は試験のために製造され、ヴィルヘルム・ブッシュの絵本に由来してマックスとモーリッツと称された。1934年、12月19日と20日に北海沿岸のBorkum島で打上げ試験が行われ、高度2.2kmと3.5kmに達した。[2][3]
1927年にヨハネス・ヴィンクラーによって結成されたドイツ宇宙旅行協会(VFR) は、宇宙旅行を目指して1929年頃から液体燃料ロケットを研究していた。ヴェルサイユ条約で大型兵器の開発を禁止されていたヴァ イマル共和国の陸軍は、1932年に同協会が開発中の液体燃料ロケットが持つ長距離攻撃兵器としての可能性に注目、ヴァルター・ドルンベルガー陸軍大尉は、資金繰りに悩むアマチュア研究者だったヴェルナー・フォン・ブラウンらの才能を見抜き、陸軍兵器局の液体燃料ロケット研究所で研究を続けるよう勧誘した。
ヴェルナー・フォン・ブラウンらはこれに応じて同研究所に参加、1934年12月、エタノールと液体酸素を推進剤とする小型のA2ロケット(質量500 kg)の飛行実験を成功させた。
1936年までには、チームはA2ロケットの開発計画を終了し、新たにA3 と A4 の開発に着手した。後者は射程175 km、最大高度80 km、搭載量約1 tとして設計された。フォン・ブラウンの設計するロケットは兵器としての現実性を増しつつあり、ドルンベルガーは実験規模を拡大し、かつ研究活動を秘匿するため、開発チームをベルリン近郊のクマースドルフ陸軍兵器実験場(ドイツ語版)[4]からドイツ北部バルト海沿岸のウーゼドム島ペーネミュンデに新設したペーネミュンデ陸軍兵器実験場(HVP)に移した。
(*1)
例えば…
Timothy Good : 1933-06, イタリアに UFO が着陸、Mussolini が UFO に重大な関心 (2021-01-05)
Paolo Guizzardi : 1933年イタリアでの「UFO 墜落」事件とムッソリーニが設置した UFO 調査組織 RS/33 : 全発言+日本語訳 (2023-11-10)
1936年、イタリア:ムッソリーニの UFO 極秘資料 (2013-01-12)
要旨
このソースは、イタリアのUFO研究家ロベルト・ピノッティ氏による、1933年のマゼンタにおけるUFO墜落事件とイタリア国内のUFO史に関する講演記録です。
ムッソリーニ政権が科学調査グループ「RS/33内閣」を組織し、墜落した機体を極秘に研究していた証拠となる歴史的文書や軍事的背景が詳しく示されています。ピノッティ氏は、自身の数十年にわたる調査活動を通じて、イタリア空軍や他国の政府機関との連携、さらには現代 のデヴィッド・グラッシュ氏の証言との整合性を強調しています。
また、サンマリノ共和国での国際シンポジウムや国連への働きかけなど、宇宙政治学的なアプローチについても言及されています。最終的に、UFO現象は米国に限定されたものではなく、世界規模の歴史的現実であることを論じています。