超越体験/究極体験 の機序を解く
前置き
別記事、
DMT 体験の階梯 : 現実の揺らぎ→自我の溶解→現実世界の壁を突破→<私>の消滅→梵我一如
を題材にとって、この手の「超越体験」や「究極体験」の機序と正体を解く。
超越/究極 体験の機序を解く
上のリンク先の動画の話者も、DMT によって意識が表層から深層へ、更には真の源へとより深まっていると捉えているが、それは願望に支配された誤解でしかない。このような誤解は古今東西に満ち溢れている。たとえば十牛図に関する様々な有り難い解説がその典型。だが、実態はその真逆。
DMT( or 瞑想 or 秘められた密教的行為)によって、
- 日常生活では抑えられていた意識の 潜在/本源 的能力が顕現した
でのはなく、
- DMT 等によって意識それ自体の枠組みが歪み、崩れ始めただけ。
つまり、その意識自体の枠組みの歪みや崩壊の始まりを、まずは
- 現実の揺らぎ、自我の溶解
として意識は感知する。この崩壊がより進行するにつれ、意識の枠組みの崩壊の過程を
- 壁を突破→<私>の消滅
として内側から体験することになる。
<私>(=自我)の消滅によって、そして意識機能の核である「実在感」だけが剥き出しで露呈する。その「裸の実在感」を
- 梵我一如
として実感することになる。
まとめると、
- 現実の揺らぎ→自我の溶解→現実世界の壁を突破→<私>の消滅→梵我一如
の体験は、意識の崩壊を内側から捉えたものでしかない。崩壊しつつある意識は、自身が崩壊しつつあるとは自覚できず、逆に
- 意識が深化し、日常激現実の壁を突破し、超越に接触し、神秘的融即を果たした
…という幻想に浸ることになる。この幻想体験が、古今東西を通して「究極的存在」との神秘的合一とか、大悟とか、解脱…と主張されてきた。「大疑団」を持てぬ禅かぶれの如き素直な諸氏はそれを真に受けてきた。だがその正体と機序は、このように単純至極。
以上を要約すると、次の一行になる。
- 超越的体験とは意識障害の産物
これこそが(「究極の真理こそ虚構だ」…とその機序を含めて暴いた)唯一無二の究極の真理w
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(2025-10-10)