Carlos Eire(歴史学者) : 人体浮揚と bi-location の事例を解説
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前置き
この動画は過去記事で取り上げたが、今回は AI(NotebookLM) で整理した。
動画では Uri Geller に関する事例 も語られている。
要旨
イェール大学のカルロス・アイレ教授は、心理学者のジェフリー・ミシュラブとの対談を通じ、歴史における浮遊(レビテーション)とバイロケーション(遠隔聖座)の 事例を考察しています。
アイレ氏は著書『彼らは飛んだ:不可能の歴史』に基づき、中世から近代にかけての宗教的奇跡や、近代の心霊主義における空中浮揚の記録について解説しました。特にアビラの聖テレサやクパティーノの聖ヨセフといった聖人たちが、変性意識状態や神秘的な恍惚の中で重力に抗ったとされる数多くの証言を紹介しています。
対談では、現代の教条主義的な物質主義に対する懐疑の視点が提示され、科学では解明できない多次元的な事象の可能性が議論されました。また、教会による厳格な真偽調査や詐欺の摘発プロセスについても触れ、歴史的な記録がいかに豊富であるかが強調されています。
最終的にこの対談は、固定観念に縛られず未知の現象に対して開かれた姿勢を持つことの重要性を説いています。
空中浮揚とバイロケーションに関するブリーフィング文書
要旨
イェール大学の歴史学・宗教学教授であるカルロス・エイレ氏の研究は、空中浮揚やバイロケーション(同時両所存在)といった、現代の唯物論的パラダイムでは「不可能」とされる歴史的現象を学術的に検証するものである。同氏の著書『They Flew: A History of the Impossible』は、特に16世紀と17世紀のヨーロッパに焦点を当てている。この時代は、カトリックの聖人による神聖な空中浮揚と、魔女による悪魔的な飛行が同時に報告された「空飛ぶ人間の最盛期」であった。
カトリック教会は、これらの現象を手放しで奇跡と認定したわけではない。むしろ、宗教改革後の猜疑心が高まる中で、異端審問所などを通じて極めて懐疑的かつ徹底的な調査を行った。その目的は、詐欺師を暴き、現象の源泉が神にあるのか悪魔にあるのかを慎重に見極めることにあった。調査プロセスにおいては、聖人の最も重要な徳性として「謙虚さ」が重視された。
多くの事例において、空中浮揚は意図的な行為ではなく、深い「神秘的エクスタシー」状態の物理的な副産物として発生した。聖テレサやクペルテ ィーノの聖ヨセフなどの事例では、身体が硬直するカタレプシー発作を伴い、本人の意思とは無関係に身体が浮上したと記録されている。
エイレ教授は、数百、時には数千人に及ぶ目撃証言の存在を重視し、これらすべてを虚偽や集団幻想と断じることこそ、ある種の「信仰の跳躍」を要すると指摘する。同氏の研究は、現代の「独断的唯物論」に疑問を投げかけ、過去の出来事を当時の文脈で真摯に再評価することの重要性を示唆している。
詳細分析
1. 「不可能」の歴史学:カルロス・エイレ教授の研究
イェール大学の歴史学・宗教学教授であるカルロス・エイレ氏は、近世ヨーロッパ史の専門家として、空中浮揚やバイロケーションといった超常的現象の歴史的記録を研究している。この研究は、同氏が約40年前にイタリアのアビラにある聖テレサの修道院を訪れた際の体験に端を発する。そこでは、聖テレサと十字架の聖ヨハネが共に空中浮揚した場所が、厨房のフライパンや階段といった日常的な事物と同列の「事実」として紹介されており、この「認識の不協和」が研究の出発点となった。
エイレ教授は、研究においてスペインの異端審問所の記録などを活用した。これらの記録は、尋問内容、囚人や関係者の間で交わされた手紙、さらには拷問の詳細な描写(例:「我々 は彼女にもっと水を与えた」という記述)まで含む、驚くほど網羅的で強迫的なものであった。
2. 16世紀と17世紀:空飛ぶ人間の最盛期
エイレ教授によれば、この時代は西洋史における「空飛ぶ人間の最盛期」であった。これは、中世的な世界観と近代的な思考が複雑に絡み合う移行期であり、2つの異なる「飛行」が同時に報告されていたためである。
- カトリック世界の聖人による空中浮揚: 神との合一体験である神秘的エクスタシーの結果として、聖人たちが空中に浮揚したとされる事例。
- 魔女の飛行: カトリックとプロテスタント双方の地域で、悪魔との契約によって魔女が箒などに乗って空を飛ぶと信じられていた。
この現象に対する見解は、宗派によって明確に異なっていた。
- カトリック: 空中浮揚やバイロケーションは、神からの奇跡である可能性と、悪魔による惑わしである可能性の両方があるとされた。そのため、個別の事例について慎重な調査が必要とされた。
- プロテスタント: この種の現象は神に由来するものではなく、もっぱら悪魔の仕業であると見なされた。したがって、空中に浮揚する者は魔女か悪魔崇拝者であると疑われた。
この世界観の違いは、魔女狩りの背景にも影響を与えた。数千人規模の人々が、カトリック・プロテスタント双方の地域で魔女として処刑 された。
3. 教会の懐疑的調査と詐欺の摘発
近代初期のカトリック教会は、空中浮揚の報告に対して極めて懐疑的な姿勢で臨んだ。中世の聖人とは異なり、この時代の聖人候補者は厳格な調査と尋問の対象となった。
- 調査の二重の目的:
- 詐欺の排除: 奇跡を装う偽物や詐欺師でないことを確認する。
- 源泉の特定: 現象が神に由来する「本物」の奇跡なのか、それとも悪魔によるものなのかを判別する。
- 悪魔の弁護士 (Devil's Advocate): この時代に、カトリック教会は列聖調査のプロセスにおいて、候補者に対してあらゆる疑義を提示し、懐疑的な視点から徹底的に調査する役職、通称「悪魔の弁護士」を正式に設けた。これは、調査の客観性と厳格性を担保するための制度であった。
- 謙虚さの重視: 教会が聖性の証として最も重要視した徳は「謙虚さ」であった。聖テレサが自身の空中浮揚を隠そうとし、他の修道女たちに自分を抑えつけるよう命じた行動は、彼女が自己顕示欲から奇跡を起こしているわけではないことの証明と見なされた。
教会は実際に数多くの詐欺師を摘発しており、その事実が、調査を通過した事例(例:クペルティーノの聖ヨセフ)の信憑性を逆説的に高めている。
4. 神秘的エクスタシーの物理的 副産物
報告されている聖人たちの空中浮揚は、自らの意思で空を飛ぶ行為ではなく、多くの場合、強烈な宗教体験である「神秘的エクスタシー」の制御不能な物理的副産物であった。
- カタレプシー発作: 聖テレサやクペルティーノの聖ヨセフの事例では、空中浮揚はカタレプシー(強硬症)的な発作から始まった。身体は完全に硬直し、感覚を失い、針で刺したり目の前で蝋燭を灯したりしても全く反応がなかったとされる。
- 身体の無重力化: 空中に浮遊している身体は非常に軽くなり、目撃者が息を吹きかけると部屋の反対側まで漂っていった、という記録も存在する。
- 時間と空間からの離脱: 非常に興味深い点として、浮揚者の身体だけでなく、身につけている衣服さえも硬直し、しわ一つ動かなかったと報告されている。この現象について、エイレ教授に連絡してきたある科学者は、「浮揚者は文字通り時間と空間の外に出ており、重力の影響を受けない一種の次元バブルに包まれているのではないか」という仮説を提唱した。この仮説では、浮揚者にとって時間の経過はなく、エクスタシーから覚めると、中断したまさにその瞬間から行動(例えばミサの続きの言葉)を再開できたことが説明できる。
5. 主要な事例
| 人物名 | 時代 | 主な現象 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| アビラの聖テレサ | 16世紀 | 空中浮揚 | 十字架の聖ヨハネと同時に浮揚したとされる。自身の現象を恥じ、他の修道女に抑えつけるよう命じた。異端審問所の厳しい調査を受けたが、その謙虚さが聖性の証とされた。 |
| クペルティーノの聖ヨセフ | 17世紀 | 空中浮揚 | 「史上最も偉大な浮揚者」と称される。彼の空中浮揚はあまりに頻繁で人々の注目を集めすぎたため、教会当局によって次々と人里離れた修道院へ移され、人生の最後の10年間は事実上の独房監禁状態で過ごした。 |
| マリア・デ・アグレダ | 17世紀 | バイロケーション | 「青い服の貴婦人」として知られる。スペインの修道院にいながら、現在の米国テキサス州やニューメキシコ州に500回以上出現し、ネイティブアメリカンにキリスト教を説いたとされる。彼女が聖母マリアから直接聞き取ったとして執筆した100万語に及ぶ伝記が教義上の問題となり、列聖には至っていない。 |
| イヴォンヌ=エメ・ド・マレストロワ | 20世紀 | バイロケーション | 1901生~1951年没。数百件のバイロケーションが記録されており、ナチス占領下のフランスで囚人の前に現れたとされる。同時に、レジスタンスの闘士や連合軍のパイロットを修道女に変装させて救出した英雄でもあり、シャルル・ド・ゴールから勲章を授与された。 |
6. 近代のパラダイムと現代における意味
- 用語の変遷: 「空中浮揚(levitation)」という言葉自体は、19世紀のスピリチュアリスト(心霊主義者)によって造られた。彼らはこの現象を神や悪魔から切り離し、霊的な力によるものと解釈し、非宗教的な文脈に置いた。D.D.ヒュームのような霊媒師が有名である。
- 独断的唯物論への懐疑: エイレ教授は、現代の学術界や文化を支配する「独断的唯物論」(dogmatic materialism)—すなわち、物質世界が唯一の現実であるという前提—に対して、歴史家として懐疑的であるべきだと主張する。彼は、フランシス・ベーコンの「確信から始めれば疑いで終わるが、疑いから始めれば確信で終わる」という言葉を引用し、科学的プロセスと同様に、歴史的現象に対しても開かれた懐疑心を持つことの重要性を説く。
- 現代における現象: インタビューでは、これらの現象が現代でも起きている可能性が示唆されている。例として、1970年代にエジプトのザイトゥーンで起きた聖母マリアの出現(数十万人が目撃)、イギリスの物理霊媒による空中浮揚の報告などが挙げられた。しかし、これらの出来事は、16世紀や17世紀のように社会の中心的な議題となることはなく、主流メディアで報じられることも稀である。
結論として、エイレ教授の研究は、過去の膨大な証言を安易に迷信として切り捨てるのではなく、一つの歴史的「データ」として真摯に向き合うことで、我々自身の時代が持つ文化的バイアスや「社会的常識」を相対化 する視点を提供している。
空飛ぶ聖人たち:ありえないことの歴史物語
序章:ある歴史家の目覚め
物語は、エール大学の歴史学教授カルロス・エイラが、今から40年ほど前にスペインのアビラにある聖テレサ修道院を訪れた、ある日の午後から始まります。それは彼にとって、単なる観光旅行ではありませんでした。歴史家としての認識を根底から揺さぶる、「目覚め」とも呼べる体験となったのです。
修道院のガイドは、集まった人々に淡々と説明を続けていました。「こちらが聖テレサが料理をした厨房です」「あちらが彼女が転んで腕を骨折した階段です」。それらは誰もが納得できる、具体的な歴史の断片でした。しかし、ガイドは全く同じ口調で、こう続けたのです。
「そして、ここが聖テレサと聖ヨハネが初めて共に空中浮揚した場所です」
その瞬間、エイラ教授の頭の中で何かが弾けました。空中浮揚という超常現象が、厨房のフライパンや事故のあった階段といった物理的な事実と、何ら変わりない「事実」として語られている。この出来事は、16世紀の人々にとって現実であっただけでなく、20世紀の今もなお、そのように語り継がれている。この強烈な「認知的不協和」は、彼の心に深く突き刺さりました。
本稿は、この歴史家の目覚めに端を発する探求の記録です。私たちはこれから、単なる伝説として片付けられてきた「ありえない」現象を、歴史的な事実として真剣に調査した記録に基づき、一つの物語として紐解いていきます。
1. 空を飛ぶことが現実だった時代
この物語の舞台は、主に16世紀から17世紀のヨーロッパです。この時代は、中世的な思想と近代的な考え方が複雑に絡み合う、まさに「移行期」でした。一方ではルネサンスによって人間の理性が花開き、もう一方では魔女狩りの炎がヨーロッパ全土で燃え盛っていました。
特に宗教の世界は、1517年に始まったプロテスタント宗教改革によって大きく揺れていました。カトリックとプロテスタントは互いを厳しく監視し、自らの正当性を証明しようと躍起になっていたのです。空中浮揚やバイロケーション(同時刻に二つの場所に存在すること)といった奇跡は、このような緊張感の中で、極めて繊細な問題として扱われました。
当時の人々にとって、これらの現象はどのように見えていたのでしょうか。
- カトリック教会の視点 奇跡は、神からの祝福である可能性と、悪魔による欺瞞である可能性の両方がありました。そのため、教会はその現象がどちらの源から来ているのかを慎重に見極めようとしました。その判断の鍵となったのが、奇跡を起こす人物の「徳」、とりわけ謙虚さでした。奇跡を自慢したり、自己顕示のために利用したりする者は、悪魔の影響下にあると疑われたのです。18世紀以降、カトリック教会は聖人認定のプロセスにおいて、空中浮揚のような物理的な奇跡よりも、謙虚さのような「英雄的な徳」そのものを重視するようになります。
- プロテスタントの視点 彼らの多くは、神がもはやそのような奇跡を起こすことはない、と考えていました。したがって、空中を飛ぶ者はすべて、悪魔と契約した魔女であると見なされました。そこには善悪の判断の余地はなく、現象そのものが断罪の対象となったのです。
これから紹介する聖人たちは、単なる奇跡の人ではありません。彼らは、このような厳しく複雑な時代の中で、その現象が神聖なものか、それとも悪魔的なものかを、異端審問という最も懐疑的な目によって徹底的に問われた人物たちだったのです。
2. 飛びたくなかった聖人:アビラのテレサ
最初の物語は、スペインの偉大な聖人、アビラのテレサです。彼女の物語が興味深いのは、彼女自身がその奇跡を全く望んでいなかったという点にあります。
彼女が空中浮揚を始めたのは40代の頃でした。修道院長という責任ある立場にあった彼女は、この現象が注目を集め、トラブルの元になることを直感します。そこで彼女は、他の修道女たちにこう命じました。
「もし私が浮き上がりそうになったら、全員で私を捕まえて、力ずくで引きずり下ろしてください」
記録には、6人から7人の修道女たちが、浮き上がる院長を必死に押さえつけようとする、ある視点から見れば実に滑稽(ヒラリアス)で、しかし当事者にとっては真剣極まりない光景が記されています。
テレサの空中浮揚は、彼女が自らの意思で飛んでいたわけではありませんでした。それは、「神秘的エクスタシー」と呼ばれる深い宗教的体験の副産物だったのです。目撃者によれば、彼女はエクスタシーに入ると、まず身体が硬直し、あらゆる感覚を失う「カタレプシー発作」の状態に陥りました。そして、その硬直した体のまま、静かに宙に浮き上がったのです。彼女は神にこの現象を止めてくれるよう祈り続け、やがて浮揚は収まったと主 張しました。しかし、後年の手紙の中では「ご存知の通り、私の浮揚は戻ってきました」と正直に告白しており、その人間的な葛藤がうかがえます。
この物語のクライマックスは、彼女が同じく聖人である聖ヨハネと面会していた時の出来事です。二人は同じ部屋にいたわけではありません。修道院の厳格な規則に従い、まるで刑務所の面会のように、鉄格子のある小さな窓越しに「三位一体」という深遠な神学のテーマについて語り合っていました。その対話が最高潮に達した瞬間、物理的に隔てられていたにもかかわらず、二人同時に空中へと浮揚したのです。さらに驚くべきことに、記録によれば、聖ヨハネは椅子に座ったまま、その椅子ごと宙に浮いたとされています。
テレサは常に自分の奇跡を隠そうとしました。この徹底した謙虚な姿勢こそが、懐疑的な教会当局に、彼女の奇跡が悪魔的ではなく神聖なものであると認めさせる上で、決定的な役割を果たしたのです。
3. 空飛ぶ修道士:クペルティーノのヨセフ
テレサが自らの奇跡を隠そうとしたのとは対照的に、史上最も偉大で、最も劇的な浮揚者と称されるのが、イタリアの修道士、クペルティーノのヨセフです。彼の現象はあまりにも壮大で、公のものでした。
彼の空中浮揚は頻繁かつ予測不可能で、ミサの最中に突然祭壇の上まで飛び上がったりしました。その結果、教会当局は彼を「厄介者」であり、他の修道士たちの「多大なる気晴らし」になると判断しました。彼らはヨセフを人里離れた修道院へと次々と移送し、彼の人生の最後の10年間は、事実上の囚人として過ごさせました。しかし、彼を隔離すればするほど、その評判は広まっていきました。
- ある時、彼はエクスタシーの中で教会の外に飛び出し、近くにあった木のてっぺんまで浮揚しました。エクスタシーから覚めた彼は、どうやって降りればいいか分からず、はしごで助け出さねばなりませんでした。
- 彼を一目見ようと、大勢の群衆が修道院に殺到し、礼拝堂の壁や屋根に穴を開けて中を覗き込もうとするほどの騒ぎとなり、修道院の外には小さなテント村までできたといいます。
さらに不思議なことに、彼は何時間にもわたるエクスタシーから覚めると、中断したミサの祈りを、まるで時間が経過していなかったかのように、止まった次の単語から正確に再開したといいます。ある科学者は、浮揚者は通常の時空の外にある一種の「次元の泡」に包まれているのではないか、という仮説を立てています。この状態では重力は適用されず、時間も経過しないため、ヨセフの衣服のしわさえも動かなかったという目撃証言とも一致します。
ヨセフのような、疑いようのない圧倒的な物理現象は、私たちが次に探求する、さらに不可解で、次元を超えた奇跡への扉を開くものでした。
4. 海を渡った修道女:アグレダのマリア
空中浮揚とはまた異なる、しかし同様に驚くべき現象が「バイロケーション」です。これは、一人の人間の身体が同時に二つの場所に存在するという、まさに物理法則を超えた奇跡です。その最も有名な事例が、17世紀スペインの修道女、アグレダのマリアの物語です。
彼女はスペインの修道院に閉じこもって生活しながら、その身体は同時に、何千マイルも離れたアメリカ大陸、現在のテキサス州とニューメキシコ州の荒野に現れました。記録によれば、彼女は500回以上にわたってネイティブアメリカンの部族のもとを訪れ、キリスト教の教えを説いたとされています。
当然、異端審問所は彼女を厳しく尋問しました。 「どうやって移動したのか?」 「雨が降れば、雨を感じたか?気温の変化は感じたか?」 「どうやって言葉の通じない人々と話したのか?」
彼女の答えは、驚くほど率直なものでした。
「私にはどうしてなのかは分かりません。ただ、そこにいたことは知っています」
彼女は、雨も気温も感じたと証言しましたが、その現象の仕組みは、本人にさえ理解できていなかったのです。
この物語は、古い記録の中に埋もれているだけではありません。彼女は「青い服の貴婦人(The Lady in Blue)」として、今なおアメリカ南西部の民間伝承に生き続けています。そしてテキサス州サンアンジェロ市には、彼女の大きな銅像が建てられています。歴史家エイラが語るように、彼の教え子の一人が最近そこを旅し、その銅像の写真を送ってき たというエピソードは、この400年前の物語が今も息づいていることを示しています。
しかし、テレサやヨセフと異なり、マリアは聖人として認定されていません。その最大の理由は、彼女が聖母マリアから直接、百万語にも及ぶその生涯の物語を口述筆記したと主張したことにあります。これは、自身を福音書の記者たちと同列に置く「巨大な主張」であり、カトリックの教義に深刻な問題を引き起こしたため、彼女の列聖プロセスは停滞したままなのです。
これまで紹介した3人の聖人たちの特徴を、以下の表で比較してみましょう。
| 聖人名 | 主な現象 | 特徴と逸話 | 教会からの評価 |
|---|---|---|---|
| アビラのテレサ | 空中浮揚 | 現象を望まず、隠そうとした。謙虚さが重視された。聖ヨハネと共に浮揚した。 | 聖人として認定。 |
| クペルティーノのヨセフ | 空中浮揚 | 史上最も偉大な浮揚者。現象が派手で、群衆が殺到したため隔離された。 | 聖人として認定。 |
| アグレダのマリア | バイロケーション | スペインからアメリカ大陸へ瞬間移動。聖母マリアから直接啓示を受けたと主張したことが神学的な問題となった。 | 聖人認定は保留中。 |
結論:「ありえないこと」の歴史と向き合う
本稿で紹介 した物語は、単なるおとぎ話ではありません。それらは、カトリック教会や異端審問所といった、当時最も懐疑的で記録に執着した組織によって、詳細に調査された「証言」に基づいています。教会は、詐欺師を暴き出すために「悪魔の代弁者」という役職を制度化しました。その役割は、あらゆる疑いを提起し、徹底的に反証を試みることでした。この厳格なフィルターを通過した事例が、より一層の重みを持つのはそのためです。
歴史家カルロス・エイラは、こうした記録を前にして、私たちに一つの問いを投げかけます。それは、「この世は物質的なものでしかなく、超常現象などありえない」と最初から決めつけてしまう「独断的な唯物論」に対して、少しだけ懐疑的になってみてはどうか、ということです。
これらの物語が真実であったかを、今となっては証明できません。しかし、何百、何千という目撃者たちが、全員口を揃えて嘘をついていた、あるいは集団で幻覚を見ていたと結論づけることにもまた、ある種の「信仰の飛躍」が必要ではないでしょうか。
空飛ぶ聖人たちの物語は、私たちに単純な答えを与えてはくれません。その代わりに、私たちが生きるこの世界の現実とは何か、そして信じることと知ることの境界線は一体どこにあるのかを、深く問いかけてくるのです。歴史の闇に埋もれた「ありえない」記録と向き合うことは、私たち自身の世界の捉え方を見つめ直す、またとない機会となるのかもしれません。
なぜ昔の人々は「空中浮揚」 を信じたのか?――歴史の常識を変える「社会的真実」という視点
導入:事実として語られる「奇跡」との出会い
この記事は、歴史を学び始めた皆さんに向けて書かれています。テーマは、「なぜ過去のある時代、空中浮揚のような奇跡が『事実』として受け入れられていたのか」。その謎を、イェール大学の歴史学者カルロス・アイレ教授の解説を基に解き明かしていきます。
今から約40年前、アイレ教授はスペインのアビラにある聖テレジアの修道院を訪れ、人生を変えるほどの衝撃的な体験をしました。
ガイド付きツアーに参加した教授は、次のような案内を受けました。
- 「こちらが、聖テレジアが料理をしていた厨房です」
- 「あちらが、彼女が転んで腕を骨折した階段です」
これらは、誰もが納得する歴史的な「事実」です。しかし、次にガイドが指し示した場所と、その説明に教授は耳を疑いました。
「そして、ここが、聖テレジアと十字架のヨハネが初めて共に空中浮揚した場所です」
空中浮揚という奇跡が、厨房のフライパンや階段といった物理的な存在と全く同じレベルの「事実」として語られていたのです。この出来事は、教授の中に「認知的覚醒」とも呼べるほどの衝撃を与えました。
このエピソードから、私たちの探求は始まります。なぜ奇跡が、台所のフライパンと同じレベルの『事実』として扱われていたのでしょうか?
1. 人が空を飛んだ時代:16世紀と17世紀のヨーロッパ
アイレ教授によれば、空中浮揚やバイロケーション(一人がある場所にいながら、同時に別の場所にも現れる現象)の 報告が最も多かったのは、16世紀と17世紀のヨーロッパでした。彼はこの時代を「空飛ぶ人間のピーク期」と呼んでいます。
この時代がなぜ特別だったのか、その背景を3つのポイントで見てみましょう。
- 中世と近代の狭間 この時代は、超自然的な力が信じられていた中世的な思想が色濃く残る一方で、科学的な思考や懐疑主義といった近代的な考え方が芽生え始めた、価値観が混在する複雑な移行期でした。
- 宗教改革の衝撃 1517年に始まったプロテスタントの宗教改革により、ヨーロッパはカトリックとプロテスタントに分裂しました。両者は互いに深い不信感を抱き、人々の思想や言動を厳しく監視するようになりました。
- 奇跡への二元論的な見方 超常現象が起こった際、人々はその源泉が「神」なのか、それとも「悪魔」なのかを真剣に問い詰めました。現象の存在そのものを疑うのではなく、その出所を問題にしたのです。
このような時代背景があったからこそ、人が空を飛ぶという現象は、単なるおとぎ話ではなく、神か悪魔かを見極めるべき深刻な問題と捉えられていたのです。
2. 聖人と魔女:同じ現象への異なる解釈
同じ「空中浮揚」という現象も、見る人の立場によってその解釈は180度異なりました。当時のカトリックとプロテスタントの視点を比較してみまし ょう。
| カトリックの視点 | プロテスタントの視点 |
|---|---|
| 非常に信仰深い聖人(神の力による奇跡)か、あるいは悪魔と契約した者(悪魔の力による魔術)の両方の可能性がある。 | 神がそのような奇跡を起こすことはない。空中浮揚はすべて悪魔の仕業であり、その人物は魔女の疑いがある。 |
カトリック側の代表例が、先ほど登場した聖テレジアです。彼女の空中浮揚には、次のような特徴があったと報告されています。
- 謙虚さの表れ 彼女は自身の空中浮揚が注目されることを「面倒ごと」だと考えていました。当時、聖人にとって謙虚さは最高の徳とされていたため、彼女が周りの修道女たちに「私が浮き始めたら、下に引っ張ってください」と命じていたことは、聖性の重要な証拠と見なされました。
- 神秘的エクスタシーの副産物 彼女の空中浮揚は、神との深い一体感を体験する「神秘的エクスタシー」の最中に起こる副産物でした。彼女自身が望んで飛んでいたわけではなかったのです。その光景は、現代の私たちから見ればどこか滑稽にも映りますが、当事者にとっては神の御業か悪魔の誘惑かを見極めるための必死の行動でした。
- 身体的特徴 エクスタシーの状態では、彼女の体は硬直し(カタレプシー発作)、あらゆる感覚を失っていたと報告されています。針で刺しても、目の前にろうそくを近づけても、何の反応も示さなかったといいます。
このように、同じ空中浮揚という現象も、信じる立場によって「聖なる奇跡」か「邪悪な魔術」か、全く異なる意味を持っていたのです。では、そもそもな ぜ社会全体が、このような超常現象の存在を当然のこととして受け入れていたのでしょうか。その鍵となるのが「社会的真実」という考え方です。
3. 歴史を読み解く鍵:「社会的真実」とは何か?
この記事の核心となるのが「社会的真実(Social Fact)」という概念です。これは、「特定の文化や時代において、疑うことのできない『常識』や『事実』として人々の行動を規定している思い込み」を指します。
アイレ教授は、この概念を現代のアメリカを例に説明します。
「『すべての人間は平等につくられている』という考えは、現代アメリカの社会的事実です。これを公然と疑えば、社会的なトラブルに巻き込まれるでしょう。」
この「社会的真現実」というレンズを通して16世紀のヨーロッパを覗いてみると、景色は一変します。
当時の人々にとって、「神や悪魔といった超自然的な存在が、現実世界に直接介入するのは当たり前」という考えこそが、疑いようのない「社会的真実」だったのです。
この前提に立てば、空中浮揚は「ありえるかどうか」を疑う対象ではありませんでした。それは現実に起こる出来事であり、問題はただ一つ、「神と悪魔のどちらの仕業か」を判断することだったのです。
しかし、人々はただ盲目的に奇跡を 信じていたわけではありませんでした。彼らは彼らなりの方法で、その「事実」を厳しく検証しようとしていたのです。
4. 疑い深き信仰者たち:奇跡はどのように「検証」されたのか
当時の人々の懐疑心は、彼らが共有する「社会的真実」の枠組みの中でこそ、鋭く機能していました。彼らが疑ったのは、超常現象が起こりうるかどうかではなく、特定の事例が本物かどうか、そしてその源泉は神か悪魔か、という点でした。特にカトリック教会は、奇跡の報告に対して非常に厳格な調査で臨んだのです。
この検証プロセスは、奇跡の存在という社会的事実を攻撃するものではなく、むしろそれを前提とした「科学的」な方法論でした。
- 悪魔の代弁者(Devil's Advocate) 聖人認定のプロセスにおいて、教会は意図的に「悪魔の代弁者」という役職を設けました。この担当者の仕事は、候補者に関するあらゆる疑いを提起し、その奇跡が偽物である可能性を徹底的に調査することでした。
- 詐欺師の摘発 この時代、聖人のふりをして偽の奇跡を起こそうとする詐欺師も数多く存在しました。しかし、その多くがこの厳格な調査プロセスによって見破られています。
多くの偽物が暴かれる中で、それでも「本物」と認定された奇跡 には、特別な重みがありました。この検証プロセスの存在こそが、聖テレジアのような人物の信憑性を、当時の人々にとって絶大なものにしたのです。
その中でも「史上最高の空中浮揚者」と呼ばれたのが、クペルティーノの聖ヨセフです。彼の空中浮揚はあまりにも頻繁で劇的だったため、教会は彼を「厄介者」と見なし、熱狂する群衆から隠すために人里離れた修道院へと次々に移送しました。この教会の過剰ともいえる対応は、皮肉にも、彼の能力が本物であることの強力な「証明」として、当時の信者たちの目には映ったのです。
結論:過去を理解するための新しいメガネ
この記事の要点を振り返ってみましょう。
かつて空中浮揚のような奇跡が広く信じられていたのは、人々が愚かだったからではありません。彼らが「超自然的な世界の存在」を自明の理とする「社会的真実」の中で生きていたからです。
そして彼らは、その「社会的真実」の枠組みの中で、非常に懐疑的かつ論理的な方法で奇跡を「検証」することで、自分たちの世界観をさらに強固なものにしていたのです。
歴史を学ぶ上で、これは非常に重要な教訓を私たちに与えてくれます。それは、「その時代の『社会的真実』を理解することが、過去の人々の行動や思考を理解する鍵である」