RYU : ハイ・ブランドは宗教だ
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前置き+コメント
最近、RYU の動画を何度か取り上げたが、彼がまた身も蓋もない動画を up していたので AI(NotebookLM) で整理した。
彼の発言内容自体は、言われてみれば しごく当然 の「感性」なのだが、ここまで明快に抉り出し、言語化できている人物は稀。
彼の主張する
真に実力がある者はロゴに頼らず、自身の思考や美意識という内面的な基準で自立します。
という「感性」は、実用的な判断基準で社会生活上はこれで十分に用が足りる。だが、一つ根深い問題がある。
それは、その「自身の思考や美意識という内面的な基準」そのもの もまた、一段上のメタなハイ・ブランドだという点。「真の実力」という基準も同じ。
RYU は、下の表の「内面化された価値基準」を 絶対的なものと見なしている(or 話を単純化するために以下の話は承知の上で省略している)ようだが、本質から言えば程度の差でしかない。
| 対比項目 | 外面的価値基準 | 内面化された価値基準 |
|---|---|---|
| 価値の対象 | 高級バッグや高級時計 | 社会的パワー(カネ、知識、地位、能力) |
| 建築で喩えた差異 | 外装(外見、見てくれ) | 内装(自身の思考や美意識) |
| 価値基準の特性 | 瞬時に利用可能 | 価値の構築に多大な時間を要し、他人がその人物の価値量を読み取るのにも手間がかかる |
| なしがちな判断 | 偽の価値 | 本物の価値 |
つまり、インスタントに使える「外面的定規」で測るか、手間暇かかる「内面化された定規」で測るか…この違いでしかない。どちらも社会が便宜的に構築した人間的な価値基準なので、絶対的なものではありえないのだが、一般的には「内面化された定規」の方を絶対視してしまう。
例えば…。この音楽は深みがある、この哲学は深淵だ、これこそが真理だ、これが芸術の美だ、これが善だ、これが仏教の奥義である空だ、これが 宗教/神秘主義 でいう悟りなのだ…このように言われるが、本当にあるのは 深淵/真理/美/善/空/悟り ではない。
「そういったものが 深淵/真理/美/善/空/悟り なのだ」という社会的に高級とされる複雑な暗喩の規定(=本物の味)を内面的に受け入れ察する内的態度が整った(=その味に舌が慣れた)という事でしかない。
社会的/思想的/哲学的 に構築された 深淵/真理/美/善/空/悟り (という虚構)を曖昧に察知し(*1)、真に受けるだけの上級社会用ルールに習熟したという事でしかない。手の込んだ虚構を受け入れるには、その当人の精神のそれなりの社会的習熟が必要になる。社会の底辺で生きる人間にはそのような社会的習熟の機会は殆ど与えられない。
この作られた価値基準(=虚構)から自由になろうとして、「人為的に創られた価値基準」に逆らって(どこか禅の口ぶりを連想させる)「拘りの無い自由な生き方」を目指す流儀もあるが、今度はその「拘りの無い自由な生き方」それ自体が一つの 価値基準/拘り となり自家撞着となる。
構築されたものは全て虚構―― 数学でさえ、数学的に完全な体系(=真理)ではない―― なので、どんなに探し回っても本物は見つからない。探すこと自体が空回りする運命。見つけたと主張する人間が高く掲げてきたものは、どれもキラキラ光るメッキされた安物の金物だった。
カネと同様に価値基準は全て人間社会が長年かけて構築した虚構でしかないが、その虚構が現実社会を動かしている。
極論すれば、カネと同様に、この現実社会自体も人間社会が長年かけて構築した虚構の殿堂。現実社会が骨の髄までの虚構だから、ありとあらゆる腐敗や混乱、不正が噴出し続けるのはむしろ必然。比較的平穏無事に収まり続ける方がおかしい。それゆえ、定期的に大動乱(大恐慌、大戦争、大殺戮)が勃発する。2026年の今、まさにその時期を迎えようとしているかのようだ。
(*1)
宗教的境地とは何か。 (2020-12-29)
要旨
ハイブランドは原価ではなく、広告費や店舗家賃などの「幻想の維持」に多額を投じています。消費者は製品ではなく、不安を解消する免罪符や、自分を正当化する宗教的価値を購入しています。真に実力がある者はロゴに頼らず、自身の思考や美意識という内面的な基準で自立します。