Craig Hamilton-Parker : 「この世界は simulation だ」説を好意的に評価
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前置き+コメント
Craig Hamilton-Parker は様々な予言をするが、たまに印象的なアタリがある。その機序に私は興味がある。彼のその謎の予言能力が、物理学には全く通用しないことを示す動画を取り上げる。
彼は量子論を援用しているが、実は既に専門家が高度な量子論に基づいて simulation 仮説を否定している(AI に聴けばその詳細を解説してくれるが、一般の理科系博士号持ちでも理解不能なレベル)。
当然、私もそれを理解できないが simulation 仮説は間違っていると判断している。simulation 仮説は、プラトンのイデア説の現代版変奏曲の一つでしかない…これもその判断の理由のひとつ。
要旨
この動画では、サイキック・ミディアムの Craig Hamilton-Parker が、現実がシミュレーションである可能性について、科学、意識、そして精神性の観点から多角的な議論を展開しています。
物理学における量子レベルの不可解な挙動と、東洋哲学が説く「イリュージョン(摩耶)」という概念を照らし合わせ、世界の真の姿は目に見える物質的なもの以上であると示唆しています。参加者との対話を通じて、瞑想による内観や意識の拡大が、論理や科学を超えた宇宙の究極の真理に触れるための鍵であると説いています。
最終的に、時間は非線形であり、私たちの意識がこの構築された現実を形成、あるいは超越する力を持っている可能性について深い問いを投げかけています。
目次
シミュレーション仮説、意識、そして現実の性質に関するブリーフィング
要旨
本ブリーフィングは、YouTubeチャンネル「Craig Hamilton-Parker」の動画で展開された、我々の住む世界がシミュレーションである可能性についての議論を統合・分析したものである。この議論は、単なるSF的な空想としてではなく、イーロン・マスクのような思想家も取り上げる現代における深刻な哲学的・科学的問いとして提示されている。
議論の中心には、現実の本質を問い直すいくつかの核心的テーマが存在する。第一に、量子物理学の知見が、現実が観察されることによってのみ確定する(「レンダリングされる」)という考え方を支持し、シミュレーション仮説に科学的根拠を与えている。第二に、この現代的な仮説は、東洋哲学における「マーヤー(幻)」の概念など、世界を幻想と見なす古代のスピリチュアルな知恵と共鳴している。第三に、真実を探求するための主要なツールは、客観的・物質的な証明を求め る科学的合理主義ではなく、瞑想や内省といった主観的な体験を通じてアクセスされる「意識」そのものであると主張されている。
この探求において、時間は直線的なものではなく、過去・現在・未来が重なり合う流動的な概念として捉えられている。また、意識はシミュレーションの内部に限定されず、それを超越した場所から現実に影響を与える可能性も示唆された。究極的に、この議論は「私とは何か」という根源的な問いに行き着く。その答えは、数式や論理で導き出されるものではなく、個人の自己という観念を超越し、宇宙の無限の意識と一体化するという「悟り」や「実感」といった体験的な領域にのみ存在すると結論付けられている。
1. シミュレーション仮説:現代の問いと古代の知恵
この議論は、「我々はシミュレーションの中で生きているのか?」という問いから始まる。これは陰謀論ではなく、現実そのものの性質に関する真摯な探求として位置づけられている。
- 現代的背景: Elon Musk(イーロン・マスク)などの著名人がこの問題を真剣に議論していることが指摘されている。AI(人工知能)やVR(仮想現実)が高度に発達した現代において、我々の現実もまた、より高度な存在によって構築されたものであるという考えは、もはや突飛なものではなくなっ ている。統計的にも、我々が「ベース・リアリティ(根源的現実)」ではなくシミュレーション宇宙に存在する可能性の方が高いとする科学者もいる。
- 古代の知恵との共鳴: この仮説は、新しい概念であると同時に、古代からの叡智の現代的な表現でもあるとされている。
- マーヤー(Maya): 東洋哲学、特にヒンドゥー教のヴェーダーンタ哲学で説かれる概念。我々が体験している世界は本質的に幻想であり、その背後にある究極の実在(ブラフマン)を覆い隠す「ヴェール」であるとする考え方。
- 神秘主義者の洞察: 古代の神秘家や賢者たちは、世界は見かけ通りではないと一貫して主張してきた。これは、シミュレーション仮説が示唆する「現実の非実在性」と一致する。
2. 現実の奇妙な性質:量子物理学からの証拠
議論では、現実がシミュレーションである可能性を示唆する証拠として、量子レベルで見られる不可解な現象が挙げられている。
- 観察者効果: 量子力学では、粒子は観察されるまで確定した状態を持たない。この「観察されることで存在する」という性質は、コンピューターゲームが必要な部分だけを描画(レンダリング)する仕組みに酷似している。
- レンダリングされる現実: この考えに基づけば、宇宙全体が常に完全に存在するのではなく、 我々の意識が向けられた部分だけがその都度「レンダリング」されている可能性がある。これにより、シミュレーションを実行するために必要とされるであろう膨大な計算能力の問題を回避できる。
- 非一貫的な時間: 量子レベルでは、時間は一方向に進むものではなく、粒子が時間を遡る現象も示唆されている。これは、我々が日常的に体験する直線的な時間(ニュートン時間)が、より根源的な現実の一側面に過ぎないことを示唆している。
3. 意識の役割と探求の方法
現実の本質を理解する上で、「意識」は中心的な役割を担うとされる。議論では、真理に到達するための異なるアプローチが比較検討された。
3.1. 科学的合理主義の限界
科学は、その方法論的な制約から、宇宙の全体像を捉えるには不十分であると主張される。
- 「間違ったツール」: 科学が用いる「理性」は、非合理的で直感的な宇宙の真理を探る上では不適切なツールであるとされる。番組ホストは、自身をリチャード・ドーキンスが批判した「理性の敵」であると認めつつ、それが真実の探求に必要だと述べている。
- 経験主義の壁: 科学は、物質的で測定可能な 「経験的証拠」を絶対視する。そのため、愛、慈悲、自己意識といった、測定不可能な意識の働きや主観的体験を研究対象から排除してしまう。
3.2. 内なる探求:瞑想と神秘主義
真の理解は、外部の分析ではなく、内なる体験を通じて得られる「実感(Realization)」によってもたらされるとされる。
- 内側への道: 古代の賢者たちは、瞑想を通じて深く自己の内側に入ることで、論理的な思考では到達不可能な宇宙の真理を体験的に理解した。ウパニシャッドや仏教の経典に記された洞察は、そのようにして得られたものである。
- 言葉と概念の超越: この「実感」は、「2+2=4」のような知的な理解とは異なり、言葉や概念で完全に表現することは不可能である。思考を超えたレベルでの直接的な認識である。
3.3. サイケデリクス:「知覚の扉」を開く
サイケデリクス(幻覚剤)は、高次の意識状態への入り口となり得るが、その利用には注意が必要だとされる。
- 「知覚の扉」: オルダス・ハクスリーの言葉を引用し、人間の精神は通常、流入する膨大な知覚情報を処理するために「減圧弁(reducing valve)」のように機能していると説明される。サイケデリクスはこの弁を開き、通常は遮断されている高次の知覚を一時的に体験させる。
- 一時的な「支え」: これは幻覚ではなく、脳が本来持つ知覚能力の一端を垣間見る体験とされる。しかし、あくまで一時的な「支え(prop)」であり、それに依存することは危険である。
- 持続可能な状態を目指す: ラム・ダス(リチャード・アルパート)の教えを引き合いに出し、目標は「ハイになること(getting high)」ではなく、「常にハイな状態であること(to be high)」であるべきだと強調される。つまり、薬物に頼らず、瞑想などの修行を通じて恒久的に高次の意識状態を維持することが重要である。
4. 時間、運命、そして現実への影響
シミュレーション仮説は、時間と現実への介入に関する根本的な問いを提起する。
- 非線形の時間: 霊能者や霊媒が未来を予知したり、霊界の存在が「こちらの時間とは違う」と伝えたりする現象は、時間が直線的ではないことの証左とされる。過去、現在、未来は、より高次の次元では同時に存在している可能性がある。
- 過去と未来への影響: 「思考が現実を創る」という考え方が提示される。もし時間が固定されていなければ、現在の我々の行動や意識の変化が、未来だけでなく過去にさえ影響を及ぼす可能性があ る。
- サイコメトリー: 物体に触れることでその歴史や所有者の情報を読み取る能力。これは、物体に残留する過去の「波動」に接続し、普遍的な精神(ユニバーサル・マインド)にアクセスする現象の一例として挙げられた。
- 自由意志の問題: もし宇宙で起こる全ての出来事が既に同時に存在しているとすれば、「自由意志」は幻想に過ぎないのか、という問いが投げかけられる。
5. 無限の宇宙と多世界
議論は、単一の宇宙という枠組みを超え、無限の可能性へと展開する。
- 永遠回帰: ニーチェやウスペンスキーが論じた概念。我々は同じ人生を何度も繰り返し生きているという考え方。無限の繰り返しの中で、あらゆる可能性が試される。
- 多世界解釈: ヒュー・エヴェレットによって提唱された量子力学の解釈。あらゆる可能性が分岐し、それぞれが並行世界(パラレルワールド)として実在するというもの。
- 無限の帰結: もし宇宙が無限であれば、確率的に可能な全ての事象は無限回発生しなければならない。つまり、この会話をしている我々と全く同じ状況が無限に存在し、僅かな違いを持つバリエーションも無限に存在する。我々の自由意志とは、これら無数の並行世界の間を意識が移動している現象なのかもしれない。
6. 異世界と地球外生命体
シミュレーションの創造主や管理者として、地球外生命体(エイリアン)の可能性が探られた。
- 創造主としてのエイリアン: 我々のシミュレーションが、他の惑星の知的生命体によって作られた可能性が議論された。
- 証拠の欠如: 一方で、この考えは空想に陥る危険性を孕んでいると警告される。UFOやエイリアンとの交信については、霊界との交信と異なり、検証可能な証拠が決定的に不足している。
- 高次元の存在: エイリアンや古代の神々とされる存在は、我々が認識する時空の外、異なる次元や波動レベルに存在する可能性がある。そのため、通常の科学的手法や感覚では捉えられないのではないかと推測された。
7. 結論:究極の真理への道
議論の最終的な結論として、シミュレーションであるか否かという問いへの答えは、知的な探求の先にはないことが示唆された。
- 体験としての真理: 宇宙の究極の真理は、数式や論理で証明できるものではない。それを理解する唯一の方法は、「それになること(to be it)」、つまり宇宙そのものであるということを体験的に悟ることである。
- 自己の超越: この悟りは、瞑想などを通じて自己の中心にある純粋な意識に触れることで得られる。それは個人の「自己(self)」 という感覚を超越したものであり、「無限の意識」と一体化する体験である。
- 合一: この状態は、「水に溶ける砂糖」に例えられる。個としてのアイデンティティは残りつつも、存在の全体性(ワンネス)と完全に融合する。この境地は、数学や科学では決して証明不可能な領域である。
シミュレーション仮説入門:私たちは仮想現実に生きているのか?
もし、あなたの周りのすべてが精巧な幻想、つまりシミュレーションだとしたら?
私自身、この問いには若い頃からずっと心を掴まれてきました。十代の頃、自分が偽りの宇宙にいる夢を見たことがあります。夢の中で目が覚めたのですが、そこが現実なのか、それともまだシミュレーションの中なのか確信が持てませんでした。そして、本当に目が覚めてベッドから起き上がったときでさえ、「これは本物なのだろうか?」という感覚が残っていました。夢の中の体験があまりにもリアルだったからです。それはまるで、夢の中の夢、そのまた中の夢を見ているかのようでした。その経験は、私の人生を通して「現実とは何か」を問い続けるきっかけとなりました。
かつてはSFの世界のアイデアでしたが、今やこの問いは、イーロン・マスクのような思想家も真剣に議論する、現代の重要な哲学的問いへと進化しています。これは単なる陰謀論ではなく、現実そのものの本質を探る純粋な探求なのです。
このガイドは、あなたをシミュレーション仮説、物理学、意識、そして古代の叡智といったテーマを探求する旅へといざないます。まずは、なぜこの考え方が現代で注目を集めているのか、その科学的な根拠から見ていきましょう。
1. 現代におけるシミュレーション仮説の論拠
シミュレーション仮説は、現代科学、特に量子物理学の発展とともに、より説得力のあるアイデアとして語られるようになりました。ここでは、その主要な論拠を解説します。
統計的な可能性と技術の進化
イーロン・マスクが提唱する中心的な主張は、非常にシンプルかつ強力です。
もし人類が、いつか人間のような意識をシミュレートできるコンピュータを開発できるとしたら、何十億年という宇宙の広大な歴史の中で、私たちが最初の「ベースリアリティ(基盤となる現実)」にいる可能性は極めて低いのではないか?むしろ、無数に存在するであろうシミュレーションの一つの中にいる可能性の方が、統計的にはるかに高いという考え方です。
量子物理学が示す奇妙な現実
ミクロの世界を探求する量子物理学は、私たちの常識が通用しない、非常に奇妙な現実の姿を明らかにしました。
素粒子のようなミクロの存在は、私たちが「観測」するまでは波のような確率としてしか存在せず、その状態は確定していません。観測という行為そのものが、現実に影響を与えているように見えるのです。この「観測されるまで存在が確定しない」という性質は、コンピュータゲームの仕組みに驚くほど似ています。
これに対して、「宇宙のすべての原子を同時にシミュレートするには、宇宙そのものと同じくらいの計 算能力が必要で、不可能だ」という批判があります。しかし、シミュレーション仮説はこう反論するのです。すべてを常に計算する必要はない、と。ゲームがプレイヤーに見えている風景だけを描画(レンダリング)するように、私たちの現実も、私たちが見ているときにだけ「描画」されているのではないか、というわけです。
驚くべきことに、こうした最先端の科学的な議論は、何千年も前から語り継がれてきた古代の叡智と不思議なほど響き合います。次に、東洋哲学や神秘主義がこの世界をどのように捉えてきたかを探ります。
2. 古代の叡智は語る:「世界は幻である」
現代のシミュレーション仮説は、実はまったく新しい考え方ではありません。古代のスピリチュアルな教えは、異なる言葉で同じような真実を指し示してきました。
幻想としての世界:「マーヤー」
東洋哲学、特にヒンドゥー教のヴェーダの教えには、「マーヤー(Maya)」という重要な概念があります。これは、私たちが五感で体験している世界は究極的な実在ではなく、一種の幻想、あるいはヴェールに覆われた見かけの姿であるとする考え方です。
マーヤー(Maya): 東洋哲学における世界の捉え方。我々が体験する現実は究極的な実在ではなく、一種の幻想、あるいはヴェールであるとする考え方。
この「世界は本物ではないかもしれない」という洞察は、シミュレーション仮説の核心と深く共鳴します。
真実への道:内なる探求
では、古代の賢者たちは、この幻想のヴェールを見通すためにどうしたのでしょうか?彼らはその答えを「外」ではなく「内」に求めました。瞑想などを通じて心の雑音を静め、深い静寂に至ることで、論理的な理性を超えた真実を直接「体験」できると彼らは考えたのです。
ここに、現代科学との決定的な違いがあります。科学は、物質的で経験的な、つまり誰もが再現可能な「証明」を求めます。しかし神秘主義は、探求のための「道具」が異なります。その道具とは、意識そのものです。
かつて私がリチャード・ドーキンス氏と議論した際、番組のテーマは「理性の敵」でした。私は言いました。「ある意味で、私は理性の敵です」と。なぜなら、宇宙のすべてを解き明かす上で、理性は必ずしも正しい道具ではないからです。探求の道具は、意識なのです。
科学と神秘主義、両者が交差する点に「意識」という巨大な謎が存在します。時間や空間さえも超えるかのような意識の不思議な性質は、シミュレーション仮説をさらに奥深いものに します。
3. 時間と意識の謎
私たちの現実認識の根幹をなす「時間」と「意識」。しかし、これらは私たちが思うほど固定的で絶対的なものではないのかもしれません。
直線ではない時間
私たちは日常的に、時間を過去から現在、そして未来へと一直線に進む矢のように感じています。しかし、私自身のミディアムとしての経験から言えば、現実は決して強固なものには感じられません。時間は直線的ではなく、過去、現在、未来が重なり合うように感じられるのです。
例えば、霊界の人々と交信する際、彼らは決まって「こちらの時間は違う」と伝えてきます。地球上の線形的な時間とは異なる感覚の中にいるのです。また、「サイコメトリー」という技術では、物に触れるだけでその歴史、つまり過去の出来事や持ち主の感情を読み取ることができます。これは、意識が直線的な時間の制約を超えて、情報に直接アクセスできることを示しています。
意識:シミュレーションの内側か、外側か?
科学の多くは、意識を脳内の化学反応の結果と見なしますが、別の視点も存在します。それは、意識こそが宇宙を理解するための根源的な「道具」であるという考え方です。
意識の探求には様々な道があります。瞑想もその一つですが、古代から儀式で用いられてきたサイケデリックスも、その扉を開く鍵と見なされてきました。作家のオルダス・ハクスリーは、これを「知覚の扉」を開くものだと述べました。彼は、私たちの心は普段、膨大な情報から身を守るために「減圧弁」のように機能し、ごく一部の現実しか認識しないようにしている、と考えたのです。
しかし、こうした手段には注意が必要です。ラム・ダス(リチャード・アルパート)が指摘したように、一時的に高揚した状態になること(getting high)と、その意識状態を自らのものとして生きること(being high)は全く異なります。幻覚剤は世界の裏側を垣間見せてくれるかもしれませんが、そこに留まるためには、瞑想のような日々の内なる実践が不可欠なのです。
もし私たちの現実がシミュレーションで、意識がその鍵を握っているとしたら、いくつかの根源的な問いが浮かび上がります。このシステムの創造者は誰なのか?そして、私たちはこの現実を書き換えることができるのでしょうか?