Jabob W. Glazier PhD : 現象学と科学:超心理学の再考
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前置き+コメント
Jabob W. Glazier の主張を AI(NotebookLM) で整理した。録画自体は 5年前だが、最近になって高画質版として up された動画。
Glazier の主張を一言で言えば、超心理学の分野に現象学の流儀を採用すべきだというもの。問題は、現象学はその宣伝文句の能書きこそ麗々しいが、実用性に乏しいこと。喩えるとマンション・ポエムの哲学版。
たとえば、現象学でよく言われる「エポケー」だが、
現象学が提示する、この「当たり前」を乗り越えるための強力な方法が、「エポケー(判断中止)」です。これは単なる哲学的テクニックではなく、世界を全く新しい目で見つめ直すための、根本的な姿勢の転換を意味します。
エポケーとは、自身の信念や先入観、常識を一時的に「カッコに入れ」、保留することです。「これは物理的にありえない」「単なる思い込みだ」といった判断を一旦脇に置くことで、対象を色眼鏡なしに、ありのままに見つめることができます。これは、対象を断罪するのではなく、そのあり方を理解しようとする、より寛容なアプローチと言えるでしょう。
のような事が、可能だと彼らは錯覚している。本当に
- 世界を全く新しい目で見つめ直すための、根本的な姿勢の転換
ということが「現象学のそういった方法」で可能なのか、そして実際になし得ているのか、 それを彼らは「エポケー(判断中止)」しているように見える。
「判断停止」程度で、「世界を全く新しい目で見つめ直す」ことが可能だというのは、そうあって欲しいという願望でしかない。彼らにとって「エポケー」は空念仏になっている。
そもそも、現象学が
- 世界を全く新しい目で見つめ直すための、根本的な姿勢の転換
であるのなら、なぜ現象学の成果はあいも変わらず陳腐で凡庸なままで有り続けているのだ?
「対象を色眼鏡なしに、ありのままに見つめることができる」という前提がそもそも「根深い錯覚」でしかない。見る側とは独立に「ありのままの姿」がどこかに存在するわけではない。
喩えると…。人間の視覚は外界に存在しない「色」を生み出しているが、その実在しない色を抜き去って「ありのままの外界の姿」見ることはそもそも不可能。ゆえに、
- 世界を全く新しい目で見つめ直すための、根本的な姿勢の転換
もまた、現象学という「これを通して見れば服が透け、ありのまま肢体が見える」という触れ込みの色眼鏡で世界(女)を眺めるだけに終わる。もちろん、どんなに目を凝らしても透けて見えることなどないw
要旨
現象学と科学:超心理学の再考
この YouTube のトランスクリプトは、ジェフリー・ミシュラブとの対談を通して、現象学と科学について探求しています。
ゲストであるジェイコブ W. グレーザーは、特に超心理学の分野において、自然科学のモデルや比喩を人間の心理やサイ現象の理解に適用することは誤りであると主張しています。
彼は、エドムント・フッサールによって確立された現象学の歴史的背景と、それが人間の経験を厳密な方法論で分析し、「伝説的な科学」の還元主義的アプローチから離れる必要性を説明します。また、ミシェル・フーコーの思想を参照しながら、科学的知識の構築における権力と文化的偏見の問題にも触れ、ウィリアム・ジェームズを現象学的な記述的アプローチの先駆者と位置づけています。
最終的に、グレーザーの著書『The Arts of Subjectivity』の「新しいアニミズム」という副題に関連して、パラノーマル現象に対する記述的で主観的な、より受容的なアプローチの重要性を強調し、超心理学が主流科学に異議を唱える機会について議論しています。