Xueqin Jiang(江学勤): 進化論(の拡大解釈)に反対し、「共感と神性の歴史」を主張
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前置き+コメント
昨日の記事、
Prof. Xueqin Jiang(江学勤): 第三次世界大戦への連鎖反応が始まっている (2025-12-22)
で取り上げた Xueqin Jiang の意外な面を示す動画。彼は、
- ダーウィンの進化論がもたらした物質的な世界観に対し、人類本来の直感や想像力を再評価する視点
を主張しているが、その論拠がまさに「直感や想像力」に完全に依存している。
「直感や想像力」は芸術を語るのであれば最適だが、進化論の拡大解釈を論駁するには不向き。曖昧模糊とならざるを得ない「直感や想像力」ではなく、怜悧な論理で理論武装すべき。
要旨
このソースは、チャールズ・ダーウィンの進化論がもたらした物質的な世界観に対し、人類本来の直感や想像力を再評価する視点を提供しています。
著者は、古代の洞窟壁画や宗教的儀式を例に挙げ、初期人類が言葉や文字を超えた深い共感能力とテレパシーに近い繋がりを持っていたと主張します。進化論が支配的な現代社会は、人間を単なる動物と見なすことで、本来備わっていた神性や創造性を損なわせていると批判しています。
また、障害や病を抱える人々を「神に近い存在」として敬った氷河時代の倫理観を紹介し、現代の画一的な社会システムからの脱却を促します。最終的に、人間は物質的な欲望ではなく、愛や調和、そして自己表現によって定義されるべき存在であると結論付けています。
目次
- 前置き+コメント
- 要旨
- 人類の想像力の夜明け:主要テーマと洞察に関するブリーフィング
- 氷の時代を生きた人々:直感と想像力の物語
- 忘れ去られた遺産:現代社会が失った共感、直感、想像力を取り戻すために
- ダーウィニズムを超えて:初期人類社会における想像力、共感、直感の役割の再考
- 進化論とその社会的影響
- 初期人類の謎と特性
- 人間本来の能力
- 文明の神話と真実
- 情報源
人類の想像力の夜明け:主要テーマと洞察に関するブリーフィング
エグゼクティブ・サマリー
本文書は、人類の起源に関する支配的なダーウィニズム的見解に挑戦し、初期の人類が想像力、精神性、そして共感に満ちた存在であったという新たな視点を提示する。ダーウィニズムの進化論は、19世紀ヨーロッパの帝国主義、人種差別、優生学を正当化するために生まれた「神学」であり、人間を単に生存と生殖の本能に突き動かされる物質的な存在として誤って描写していると主張される。
対照的に、氷河期の人類の考古学的証拠は、全く異なる物語を明らかにし ている。彼らは言語的コミュニケーションなしに複雑な共同作業を直感的に行い、深い神話的・宗教的意味を持つ精巧な洞窟壁画を創造した。彼らの世界観では、物質世界と精神世界は分かちがたく結びついており、芸術や儀式は宇宙の調和を維持するための手段であった。現代文明は、学校教育や社会制度を通じて、人間が生まれながらに持つこれらの直感的・共感的な能力を抑圧し、「凡庸さ」へと社会化してきた。この「神聖なもの」からの断絶が、現代社会における意味の喪失や精神的な病の蔓延の根源にあると結論づけられる。
I. ダーウィニズムのパラダイムへの挑戦
進化論の核心的主張とその背景
チャールズ・ダーウィンの『種の起源』によって提唱された進化論は、現代思想に最も大きな影響を与えた理論の一つである。その核心には3つの主要な概念がある。
- 偶発性: 遺伝子の突然変異はランダムかつ偶発的に起こり、環境に最も適した変異が生き残る。
- 唯物論: 存在するのは目に見える物質的なものだけであり、精神世界や神聖なものは存在しない。
- 創発性: 複雑なシステムは、単純な要素が積み重なるボトムアップのプロセスによって生まれる。
この理論は、神が人間を創造し、すべての人間は神の前に平等であるという、それまでのヨーロッパにおけるキリスト教的世界観を覆した。進化論が19世紀に急速に受け入れられた背景には、当時のヨーロッパ諸国が行っていた帝国主義的拡大がある。他民族を征服し、植民地化し、時には大量虐殺を行う中で、白人種が他の人種より優れているという「適者生存」の考えは、その行為を正当化するのに都合の良い理論的根拠を提供した。これにより、人種差別の概念や、劣った遺伝子を排除しようとする優生学が台頭した。
進化論は科学的理論でありながら、「強者が生き残ることが正しい」という進歩に関する一種の「神学」として機能し、キリスト教の価値観を否定するものであった。驚くべきことに、この理論は発表からわずか20年で西洋世界を席巻し、学校、大学、科学界における支配的なパラダイムとなった。今日においても、進化論を疑うことは非合理的だと見なされる風潮がある。
進化論的説明の矛盾と疑問点
進化論的な人類史の説明には、いくつかの根本的な疑問が残る。
- 種の単一性: 進化が多様性を生み出すプロセスであるならば、なぜ現存する人類はホモ・サピエンス一種類だけなのか。かつては多くの種が存在したが我々が勝ち残った、という説明はあるもの の、根本的な謎は残る。
- 移住の本能: なぜ人類は、他の霊長類と異なり、全世界へ移住する強い衝動を持つのか。気候変動や食料を追って、という説明だけでは、太平洋の島々への危険で不確実な航海のような行動を説明できない。
- 非功利的な行動: なぜ人類は、生存に直接役立たないように見える宗教的儀式や芸術活動に膨大な時間と資源を費やすのか。ネアンデルタール人の儀式遺跡や、ホモ・サピエンスが描いた精巧な洞窟壁画は、ダーウィニズムの生存競争の枠組みでは説明が困難である。
II. 氷河期人類の真の姿:想像力、精神性、共感
考古学的証拠は、初期の人類が唯物論的な生存競争のモデルとは全く異なる、豊かで複雑な内的世界を持っていたことを示唆している。
直感と共同作業
氷河期の人々は、言語的な計画や指示なしに、高度な共同作業を遂行する能力を持っていた。例えば、マンモスを狩り、その骨や皮で家を建てる際、彼らは「ただ知っていた」。これは、現代人が失ってしまった、集団内での直感的な意思疎通、すなわちテレパシーにも似た能力によるものだと考えられる。
この時代の社会組織は 非常に多様かつ流動_的_であった。普段は5人から10人程度の小集団で採集活動を行うが、特定の季節には何百、何千もの人々が集まり、大規模な宗教的祝祭を催した。これらの組織形態は、状況に応じて直感的に形成され、個人は気に入らなければ別の場所で新しいグループを始める自由を持っていた。
芸術、神話、宗教的実践
洞窟壁画の分析
3万年から4万年前に遡る洞窟壁画は、初期人類の創造性の頂点を示す。
- 目的と技術: これらの壁画は、単なる子供の落書きではなく、細部にまで細心の注意を払って描かれた、熟練した大人の作品である。赤色オーカーや木炭といった顔料を使いこなし、芸術的な表現を追求していた。
- 神話的物語: 壁画は、馬やバイソンといった草食動物と、それを捕食するライオンなどを共に描くことで、生と死、破壊と再生という自然界のサイクルを描写する神話的な物語を伝えている。
- 宗教的意味: 動物を殺して食料を得ることは、生命のサイクルの一部であり、その犠牲に感謝し、宇宙のバランスと調和を保つために、儀式を通じて動物を記念する必要があった。壁画制作もその一環であった。
- 制作場所の意味: 壁画は、寒く酸素の薄い洞窟の奥深くで描かれた。このような環境は、制作者をトランス状態に導き、精神世界と交信するのを助けたと考えられる。彼らは自らの経験を描くのではなく、神聖な世界の力を通して描いていると信じてい た。
精神世界とのつながり
初期の人々にとって、物質世界と精神世界に分離はなかった。洞窟、山、川などは、二つの世界をつなぐ「ポータル(出入り口)」と見なされ、宗教儀式の場として神聖視された。動物の壁画を洞窟に描くことは、狩りで失われた動物の魂を精神世界から呼び戻すための儀式であった。社会の指導者は、神聖な世界とのつながりを持つシャーマンであった。
言語、音楽、そして文字
言語は、経済活動や階層社会の構築のためではなく、歌や物語といった創造的な自己表現のために生まれた。音楽は言葉と結びつき、物語となった。
ヨーロッパの洞窟からは、幾何学的な記号が多数発見されている。これは、初期人類が文字体系を発明する能力を持っていたことを示唆している。しかし、彼らは意図的に「書かない」ことを選択した。その理由は以下の通りである。
- 神聖さの冒涜: 話すこと(歌うこと)は神聖な世界と直接つながる行為であり、それを文字に書き留めることは、神聖なものを偽造する「堕落」と見なされた。
- 共同体験の破壊: 歌や語りは共同で行われる体験であるが、書くことは孤独な作業であり、共同体を分断すると考えられた。
- 音 楽の不完全な再現: 彼らのコミュニケーションの核心は音楽や歌であり、文字ではその豊かさを捉えることはできない。
III. 失われた能力と現代文明の病
現代人は、文明の発展と引き換えに、かつて持っていた重要な能力を失った。
生来の能力の証拠
- 共感とテレパシー: これは文字通りの読心術ではなく、深い感情的なつながりを指す。馬が観客の期待を読み取って計算問題を解くように見せかけた例や、自閉症の子供が母親の声の微細な音程変化を読み取った例は、人間や動物が持つ高度な共感能力を示している。愛し合う二人が他者には理解できない独自の言語を創造するように、深い感情的つながりがテレパシー的なコミュニケーションを可能にする。
- 想像力の強靭さ: 人間の想像力は非常に強靭で、一つの感覚が失われると他の感覚がそれを補う。聴覚を失ったベートーヴェンは音楽を「見て」作曲し、視力を失ったジョン・ミルトンは『失楽園』を「聞いて」口述した。これは、自己表現への強い意志があれば、いかなる障害も乗り越えられることを示している。